2013年10月4日金曜日

240「新月」2013,10,4


 10月を迎えて道行く中高生の制服が衣替えしています。すっかり秋でとても快適な過ごしやすい季節です。秋は台風到来の時期でもありますが先の台風18号は巨大なエネルギーを持って日本列島を駆け抜け、多くの影響をもたらしました。
 私は松本市での研修期間でしたのでテレビを見る事も無く、まったく情報無しで過ごしていましたが、後日、京都嵐山の桂川の氾濫で渡月橋が水没したのには驚きでした。風光明媚な観光名所が何とも無残です。台風は浄化のためにその地が引き寄せるという方もいますが果たして如何でしょうか。日本列島を縦走してアラハバかれたことは確かです。
 いよいよアラハバキの神の起動がなされた感じです。アラハバキは縄文、日高見の地の神です。

 現在、広く受け入れられている日本の歴史は記紀神話によるものです。天地開闢の神々の神代七代の最後の伊邪那岐神と伊邪那美神の国生みから始まります。伊邪那岐神は黄泉の国から逃げ帰り、その穢れを清めるために禊ぎをした時に、さまざまな神々が生まれます。この時の最後に天照大神、月読命、素戔男尊の三貴子が生れました。その中の女神の天照大神が現在の皇室の皇祖神とされています。そして天照大神の五代後の神武天皇が日本の初代天皇です。
 天照大神は太陽を神格化した天津神、日本民族の総氏神さまで伊勢神宮内宮にお祀りされています。伊勢神宮外宮には豊受大御神がお祀りされています。今年は20年に一度の式年遷宮の年で10月2日に内宮で行われましたが、外宮は5日に行われます。総事業費570億円で経済波及効果は2416億円で今年は既に参拝者は900万人とか、国を挙げての一大イベントです。
 素戔男尊の六代後の大国主神は国造りの神様で出雲大社にお祀りされています。国譲りの条件として出雲大社を創建させたと言われます。大国主神は国津神といわれ10月神無月には出雲に全国の神々が集まり1年の収穫等の報告をして又来年も諸々の貸し与えの許可を頂くとか。ですから出雲では10月を神有月といいます。
 出雲大社も今年が60年位一度の遷宮が5月10日に行われています。伊勢神宮と出雲大社が同年に遷宮されることに果たしてどんな意味があるのでしょうか。

 伊邪那岐神が黄泉の国から逃げ帰り、その穢れを清めるために禊ぎをしたとありますが、神道の祭祀に用いられる禊ぎの為の祝詞の一つに大祓詞(おおはらえのことば)があります。犯した罪・穢れを祓うために唱えられた祝詞です。
 国民が犯してしまう罪の内容を「天つ罪・国つ罪」として列挙し、そのような罪が出たときの罪の祓い方が述べられ、罪・穢れが消滅する様を様々な喩えで表現した後、四柱の祓戸神によって消え去る様子が述べられますが、その内容は以下の通りです。
「残っている罪はないようにと、天津神・国津神の祓へ給い清め給う事を、高山・低山の麓から渓流となって激しく流れ落ちる急流の瀬におられる『瀬織津姫(せおりつひめ)』という神が、その霊力で大海原に持ち出してくださるであろう。
 このように大海原に持ち出されたなら、荒海の多くの潮流が集い渦巻くあたりにおられる『速開都姫(はやあきつひめ)』という神が、その罪を呑み干してしまわれるであろう。
 このように罪穢れを飲み干されると、息吹の根源におられる『気吹戸主尊(いぶきどぬしのみこと)』という神が、根の国・底の国(黄泉国)に吹き放ってくださるであろう。
 このように吹き放ってしまえば、根の国・底の国におられる『速佐須良姫(はやすさらひめ)』という神が受けとって流離い(さすらい)、消滅してくださるだろう。」
 
 この大祓詞は天智天皇8年(669年)、天皇の勅願により中臣金連(なかとみのかねのむらじ)によって佐久奈度神社(大津市大石)で作られました。
 ここに登場する祓戸四神の内の一神の一つ瀬織津姫は謎多き姫神です。瀬織津姫は天照大神と浅からぬ関係があります。天照大神の荒御魂として伊勢神宮内宮の別宮の荒祭宮祭神には瀬織津姫をお祀りしています。

 古事記、日本書紀の記紀以前の多くの書物は大和朝廷に偽書の扱いを受けていますが、秀真伝(ほつまつたえ)もその一つです。秀真伝については以下の表記があります。
「秀真伝は全四十章の前半は、神武天皇の代に大物主櫛甕玉命(オオモノヌシクシミカタマ)、後半は、その子孫の大田田根子命(オオタタネコ)が景行天皇の代に編纂したとされるが、その審議のほどは不明。
 秀真伝には漢字が伝来される以前のホツマ文字という神代文字が用いられているとの伝承があり、国学者の平田篤胤が懸命に捜索したが、ついに発見できなかった幻の書とされるが、昭和41年に神田の古本市で松本善之助が一部を発見、さらに同氏の捜索により、宇和島市の小笠原家で完本が発見されたという。」

 この秀真伝のなかでは、
「イサナミの父トヨケ(伊勢外宮祭神・豊受大神)は第六代天神のオモタルとカシコネの両神に世嗣の皇子が無いので、自分の娘のイサコを先祖の遠戚に当たるタカヒトと結婚させ、七代目の皇位を嗣がせることに決めた。
 イサコはヒタカミの国(日高見=陸奥)、タカヒトはネの国(北陸)で育ったので、言葉や習慣に違いがあり、合意形成に時かかったが、イサコの慣れ住んだヒタカミと、タカヒトの育ったネの国から、互いに歩み寄ったツクバ(筑波)に二人のために新宮を建てることになった。
 この宮はイサ川(桜川)から少し離れた台地に造られ、イサ宮の離宮と呼ばれた。イサ宮でタカヒトとイサコは生涯一緒に国の再建に身を尽くすことを誓い、この日以来、タカヒトはイサナギ、イサコはイサナミと名乗り七代目の天神となった。
 ハラミ山(蓬莱山=富士山)西南の山裾野では、天子(アメミコ=アマテル神)を迎える新宮の造営が何年も前から進められていた。天子は十六歳までハラミの宮(富士宮市浅間神社)で両親(イサナギ・イサナミ)と暮らし、十六歳の時に、母方の祖父トヨケ神の坐すヒタカミのヤマテ宮(仙台宮)に、天成道(あめなるみち・帝王学)を学びに御幸され、二十八歳になる今日まで戻らなかったので人々は待ち焦がれていた。
 天子がヒタカミの国(仙台市・多賀城市付近)から帰還し、新しい宮居に移ると早々に両神の詔(みことのり)が諸神に伝えられ、ヤソキネ(豊受神の子)を中心に、天子のお后選びの神議(カミバカリ)がおごそかに進められた。
 全国の国神(くにかみ)の姫の中から、素直で気立てが良く聡明で美しい姫を選び、日の神である天子を中心に、十二人の姫を月に例えて、東西南北の四方に配した。その位は、上位よりスケ(典侍)、ウチメ(内侍)、オシモ(御下)の三階級とした。神議も終わり、人々に政(まつりごと)が発せられた。
 どの姫も美しく聡明だったが、天子は一人の姫に心を奪われ、自ら階段を降りて迎え入れたほどで、姫の名はサクナダリ(瀧落降渓流)・セオリツ姫ホノコ。
 さくなだりとは岩を割いて流れる清い渓流を意味し、名が体を表わした美しい真名(いみな)で、その称名(たたえな)は天子との感激的な出会いにちなみ、天下る日前向津姫(アマサガルヒニムカツヒメ)と申し上げ、このムカツ姫の御名は後世まで、君との出会いを伝える名として残りました。
 天子は万難を乗り越え、セオリツ姫をご自身の坐す内宮(うちみや)に入れ、一緒に暮らす決心を詔にして世に触れました。これが中宮制度の始まりです。」

 記紀は天照大神を女神としますが、秀真伝は天照大神は男神であり、瀬織律姫を天照大神の正妃としています。日本各地には天照大神に先行して瀬織津姫神の足跡があり、多くの神社に祀られています。しかし中臣氏が669年に作成した大祓祝詞に記されるだけで、712年と720年に完成した記紀には全く記されていません。記紀編纂の時に意図的に除外されたようです。
 また「瀬織津姫は天知迦流美豆比売(あまちかるみずひめ)とも言われます。三輪山に住む「海を光して依り来る神」である大歳神=大物主神の妃神です。日の神と一対をなす、天において水を司る女神が、この天知迦流美豆比売であり、瀬織津姫のルーツのひとつだ。」とも言われています。
 そして、瀬織津姫が水の神で、アラハバキ神、艮の金神、宇賀神でもあったというのです。瀬織津姫は多次元同時存在で大和朝廷により隠された、封印された存在の様です。そしてその封印を進めたのは持統天皇とのことです。
 瀬織津姫は縄文、国津神の女神で北上(日高見)川、早池峰山の神で、岩手県には瀬織津姫を祀る神社が多数あります。
 大和朝廷が日高見の国を鎮めるために熊野本宮から瀬織津姫を熊野本宮神として宮城県気仙沼市唐桑の地から上陸させて室根山にお祭りしています。以下の様な記載がありますが果たしてこれはどう結う事なのでしょうか。
 「養老二年(七一八)、瀬織津姫神が「熊野本宮神」としてエミシの地に上陸したところが唐桑[からくわ]半島(宮城県唐桑町)とされる。同半島(舞根地区)には、その名も瀬織津姫神社が現在も鎮座している。
 熊野本宮神は、この唐桑半島から、室根[むろね]山(八九五㍍)へとまつられるが、しかし、現在の室根神社の本宮神は伊弉冉[いざなみ]命とされ、養老時代にやってきたとされる瀬織津姫の神名はここにはみられない。
 室根神社に、本宮、新宮の2社あり、本宮は伊弉冉命、新宮には、速玉男命と事解男命を祀っています。
 本宮は、養老2年(718年)鎮守府将軍大野東人が、熊野神の分霊を迎えたのが起源で、いまから1281年前のことです。(新宮は正和二年=1313年、陸奥国守護・葛西晴信の勧請)
 大野東人は鎮守府将軍として宮城県多賀城にあって、中央政権に服しない蝦夷征討の任についていました。しかし、蝦夷は甚だ強力で容易にこれを征服することができなかったので、神の加護を頼ろうと、当時霊威天下第一とされていた紀州牟婁郡本宮村の熊野神をこの地に迎えることを元正天皇に願出ました。
 東北地方の国土開発に関心の深かった元正天皇はこの願いを入れ、蝦夷降伏の祈願所として東北の地に熊野神の分霊を祀ることを紀伊の国造や県主に命じました。」
 
 これは毒を持って毒を制すなのでしょうか。台風18号は東海地方に上陸して東北地方陸中海岸から太平洋に抜けて北上し温帯低気圧になりました。今回、初めての特別警報がだされ、17日まで大雨の為に多くの被害をもたらしました。将に荒く吐かれ、大掃除がなされたようです。今、瀬織津姫の封印が解かれ、縄文、日高見、アラハバキとして起動されてきているようです。

 台風が過ぎた17日は秋彼岸の入り日で19日は満月でした。今年は中秋の名月と満月が重なる貴重な機会で素晴らしいお月様でした。台風によってアラハバカレた後の澄み切った天空の美しい姿は素晴らしいものでした。次回中秋の名月で満月と成るのは8年先の2021年9月で、それまで見ることが出来ないのです。
 
 はせくらみゆきさんによると9月5日の新月からの1か月間に付いて以下に記されています。
「9月5日の新月から19日の満月までは、反時計回りの回転で求心性のエネルギーがとても強く、今まで分化していたものが混然一体となってかき回される感がありましたよね。
けれども今は、時計回りの遠心性のエネルギーがだんだん強くなってきて、今までのものが(カルマともいいますが)がぐんと倍返し!?のように噴出していると同時に、それを飛び越えるほどに強い光のエネルギー(加速された荷電粒子の場)も勢いを増しているようです。
 この波に乗って、まるで砲丸投げでぐるぐる回って遠心力をつけるように、自分の意図する意識フィールドまで、ポーーンとクォンタムジャンプしていける可能性が出てきました。加速された粒子の波にのるには、意図と覚悟が必要です。その前に、当然のごとく、クリーニング&デトックスはしておかないときついですが・・・。」
「また、覚悟とは、そこに向かうことで、起こってくる様々な出来事に対しても、迷わずぶれず、意思を明確にして進むことです。このプロセスにおいて、時には予期せぬ別れや喪失、分化、分裂も訪れるかもしれませんが、そのたびに、内なる自己としっかりと繋がりながら、一歩一歩また、意思を明確にして進んでいくと良いと思います。
 台風に例えるとまだ暴風域圏内の中で、完全にぬけるのは次の新月までですので、気を引き締めて、自らの意図する世界(宇宙)にむかってワクワクすすんでいきましょう!
 昨年の冬至からスタートを切った宇宙船地球号の新たなる旅立ちは今年の7月26日の銀河の同期から本格化しました。その波が強く現象界にあらわれてきている今年に入って一番強い波(同期ビーム)が今、9月5日の新月から、10月5日までの新月の時期に放射されているようです。そのピークは、9月19日の中秋の名月(満月)で、そのあと徐々に落ち着いてきますが次の新月を迎えるまでは、気を引き締めながらしっかりと進まれると良いと思います。
 大きく分ければ、二極化している川の流れですが、細かく見れば、現在、それぞれにたくさんの支流があるわけです。そうして進んでいった支流が、この期間(9月の新月から10月の新月まで)、いったん大きな湖に流れ着き、一度、合流したという感じです。しかもその湖は、静かな湖ではなく、波立ち、ぐるぐると渦を巻いていて、中心へ行けばいくほど渦がきつく、つよく巻いているエネルギーの高い湖なのです。渦の中心となる日が9月19日の満月でピークを迎え、次の新月になるころには、湖を抜け、対岸へと着き、あらたに再編された川となってまたさらに大きく分かれていくことになるようです。ですので、この期間においては、よいもわるいも、いろんなものが噴出しやすく、また、普段めったに出会わないようなコトや人、ものとの邂逅があり、ふりまわされると思われることもおおくなることでしょう。 次の新月からはますます二極の方向に分かれた多極化が進むでしょう。」
 
 果たして如何でしょうか。瀬織津姫、アラハバキ神の浄化の働きの中で10月5日に新月を迎えます。リセットして新たな始まり、スタートです。いよいよ二極化のどちらを目指すか決め所です。