2013年8月29日木曜日

231「縄文」2013,8,27

  みつゆきさんのアイリッシュハープコンサートが8月17日に開催されました。3月9日に続いて2回目です。また多くの感動を皆さんに頂けました。そしてみつゆきさんも今回は計り知れない驚きの感動を得られたようです。
 
 やさぐれていたみっちゃんが学生時代自転車で東北の地を巡り、感動の出逢いをしました。触れる自然、人の情に自分の魂の奥深く閉ざされていた大切なものに感応し、生きる希望を見出します。それをかれはこの地に残る縄文、そしてその精神が形作る縄文の世界といいます。
 やがてアイリッシュハープに出逢い、それが自分の進むべき世界と気づき、ひたすら自分と向き合い、表現を追求し、己の御魂を磨きあげてきました。そして音の響き、振動、波動、音色にはみっちゃんのいのちの想いが託されています。やがて縄文の地に再び還りハープを響かせることが彼の秘められた望みとなります。縄文がいのちの原点でした。
 
 みつゆきさんのアイリッシュハープの音を聴き、響きを身体に感じて涙する方が沢山おられます。己の鎧を脱ぎ、母の懐に抱かれる歓喜、いのちの原初に触れるのでしょう。眠っていた魂がアイリッシュハープの音の情報に目覚めさせられ、素直に感応し、身体の反応に驚き見る自分を喜び、止めようもない感涙に浸り、己は忘れていた沸き起こるいのちのエネルギーの発露に満たされます。生まれて来て良かった、生きてきて良かった、と心から思います。
 私達は縄文のスピリット、精神性を土台にいのちを継承して来ています。自然の中にそれを感じて読み解き、色々に翻訳、変換し表現する芸術の世界は、乾ききった科学技術万能の現代社会にとって恵みであり、いのちを蘇えらせてくれます。そして己の霊性に回帰させる時空間を作ってくれます。
 それを意図した作家、作者、演奏者がさらに縄文の情報溢れる自然の中で表現し、演奏された時、肉体、身体は楽器ですからそこに計り知れない大きな共鳴共振が起き、味わったことのない大調和がもたらされます。
 
 今回の企画は1日目個人レッスン、夕方からコンサートそして懇親会でした。コンサートの2部では心身のヒーリングを意図してアイリッシュセラピーです。
 照明を暗くして皆さん思い思いにゆったり横になり、音と響きと振動の情報に浸りました。終わっても誰一人起きようとしない、もっと長く味わいたいそんな演奏会でした。お蔭で身体の調整が成されたようで深い癒しを頂きました。体調不良の方々がその良好な反応に驚き、身体の反応に感動しています。
その余韻で迎えた懇親会は大いに喜び溢れ、嬉し、楽しのモードで皆さん大満足です。みつゆきさんもお酒が進み、素が現れて本音で皆さんとしっかり溶け込んで東北の人、縄文の御魂の仲間とひとつです。生体エネルギーの生地ビール、玄米日本酒にご満悦で、殊の外、杯が進みました。
 2日目は大和農場での野外コンサート、付近の散策です。大和町には芸術家として著名な先人がおられます。その方々の足跡に触れ、自然を満喫して頂き農場の見学、昼食後野外コンサートです。
 大和の地はかつて大和朝廷が支配する以前から蝦夷たちが生活していて豊かな処で、特にテンメイ農場がある吉田地区は穢れ少なき縄文のエネルギーあふれるところです。
 
 まず大和町宮床にある原阿佐緒記念館を訪れました。
 http://www.haraasao.jp/index.html

「原阿佐緒(はらあさお)は大和町宮床に明治21年(1888年)にこの地の素封家である原家の一人娘として生まれました。女流歌人で、短歌を明星派の与謝野晶子に師事し、のちにアララギ派の斉藤茂吉、島木赤彦の指導を受けています。三閨秀歌人として、その美貌と才能をうたわれましたが、波乱に富んだ人生を送った女性でした。歌人たちとの悲恋、自殺未遂、結婚、離婚…。それゆえに時には非難を浴びた阿佐緒でしたが、彼女の詠んだ歌は叙情的で女性らしい繊細な感覚に満ちており、数々の人々に受け入れられてきました。年月が経ち、彼女の愛に生きた純粋さの真実が知られるにつれ、原阿佐緒が遺した作品が多くの人々に評価されました。」
 
 記念館は阿佐緒の生家を改装していますが、明治時代の洋館で、さぞやその当時では目を引くものだったと思われます。彼女の短歌を紹介します。
 「生きながら 針に貫かれし 蝶のごと 悶えつつなほ 鳥ばむとぞする」
 「うしなひし もののことさら 美しく 見え来る日は 寂しかりけり」


 私以外は皆さん初めての来館でしたが1時間弱程記念館をゆっくり巡りましたが心打つものがありました。みつゆきさんもある強い感動を受けていたようです。芸術家としての感性が響き合ったのでしょうか。原阿佐緒の波乱に満ちた生き様、それを伝える写真、この地で生まれ培われた遺伝子的背景、それらの素因が前提として詠まれた短歌が確かに人に訴えるものがあります。
 
私には原阿佐緒の名前が1週間前の澤野大樹さんのセミナーでの縄文世界の話がリンクしてきます。
「イエ(家)が集まりムラ(村)が出来てハラ(原)に採取に出かけていたのが縄文で、弥生になり畑作が始まりムラの周りにノラ(野良)が出来た。そしてリーダーがハラを隠し支配が始まった。麻はハラにあり無限に生えるハラを象徴する植物で、意識をムラ化しているムラの住民が麻を吸うと意識がハラ化する。今日本全国はムラ社会で麻を許されない。」
 原阿佐緒の名前を組み直してみます。原(ハラ)は原(ハラ)そのままで、阿佐(アサ)は麻(アサ)、緒(オ)も麻(オ)で原麻麻です。縄文そのものを表す名前です。
 
 更に原阿佐緒が所属していた会はアララギです。この事も澤野さんのお話がありました。
「ヨークはイチイの木のことで別名アララギ、阿良羅木で古代の聖なる神、アラハバキの宿る木だ。つまり新しい瀬織津姫の木。ニューヨークは新しい瀬織津姫のことだ。」
 アララギはイチイの木で縄文の神、アラハバキの宿る木です。縄文意識はアラハバキです。
「アラハバキは腹暴きで腹は原で本当の世界であり、三次元から多次元への目覚め、独立を体験する。それは原爆であり秘密が暴かれること。全てを創造した神が全てを破壊も出来るし、それがアラハバキだ。」
「形而上の多次元世界が形而下の三次元に鏡を通して投影される。言は形而上で、葉は形而下で、言の葉はコンテンツを可視化させたもの。言葉は道具でそのものにパワーはない。だから言葉で感動させるには形而上のものが必要でそこに誤差が有ってはダメ。言葉は多次元と三次元を繋ぐもので多次元が投影されたもの。」
「言葉を使いこなさないと感性が壊される。多次元の本当の自分の想いと三次元と一致させる。それは本質、意識の本姓と言葉と一致させることで、半霊半物質で、想念体、ロゴスの言と三次元の葉とずれが無い時に言葉となる。」
 原阿佐緒はアラハバキのまつろわぬ民で多次元と三次元を繋ぐ言葉、短歌を駆使して縄文からのメッセージを発していたのでしょうか。

「則天去私は傍からみれば、でくのぼうで天真爛漫で善い人のこと。元々生れた時は天真爛漫で、成長と共に鎧を身に付けるがそれを脱いで天真爛漫に成れた時、本当の善い人、美しい人となる。沢山の事を知ってその上ででくのぼう、白痴状になること。赤子の魂で起動させる。」
「これから伏在していたものが表に出てくる。伏在したものとは縄文であり、まつろわぬ民、日本の歴史の暗部であり、今無視されている霊性の部分も大きく出てくる。それは人が本来の姿に戻ることだ。」
 原阿佐緒は昭和10年48歳で帰郷し短歌を書くことを止めます。さらに息子の事業の失敗で先祖の財産の大半を失います。82歳で亡くなるまでの後半生は如何に過ごされたのでしょうか。則天去私、隠棲者として縄文のスピリットで生きた人のように思えてきました。

 彫刻家佐藤忠良は1912年に大和町で生まれています。まほろばホールの中にギャラリーがあり作品が展示されています。そこも見学しました。
 入ってすぐにある忠良の色紙には「芸術は人生の究極の無駄だ」とあります。トルストイの童話「おおきなかぶ」は忠良が挿絵を描いていますがそれも展示されています。慣れ親しんでいた童話に出逢え、忠良の絵と知り驚いていた方が何人もいました。大和町の自然のスケッチには心惹かれるものがあります。自然の切り取り方、表現が素晴らしいのです。私は30年前から忠良ファンで彫刻やデッサンなどの作品を持っていますが久しぶりに忠良ワールドに触れることができました。同じモチーフを弟子の笹戸世津子の作と比較できますがまったく別物です。人間の情報翻訳能力、創造力に違いを改めて感じました。


 次は、石神山精神社に参拝し、南川ダム湖畔公園でのんびりしていよいよ大和農場到着です。大和亭を案内して農場見学です。



 まず最初に沢のお不動さんに参拝です。水に触れ、風を肌に感じ、降り注ぐ木漏れ日を受け感動でみつゆきさん涙しています。まほろば舎、白石もご覧いただき、コンサート会場はまほろば舎の北側の栗の木の下ですることに決まりました。

 昼食後いよいよ野外での、栗の木コンサートです。蝉の声にハープに音が融け込み風が心地良く、身も心も自然に一体化する感じで只々素直に嬉しい、喜びを感じます。
 何オクターブもの自然音の中でハープの音が共振し、果たして自然の動植物、鉱物は如何なるスピリット、情報を感受したのでしょうか。更にはみつゆきさん自身の思い、心情は、己の奏でる音と縄文自然音と共鳴した世界を体感し、さぞかし想像だにしない変化を感じ、未知なる世界の扉を開きそこに浸ることになった事でしょう。みつゆきさんの表情は終始喜び光輝いていました。



 まほろば舎の中でも数曲演奏して下さいましたが、自然の中でも室内での響きは又別物です。音に戯れている内に時間があっという間に過ぎてしまいました。
 
 早や、みつゆきさんの旅立ちの時間です。仙台空港に大阪行最終便に間に合うようにお送りしましたが、彼には感動の縄文との遭遇だったようです。そして更なる縁が深まり、これからこの地と大切な結びつき、拡がりの幕開けになったようです。次回の再会を楽しみに固く握手してお別れしました。

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