2013年6月12日水曜日

214「古の世界1」2013,6,8

 宮沢賢治の世界は魅力的です。チャレンジPPKと天命塾共催で「宮沢賢治、遠野物語と縄文の世界の旅」を6月1,2日で開催しました。参加者も定員丁度の20名です。大型バスでゆったりと朝9時に仙台駅を出発しました。
 PPKの両代表の杉浦清始宇宙僧ご夫妻とトータルヘルスデザインの近藤洋一会長夫妻も参加されて下さり、顔ぶれも天命塾と半々でこちらも丁度良い加減でした。そして2日間とも良い天気に恵まれましたので岩手の自然、古の世界を堪能できました。
 実は以前より歯科治療に杉浦ご夫妻は私の医院に通院して下さっています。旅行会の前日は杉浦先生が私の処に来院しましたが、歯が折れていて歯周病もあり3歯のブリッジ全体がぐらぐらです。よくここまで我慢していたな〜、という重篤な状態でした。明日からの旅も考えて時間は要しましたが全てを現状回復させて最善の処置をさせて頂きました。治療後は何の支障も無く会食出来、前夜祭を楽しく過ごすことが出来ました。当然前日まで何もなかったように旅行も楽しく満喫して頂きました。

 最初の目的地、岩手県の奥州市水沢インターを下りて住田町の種山ヶ原に向かいます。目指すは物見山山頂近くにあるモナドノックスです。この地は賢治が訪れて童話「種山ヶ原」に描かれています。賢治にとってこの地は自然と人間との交感可能な場で天上界に近く、変幻自在な自然界であったようです。ですから賢治の作品の短歌、口語詩、童話、劇等のあらゆるジャンルに扱われていて賢治の作品創造の原点の一つの地です。
 物見山山頂には駐車場から20分ほどの登りですが程なくすると、前方にモナドノックスが姿を表します。その斜めにそそり立った鋭く尖った火山性巨石を賢治は「この高原の残丘(モナドノックス)こここそ、その種山の尖端だ」と表現しています。その先から銀河宇宙に飛び立つ発射台のように思えてワクワクして足の運びがより軽快になります。ここから天空に向かって銀河鉄道999?が出発したのです。


 岩の上からの眺望は素晴らしいの一言です。岩の暖かさ、吹く風の柔らかさを感じ賢治の世界に感情移入が起きそうです。初めてこの地を訪れた多くの方々は喜び、感動している様子が感じられます。思い思いに天地を繋ぐ時空を味わい、写真撮影でもその大パノラマを再現していました。


 心地良い清々しい汗をかいて下山です。バスは出発して車中で弁当を食べて、次に目指すは遠野市の続石です。弁慶が寝た絵の描いてある続石の案内板があります。その入り口から10分ほど登ると、小高い杉林の中に弁慶の昼寝場があり、左手に泣き石の巨石、そして右手に続石があります。鳥居の様に正面に社があり、二つの石の上に幅7メートル、奥行5メートル、厚さ2メートルほどの巨石が笠石のように乗っています。驚きのモニュメントです。
 この続石の云われは遠野物語にあります。
「綾織村山口の続石は、この頃学者のいうドルメンというものによく似ている。
二つ並んだ六尺ばかりの台石の上に、幅が一間半、長さ五間もある大石が横に乗せられ、
その下を鳥居のように人が通り抜けて行くことができる。武蔵坊弁慶の作ったものであるという。
 昔弁慶がこの仕事をするために、いったんこの笠石を持って来て、今の泣石という別の大岩の上に乗せた。そうするとその泣石が、おれは位の高い石であるのに、一生永代他の大石の下になるのは残念だといって、一夜じゅう泣き明かした。弁慶はそんなら他の石を台にしようと、再びその石に足を掛けて持ち運んで、今の台石の上に置いた。それゆえに続石の笠石には、弁慶の足形の窪みがある。泣石という名もその時からついた。今でも涙のように雫を垂らして、続石の脇に立っている。−『遠野物語拾遺 第十一話』より−」
 
 果たして弁慶の作かどうかは分かりませんが何とも不思議な巨石です。皆さん暫しその不思議に魅せられています。自然の作なのか人為か?私はこれまで何度も訪れていますがこれまであまり気にもしていないことに今回はにわかに視点が固着しました。その事は後で触れます。






 次なる目的地は遠野市のデンデラ野です。デンデラ野は以下のように記されています。
 「デンデラ野は、漢字で蓮台野とも表記するが、蓮台野は「れんだいの」と読む。これを遠野では「デンデラノ」と転訛したのだと伝えられているが、蓮台野とは墓地であり、地名にもなり、特に京都市北区船岡山の西麓にあった火葬場が有名だ。
 元々蓮台野とは、野辺送りの地だった。野辺送りとは葬列をなして、埋葬地まで死者を送る習俗の事。昔は、故人と親しい人達が棺をかつぎ悲しみの行列をつくって火葬場や埋葬地まで送ったものだが、それが野辺のような場所であったところから野辺送りといわれたようである。野辺送りは、遺体と同時に霊魂も送る儀式なので、魂が家に戻ってくるのを防ぐ為に、さまざまな送り方をしたようである。
 昔は60歳を超えた老人は、すべてこの地へ追い遣るのが習わしだった。老人達は、ここで自給自足の共同生活を送り、自然な死を待ったという。やがて死が訪れると、遺体もこの地に埋葬した。村を去った老人達が、静かに最期の時を待ったというデンデラ野。目の前が真っ暗になるような話だが、同時に遠野に生きる厳しさも物語っている。ここはまさに、この世とあの世の狭間の世界だったのだ。
 老人たちは、徒らに死んでしまう事もならぬ故に日中は里へ下り農作して口を糊したり。老人たちは、村の農作業が忙しい時には丘から下りてきて自分の家を手伝ったという。今でも土淵村の辺りでは、朝、野に出ることをハカダチと呼び、夕方、野から帰ることをハカアガリという。」
 既に還暦を過ぎた方が多く参加している今回の旅では、何か古のこの地での風習が身近なものと感じられたようです。しかし今は明るい老後、ピンピン輝いて還ることを目指す、チャレンジPPKの面々ですから遠い世界の事でしょう。


遠野伝承園はかつてのこの地方の農家の生活様式を再現し、伝承行事、昔話など遠野の世界を味わうには手ごろなところです。カッパ渕でキュウリを餌にカッパを呼び寄せる釣竿を見て、暫し遠野物語の世界を味わいました。遠野物語の話者の佐々木喜善記念館、曲り家、オシラ様、金精様、御蚕、染工房など見学して学ばせて頂きました。遠野物語は柳田国男が1910年に発表した説話集で、ほぼ100年前の世界です。物語に浸る方、見学もそこそこに絹織物の買い物に時間を費やす方もいて色々な楽しみを味わっていただきました。
 




のんびりした観光を済ませ遠野物語の世界から旅たちです。宿に向かうバスの中ではビールで喉を潤して充実した1日を振り返りながら、心地良く和気藹々過ごしました。今日の宿泊先、花巻市大沢温泉山水閣にも予定の時間18時丁度に到着です。全てが都合よく良い加減です。
 宿は全館満室です。部屋から見る新緑に覆われた山の緑、渓流の水の勢い、その地気天気はいのち蘇らせます。渓流沿いの露天風呂も素晴らしく、今日の疲れも癒されて懇親会、2次会と宴の世界も楽しく過ごせました。2次会では日本酒、焼酎一升瓶を空け良く飲んだ面々ですが私は早くに沈没でした。




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