2013年4月11日木曜日

205「賢治の世界」2013,4,11

 宮沢賢治は魅力的な宇宙を残してくれたみちのくが生んだ天才です。詩人、童話作家、農芸化学者。農村指導者、宗教思想家で、岩手県を中心に多方面に活躍しました。しかし生前は無名に近い状態で没後に草野心平らの尽力により作品群が広く知られ、世評が急速に高まり国民的作家とされていきました。
 そして今、その思想、哲学、生き方は21世紀に改めて見直される存在と思えます。トータルヘルスデザインの近藤洋一会長も金子みすずと宮沢賢治はとても注目している作家です。そんなこともあって天命塾とチャレンジPPKの共催で6月1・2日に「宮沢賢治と遠野物語と縄文の世界」と銘打って岩手県花巻市、遠野市の宮沢賢治の所縁の地を巡る旅を開催します。

 3月初めに盛岡で「宮沢賢治のスピリチャリティー」と題した講演会に参加できました。講師の鎌田東二さんは京都大学こころ未来研究センター教授で神道ソングライターです。開催数日前に講演会があることを知り、お蔭様でタイムリーに、改めて賢治のスピリチャリティーについて興味深い学びができました。
 会場は不来方城(盛岡城)の跡にある南部藩所縁の桜山神社でした。本殿に参拝して裏の雪の中の烏帽子岩に詣でた時に丁度鎌田先生が参拝してほら貝を吹いて奉納していました。鎌田先生の著書は何冊か読んでいましたが直接お会いするのは初めてです。

 烏帽子岩(兜岩)のいわれは以下ですが、その巨石は一見の価値がある物です。
「盛岡城築城時・・・慶長2年(1597年)頃・・・、この地を掘り下げたときに、大きさ二丈(6.66m)ばかり突出した大石が出てきました。 この場所が、城内の祖神さまの神域にあったため、宝大石とされ、以後吉兆ののシンボルとして広く信仰され、災害や疫病があった時など、この岩の前で平安祈願の神事が行われ、南部藩盛岡の「お守り岩」として、今日まで崇拝されています。」
 

 21世紀は心の世紀になると期待されたのと裏腹に、現代は心の荒廃が問題になっています。宮沢賢治が生きた時代の問題とそこにおける科学と宗教と芸術の係りを探りながら、「ほんとうのさいわい」という「銀河鉄道の夜」の中の賢治自身の言葉や思想を手掛かりに幸福の問題を考えて、賢治のスピリチャリティーと思想と生涯の魅力と未来性を考える機会として講演頂きました。東日本大震災復興祈念の講演会ですが、賢治のスピリチャリティーが復興に大きく活かされることになれば嬉しいことです。
 
 宮沢賢治は1896年8月27日(明治29年)に生れ、1933年9月21日(昭和8年)に急性肺炎で37歳の若さで亡くなっています。
 実は賢治の生誕の約2ヶ月前に発生した三陸地震津波による震災が、県内に多くの爪痕を残した中での誕生でした。また誕生から5日目には秋田県東部を震源とする陸羽地震が発生し、秋田県及び岩手県西和賀郡・稗貫郡地域に大きな被害をもたらしています。更に亡くなる年の半年ほど前の3月3日に「三陸沖地震」が発生し、大きな災害をもたらしています。誕生の年と最期の年に大きな災害があったことは、天候と気温や災害を憂慮した賢治の生涯と何らかの暗合を感ずるところです。
 また1910年はハレ—彗星が来て、有毒ガスで生物が全滅して地球が滅びるとまで言われパニックになっていた時代です。その年はスピリチャル元年とも言われ、現代に様相も似ています。
 今、2011年の3,11の震災があって一段と賢治の見直しが成されていますが、震災が無かったとしても21世紀は賢治の時代といえます。20世紀の始めに21世紀の問題を先取りして活躍し生きた先達のモデルとして宮沢賢治は再評価されています。

 賢治にとって18歳の時に出逢った法華経が人生の核になっています。教えの方便、本門には仏の力が働き続け、菩薩生命として他者に救いの手を差し伸べる生き方が成されていきます。
「銀河鉄道の夜」は未完成ですが「本当の幸いを求めて行く旅」です。その中にある「心持ちを綺麗に大きく持たないと」はどういう生き方かというと、願い、志としての理念、どういう生き方をしたいのか自分で立てることです。それはヨガでの実践的生き方にもあるもので、学問の応用実践です。そして「心持ちを鎮める」とは心の不動の一心を見るようなは実践方法論です。
「グスコーブドリの伝記」は本当の幸いを実現して行く行為を現しています。つまり「銀河鉄道の夜」はスピリチャリティーの探求と論理を表していて、「グスコーブドリの伝記」はスピリチャリティーの実践と倫理を現すものとして対を成すものです。
 つまり「銀河鉄道の夜」は欣求浄土(がんぐじょうど)で上求菩提(じょうぐぼだい)と言える悟りを求める旅であり、「グスコーブドリの伝記」は下化衆生(げけしゅじょう)で観音菩薩の実践で、苦しみに満ちた世界での実践です。
「銀河鉄道の夜」は孔(あな)を覗くことで死者の世界へ行く道。それが夢と気づいて戻って来る分岐点、物質と魂や無形の対の世界です。
 
 1926年に賢治は花巻農学校を辞職して「羅須地人協会」を設立し、そのマニフェストとして「農民芸術概論綱領」を書き上げます。そこで賢治は「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はありえない」「われらは世界のまことの幸福を求めよう、求道すでに道である」という事を示しています。
 そこでは「意識」および「無意識」の語を用いて進化(深化)と解放を説いています。
「自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する
   この方向は古い聖者の踏みまた教えた道ではないか
 新たな時代は世界が一つの意識になり生物となる方向にある
 正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである」
「農民芸術とは宇宙感情の 地 人 個性に通じる具体的なる表現である
 それは直感と情緒との内体験を素材としたる無意識あるいは有意の創造である」
「感受の後に模倣理想化冷たく鋭き解析と熱あり力ある統合と
 諸作無意識中に潜入するほど美的の深と創造力はかはる
 機により輿会し胚胎すれば製作心象中にあり
 錬意了って表現し定案成れば完成せらる
 無意識即から溢れるものでなければ多くは無力か詐偽である」
 
 その原点は最澄の「山家学生式」の「道心=国宝」観で、「国宝とは何物ぞ。宝とは道心なり。道心ある人を名づけて国宝となす。一隅を照らす、これすなわち国宝なり。」です。山の中の厳しい道場が比叡山だとすると、人の世の厳しい道場が羅須地人協会です。
「グスコーブドリの伝記」の方が今の時代に必要で響く内容です。本に登場する「フウフィーボー成人学校」では学校に入らないで勉強する仕方を教える学校です。物の見方を学び、仕事は本当に役に立つ仕事なら命も何もいらないという世界です。鋭くて濁らない感覚で学ぶうちにメカニズムが分かってくる。直感と経験が生み出す世界で、そこで覚悟して使命を果たしていく自己犠牲の精神です。「私はその大循環の風になるのです。あの青空のごみになるのです。」がそれを表現しています。
「平穏が皆を幸せにする。平穏なしに幸せはない。」グスコーブドリの認識と覚悟と行為の背景には賢さがあり、父母は自分を助ける為に亡くなったという喪失の悲嘆を持っています。それが自分の中で生きていて、自分が生かされている。
 無駄死にしない為に的確なセンス、澄んだクリアーな感覚が必要で、それは覚悟、思いの深さ、志、使命感で多くの人の為への菩薩行の実践です。しかし宮沢賢治は実生活では何一つ成し遂げていなかったようです。「心象スケッチ 春と修羅」は生前に唯一刊行された詩集ですが、自費出版で1000部製作したのですが10部しか売れていません。

 賢治の作品は自身の心象風景を語られますが、「小岩井牧場パート9」に
「さうです、農場のこのへんは
 まったく不思議におもはれます
 どうしてかわたくしはここらを
 der heilige Punkt と
 呼びたいやうな気がします」
とありますが、der heilige Punktの言葉は聖なる点という意味です。そこの場所を感じて特定でき、そこで安らぐ賢治の感性があり、かれは常に多層多重な階層の中で生きています。そこは「清い心持になる聖なる場所があり、縄文の祈りの丘で銀河鉄道がやってくる基地です。」
 カーテンを開けて光につつまれたらあらゆるメッセージが来る。そして大きな綺麗な心持で、願い祈り菩薩の心で、本当の幸せの糧になることを願う。今、フィジカルとメンタル両面での復興が求められています。今回の災害だけでなく、人間として、地球人類として縄文の精神を受け継ぎ、銀河宇宙と繋がり貴重なメッセージを賢治は残してくれています。
「イーハトーブ」の言葉は賢治が作った造語ですが、理想郷という意味です。既に広く知られていますが岩手県をモチーフにしたとのことです。平穏が皆を幸せにし、平穏な中にしか幸せはない。心持を綺麗に大きく持ち、心持を常に鎮めて楽しく明るく生きられる。そんな新たなイーハトーブを縁する皆様と実現したいものです。それが天地を繋ぐ人としてのこの世界でのテーマです。きっと6月のイーハトーブの地を巡る旅では宮沢賢治の生きた時空を体感できることでしょう。