2014年2月22日土曜日

281「一陽来復」2014,2,21

 毎週末の大雪で全国各地は大混乱です。交通網が寸断されて孤立してしまった処も沢山です。山梨県甲府市は120年の記録の中でこれまで最高の49cmの2倍以上の114cmほどの積雪で、山梨全県孤立状態となり大変な被害です。異常気象と言えばそれだけのことですが、過去の慣例、法則が通じなくなる時代になってしまった事は確実です。これは気象だけでなく多くの社会現象でも言えることです。
 
 そんな中、16日朝、仙台空港に山元加津子(かっこちゃん)さんを迎えに行きました。15日も大雪で仙台空港は全便欠航でしたが16日は強風でしたが良い天気になり伊丹便は予定通り到着できました。ありがたいことです。仙台市内は雪で高速道路の東北道等は通行止め、JR在来線も混乱状態です。
 お蔭で正午からの「僕の後ろに道はできる」の映画上映会、かっこちゃんの講演会ともキャンセルが沢山ありました。しかしその悪条件でも参加頂いた方の御蔭で少数でしたが開催出来ました。とてもアットホームな会になりました。



 脳幹出血で倒れた宮田さん(宮ぷー)はかっこちゃんの元同僚で、かっこちゃんの活動を支援してくれる大切な仲間でした。この病気ではほとんどの方は亡くなり、いのちを取り留めたとしても不治の病で、意識の回復も無いままに植物状態で過ごす事になるのです。かっこちゃんの数々の献身的な看護、多くの縁者の方々の支援で現在は車椅子で外出が出来、意思伝達装置でコミュニケーションも出来るまで奇跡の回復が出来て来ています。
 かっこちゃんの厳しいリハビリで日々改善して行く、その3年間にわたる素晴らしい奇跡の回復の軌跡がビデオに記録されています。植物状態であったとしても回復していくことが出来る力、前例のない未知の世界を切り開き答えを出す、かっこちゃんと宮ぷーの真剣に生きて行く姿、そこに縁する多くの方々の大きな喜びの世界です。人間としての可能性がしっかり伝わる内容で多くの感動をもたらしています。
 ここでも医学、医療の常識を越える前例のない結果があります。生きる事への意味、そこへの強い意志、強い必要が不可能を可能にする実例です。しかし医学の中ではまだ理解されない分野の様です。しかしここでのひとつの答えを、いのちの大きな可能性として、今必要とする方々に情報を発信していくこと。知っている人がそれを求めている皆さんに伝える責任、義務があるとかっこちゃんは言います。

 現在、宮ぷーが病院を退院して自宅で一人住まいを希望していて、その方向で準備を進めているようです。かっこちゃんの自宅との距離的な問題があり通う時間のこと、リハビリもしっかり継続し、ヘルパーさんとの連携等、更なる支援をする必要やその他諸々の事情が重なり、かっこちゃんは大きな決断をされたようです。
 更に白雪姫プロジェクト(植物状態と言われる人の回復サイト)への問い合わせも多く、その方々に必要な助言をするにもかっこちゃんには多くの時間が必要になって来ている状況です。ですから養護学校の教員を継続してそれらをすることはいろいろ難しいようです。
 4月からの新たな始まりは素晴らしいことですが、未知の、初めてのことで課題も多く、より困難が予想されたとしても、その道を進んで行く選択をされたようです。きっと「かっこちゃんの後ろに道ができる」でしょう。陰ながら応援して行きたいものです。
 帰りは東京経由で新幹線でしたが、強風で新幹線が運転見合わせて予定の列車には乗れませんでしたがどうにか東京にはたどり着き翌朝の飛行機で無事に帰ることが出来たようです。大雪の中、ありがたい集いが出来ました。
 
 2月8日は澤野大樹さんの講演会でしたがこの時も大雪でした。しかし「セイレーンの魔女(仮)」と題した講演の内容はスペシャルでした。とても興味深い、目から鱗の驚きの切り口、読み解きです。しかし残念ですがここではお話の内容は紹介できません。4月ごろにDVDが発売される予定ですのでINTUITIONから直接お買い求めください。



 少しだけセイレーンの事を紹介しておきます。
 セイレーンとは、「ギリシア神話に登場する海の怪物である。上半身が人間の女性で、下半身が鳥の姿をしているとされ、海の航路上の岩礁から美しい歌声で航行中の人を惑わし、遭難や難破に遭わせる。歌声に魅惑されて殺された船人たちの死体は、島に山をなしたという。」とのことです。
 セイレーンは瀬尾律姫システムのことで、今アメリカは縄文回帰が起きて来ていて、縄文スピリットに戻って来ています。セイレーンとは精練、精錬、製錬と表記が出来て、不純物を取り除き、縄文スピリットを取り戻し、幻想をアラハバいて行くことの様です。つまりは自らの心身の不純物を取り除き、自らの中に有る原石の縄文を呼び戻すこと。反キリスト、救世主の登場です。そして仙台は将にそのセイレーンの地の様です。これからも楽しみな展開です。詳しくはDVDでご覧ください。
 次回7月5日に澤野さん仙台に再登場です。楽しみに参加して下さい。

 翌日は澤野さんの希望で今がシーズンの牡蠣を食べたいという事で、仙台港近くの牡蠣小屋まで出かけました。この雪でお店に電話も通じないので市内のお店を提案したのですが、前にお連れした時の感動が忘れがたいとのことで兎に角、雪の積もった道を行きました。しかし流石お店も雪に埋もれていて残念ながら閉店でした。仙台市内に戻り、2店を巡りましたがどちらも交通事情等でランチタイムは閉店でした。残念です。結局、仙台駅中の4店目の御寿司屋さんで美味しい牡蠣にあり付けました。思い残すことなくお帰り頂きました。

 今年の大雪は名取農場も雪に埋まりました。11日はテンメイ恒例の味噌作り会でしたが、先ずは前日の仕込み、準備前に雪かきが大仕事でした。でんでんむしの若手社員さん2名が助っ人して下さりお蔭様で雪かきは完了できました。







 御雛様も飾られて華やかな中、良い天気にも恵まれて楽しい集いに成りました。昨年の味噌は水が若干少なくて米麹が粒で残る感じでしたので、今年はしっかり水分量を確認して水加減もベストで最高の味噌作りが出来ました。各自それぞれの環境で保管して熟成を進め、果たして如何な手前味噌が出来上がるのか、1年後の賞味会が楽しみです。
 
 大和農場は毎週雪かき三昧です。週1回程行きますが毎週末の大雪で素晴らしい世界を堪能出来ています。雪が少ない時は樹木の伐採、枝切りです。しかしここ2週間は50cm程の積雪で、雪かき、雪寄せを楽しくしていました。雪かきも回を重ねるに従い、だんだん要領を得てきて何事も熟達するものです。
 雪の上に残される獣や鳥たちの足跡は素敵な情景です。汗をかき、美味しい昼食を頂き、締め括りは近くの台が森温泉でしっかり入浴して、身体が癒されるスペシャルな楽しみです。






 今日21日は市内の路面の雪は融けてきましたが各所に雪は解けずに残っています。3月3日のあわ歌の儀式を大和農場の白石を中心に行いますが、果たしてこの大雪がどうなっているのか少し気がかりです。しかしこれからの天気予報では春を感じる暖かい天候になって来るそうです。一陽来復、確実に春の足音は聞こえて来ていて、明るくなって来ています。3月3日を最良な形で迎えられることを天に御願いしておきます。
 ちなみに、一陽来復の意味は「冬が終わり春が来ること。新年が来ること。また、悪いことが続いた後で幸運に向かうこと。陰の気がきわまって陽の気にかえる意から。」とあります。

 そんな今朝の地元紙朝刊にとても嬉しい記事が掲載されていました。私達の仲間の石巻市の佐藤造船所さんが津波の被災を受けていてこれまで私達も支援をさせて頂いてきましたが、その再建に向けてのグッドニュースです。


 2011年3月11日の東日本大震災から3年を過ぎようとする今、国の再建補助金の初交付が全国で初めて決まりました。兎に角、嬉しいことです。これからが次なる頑張りどころです。
 今朝、喜びのメールを送りましたが彼から頂いた返信メールです。
「おはようございます。
お陰様で直政さんを始め多くの皆様方のお力添えがあり、今日を迎える事が出来ております。まだまだこれからが正念場になってきます。想いは必ず形に成ると信じております。正々堂々、現状と向き合い最善を尽くしていきます。いつも温かい励ましをありがとうございます。文彦」
 一陽来、ここでも少しずつ春が近づいてきています。ありがたく、嬉しいことです。

2014年2月14日金曜日

280「甲午信念」2014,2,14

 世の中は東京都知事選挙、佐村河内守さん、ソチオリンピックと色とりどりに流れています。時間は二つあると言います。クロノスの実時間とカイロスの体感時間です。クロノス時間に支配され、外の情報に翻弄され自分を見失う中で自信を失ない、鬱的な症状で健康を損なう、そんなストレス過多の時代です。
 今の時代に常に縁する方々に光を送り、頭を飛ばして、イキイキワクワク、自分時間の喜びを感じて、自分の幸を見い出す、気づき、機縁を頂ける方がいます。宇宙僧、杉浦清始師です。天命塾の育ての親です。小山市に根本道場を開かれてから毎年新年正月に皆さんと伺う新年の信念会です。今年も1月26日に26名で信念会楽しく開催出来ました。
 
 仙台駅から10名程8時過ぎのやまびこに乗り、車中で楽しい歓談をしていると西の山に綺麗な虹が現れました。楽しい集いには祝福の虹がいつも現れてくれます。嬉しい、天と地と人との呼応を感じます。

カイロス時間はあっという間で、もう10時、小山駅に到着です。改札口で仲間が待ち受けてくれていて再会を喜び合い、20名程でタクシーで道場に向かいます。
 小山は良い天気で暖かいです。道場に着いて御導師、奥様の挨拶をして清掃のご奉仕を皆さんでさせて頂きました。



 11時から御導師のお話しお題目、信念宣言、お屠蘇と福袋を頂きました。御導師から頂いたお話を紹介します。


「成りたい自分をまず宣言することです。この第三次元で行われている事は、訳が分からずに頭を叩かれても、意味が無くても、そのことにありがとうございますと言う事です。そうするとそれ以上危害を加えないのがこの世の仕組みです。しかし、この次元で森羅万象に対してただ「ありがとう」のマントラは無いのです。その中で南妙法蓮華経のお題目を唱えると皆が味方してくれるのです。
 お題目を108回唱えるのは煩悩を消す為です。新年の初日の出と12月31日の日の出とは違いが無いのですが正月の日の出は特別と思います。それは意識が違うだけです。だからここ、根本道場で、この信念会でお題目を唱えて行くことで煩悩が消えて行くのです。
「そう思うとそうなる」はSOS理論ですが、そう思ってそうすることで思うような事が出来ます。
 K,Tさんの御主人が2013年11月3日に生前葬、新生祭をしました。そこで彼女は新しい家を持つことを思いました。それによってご主人が仕事をしてそれ相応のお金が入って来るバージョンになっているのです。今日は残念ながら参加できなかったのですが、参加者の皆さんに福袋を用意して送って下さっています。どんどんその想いの実現の流れが彼女に注がれています。宇宙エネルギーは無限ですからSOSで楽しく行けるのです。

 2013年は比較のバージョンでしたが、2014年は比較無しの時代となります。比較することなく、只々、笑うことで幸せを呼べるのです。意味も無く笑うのです。笑顔で福が来ます。先取り特権を使い、今、奇跡みたいなことを起こすのです。その為には断捨離が一番です。それは善き巡りには必要なことです。この世の中にどうしてもしなければ成らないことはないのです。
 欲しいものを望んで後の詳細は天に任せるのです。ただただ安心して楽しむ。そう思ったら直ぐ叶うのです。現実に起こる事はスクリーンの映像です。それは意識の中のスタジオで作っている仕組みが現れて映し出されている姿です。宇宙のエネルギー法則で本当に思うと叶うのです。2014年以降は想いの実現が早く進みます。
 素直な人に宇宙エネルギーがすっと入って来きます。特に4歳くらいまでの子供の魂に直ぐに入るのです。ようは馬鹿に成れれば良いのです。頭を飛ばせば馬鹿に成れるのです。

 今年の言霊は「午年は軽遊年、軽く遊び心で幸招き!」です。

その意味は「面白さを持っているのが軽い。信じているところ、委ねているところ軽い。淡くして軽くすれば叶う。」のです。軽く遊び心ですることで思いは叶い、幸せが来るのです。

しかし、今日に皆さんに以下の想いが浮かびました。
「何とかしてあげたいという思いを外す。
 あの人が自立できるように何とかしてあげたい。その人を支援してあげたいという強い想いを外す。
 心を澄ませ、宇宙に空間に委ねることです。委ねるのはその人の事でなく、自らの心を宇宙の回路に委ねるのです。
 相手に状況や事情は無く、我の思いた状況や、思いが創られて行きます。
 本来、我に思いはありません。天の仕組みに従っているだけです。」

 とても大事な事です。我々には兎角、大きな勘違いがあります。これをしっかり感じて今年を、軽く遊び心で幸招きの年にして下さい。」

 御導師には年に何度かお会いする機会がありますが今年も未知行きに光を灯して頂き嬉しいことです。
 各自も爽やかに今年1年の信念の宣言をされてイキイキワクワク状態でお待ちかね食事会に成りました。



 宴会は凄い盛り上がりで例年に無いくらいビール、お酒が飲まれて用意したものがほとんど無くなりました。料理等の用意はいつも宇都宮のSさんとTさんがして下さいますが古くからの善き縁者でありがたい方々です。今年は特にTさんがとても素晴らしい御もてなしの手料理を作って下さり皆さん大喜び、大満足でした。




 カイロス時間は楽しく喜びで満たされているのですが、あっという間にクロノス時間に引き戻されます。しかしここでのカイロス時間での味わいが宇宙エネルギーと素直に繋がり、いのちを蘇えさせる高い質のエネルギーで歓喜いっぱいです。


 17時頃には道場を失礼して解散と成りました。我々小山駅組は駅で2次会?をして予定の新幹線を1つ送らせて帰仙と成りました。

 2014年は甲午の年。十干の始まりで12支の中間の年です。今年の動きについては以下のように言われています。
「 世の中、新たな十年が始まる年である。必然的に世の中の動きは、手探りになるだろう。それぞれの国、そして人々は利己を図る思惑で動き、御時世は千差万別の行動を受け入れる。行動が正なのか邪なのかを問わずに受け入れるので、御時世は糸が絡み合った状態に陥るだろう。世の中を適合さす動きである。この為の行動は非常に激しく、極めて強い力を要する。なにしろ、世の中の流れを変える動きだ。
 今までの慣習 既成観念は大きく揺さぶられ、世の中は騒然となる。
 “甲午”の年は人間の本性があからさまに、発揮される年である。従来の踏襲を望む者、新しい枠作りを企てる者、その他様々な人間の行動を受け入れる年と云っても、過言では無いだろう。
 好き放題の動きが起きる“甲午”の年。当然、人々の通念 目標はバラバラになる。共通するのは、国 企業 個人全ての目標が利益である事。したがって、あちらこちらで衝突が頻発し世の中は騒然となる。そして従来の協定 約束などは、反古同然となる。所謂、乱世だ。」

 そしてこの年だからこそ「豊」がキーという方がいます。それは立花大敬さんです。立花大敬さんは天命塾の名付けの親で、今年は「豊」な年になるか、そのテーマを学ぶ年と言います。
「神の豊穣の気は是を受けよと常にある。しかし受けられない人がいる。自分が自分がと突っ張る事を止め、至らないところを正直に認める。人のせいにして非難することを止め、自分が弱い、欠点多い人間であることを受け入れて、一切を神様の愛の力を信頼して素直にお任せすること。閉ざしていた心を神様に向けてオープンにすると神様からの豊かなプレゼントが人や物を介し届く。
 しかし今年は景気が良くなったとしても浮ついた行動に走ってはダメ。まだまだ我々の出番は来ない。あせって今年先走りした人には王道を見失って末永い繁栄は来ない。
 今年は知識と経験を豊かにし、心を豊かにし、人と人との結びつきを豊かにする年にする。来る時の為に基礎的な人間力を豊かにする年にする。しかし自分だけ、自分のグループだけ豊かにとのエゴの道を進めば必ず行き詰る。公明正大な無私の大道を行けば、遠回りのように見えても早くゴール出来る。その選択の岐路に何度も直面する。王道を行けば人や物が離れ、損の道になるかもしれないが、そうなっても良いと覚悟を決めて歩み始めると眼前の景色が一変する。一時は後退した様に見えても天から豊かな流入が始まり発展して行く。
 しかし、軌道に乗れば乗る程、我欲の道に引き込まれないように自分を律して行く、自律の精神が大切だ。地上に積み上げた富は満月が駆ける様に散逸して行くが、天に積んだ富は尽きることなく子子孫孫に引き継がれる。天に徳を積むには、世の人の幸せの為に無私で見返りを求めないで、お金や労力や智慧を提供して行く布施の行をする事。
 今年は富が積み上がる年。しかし自身や家族の為に蓄積するだけでは<罪の積み>になる。その利益の一部を割いて世の為、人の為に差し出すことで、その富を天の銀行に預金したことになる。それは元本取り崩しにならずに、利子は必要が生じた時に天の銀行から届けられる。それは子の代、孫の代まで届くが、子孫がエゴで行きる人であれば届かない。」

 豊かさを皆さんと共に享受して軽く遊び心で楽しく今年は過ごしたいものです。今年も小山の会はありがたい、幸先の良い、豊かさ先取り特権の集いでした。


2014年2月5日水曜日

279「倭、ヤマト5」2014,2,5

 古事記でのヤマトタケル(幼少年時の名前は小碓命)征西については以下の内容です。
「父の寵妃を奪った兄大碓命に対する父天皇の命令の解釈の違いから、小碓命は素手で兄をつまみ殺してしまう。そのため小碓命は父に恐れられ、疎まれて、九州の熊襲建兄弟の討伐を命じられる。わずかな従者しか与えられなかった小碓命は、まず叔母の倭姫命が斎王を勤めた伊勢へ赴き女性の衣装を授けられる。このとき彼は、いまだ少年の髪形を結う年頃であった。
 九州に入った小碓命は、熊襲建の新室の宴に美少女に変装して忍び込み、宴たけなわの頃にまず兄建を斬り、続いて弟建に刃を突き立てた。誅伐された弟建は死に臨み、その武勇を嘆賞し、自らをヤマトヲグナと名乗る小碓命に譲って倭建(ヤマトタケル)の号を献じた。
 その後、倭建命は出雲に入り、出雲建と親交を結ぶ。しかし、ある日、出雲建の太刀を偽物と交換して太刀あわせを申し込み、殺してしまう。」
 東征は以下です。
「西方の蛮族の討伐から帰るとすぐに、景行天皇は重ねて東方の蛮族の討伐を命じる。倭建命は再び倭姫命を訪ね、父天皇は自分に死ねと思っておられるのか、と嘆く。倭姫命は倭建命に伊勢神宮にあった神剣、草那芸剣(くさなぎのつるぎ)と袋とを与え、「危急の時にはこれを開けなさい」と言う。
 倭建命はまず尾張国造家に入り、美夜受媛(宮簀媛)と婚約をして東国へ赴く。
 相模の国で、国造に荒ぶる神がいると欺かれた倭建命は、野中で火攻めに遭う。そこで叔母から貰った袋を開けると火打石が入っていたので、草那芸剣で草を掃い、迎え火を点けて逆に敵を焼き尽くす。それで、そこを焼遣(やきづ=焼津)という。
 相模から上総に渡る際、走水の海(横須賀市)の神が波を起こして倭建命の船は進退窮まった。そこで、后の弟橘媛が自ら命に替わって入水すると、波は自ずから凪いだ。入水の際に媛は火攻めに遭った時の夫倭建命の優しさを回想する歌を詠む
 その後倭建命は、足柄坂(神奈川・静岡県境)の神を蒜(ひる=野生の葱・韮)で打ち殺し、東国を平定して、四阿嶺に立ち、そこから東国を望んで弟橘姫を思い出し、「吾妻はや」(わが妻よ……)と三度嘆いた。そこから東国をアヅマ(東・吾妻)と呼ぶようになったと言う。また甲斐国の酒折宮で連歌の発祥とされる「新治筑波を過ぎて幾夜か寝つる」の歌を詠み、それに、「日々並べて(かがなべて) 夜には九夜 日には十日を」と下句を付けた火焚きの老人を東の国造に任じた。その後、科野(しなの=長野県)を経て、倭建命は尾張に入る。
 尾張に入った倭建命は、かねてより婚約していた美夜受媛と歌を交わし、その際媛が生理中なのを知るが、そのまま結婚する。そして、伊勢の神剣、草那芸剣を美夜受媛に預けたまま、伊吹山(岐阜・滋賀県境)の神を素手で討ち取ろうと、出立する。
 素手で伊吹の神と対決しに行った倭建命の前に、白い大猪が現れる。倭建命はこれを神の使いだと無視をするが、実際は神の化身で、大氷雨を降らされ、命は失神する。山を降りた倭建命は、居醒めの清水(山麓の関ケ原町また米原市とも)で正気をやや取り戻すが、病の身となっていた。
 弱った体で大和を目指して、当芸・杖衝坂・尾津・三重村(岐阜南部から三重北部)と進んで行く。地名起源説話を織り交ぜて、死に際の倭建命の心情が描かれる。そして、能煩野(三重県亀山市〉に到った倭建命は「倭は国のまほろば……」「……剣の大刀、その大刀はや」の4首の国偲び歌を詠って亡くなるのである。」

 景行天皇は兄を殺してしまった乱暴者ヤマトタケルを手に焼いて西征に熊襲退治に向かわせ、熊襲建と出雲建を卑劣なだまし討ちにする。しかし東征では叔母に泣きつき父の仕打ちを嘆き、最後は孤高の英雄として死んでしまいます。
ヤマトタケルは東国では人気がありますが西国では何故かありません。常陸国風土記ではヤマトタケルが天皇との記述すらあります。http://www5b.biglobe.ne.jp/~yottyann/73242955/

 更にヤマトタケルが亡くなったあと古事記に以下の事が記されています。
「倭建命の死の知らせを聞いて、大和から訪れたのは后や御子たちであった。彼らは陵墓を築いて周囲を這い回り、歌を詠った。すると倭建命は八尋白智鳥となって飛んでゆくので、后たちはなお3首の歌を詠い、その後を追った。これらの歌は「大御葬歌」(天皇の葬儀に歌われる歌)となった。
 白鳥は伊勢を出て、河内の国志幾に留まり、そこにも陵を造るが、やがて天に翔り、行ってしまう。」
 ヤマトタケルは白鳥になって飛び立ち、舞い降りた河内に御陵が造られます。何故に后達がヤマトタケルを偲び作った歌が大御葬歌として後からの天皇の葬儀で歌われるのか。ヤマトタケルはヤマト王権に利用されて無碍に扱った天皇がその怨霊を恐れての事なのか。はたまた本当は国を平定するに貢献した天皇だったのか。どこまで史実でどこから神話なのかはっきりしません。多くは記紀を創作した側の意図があるのでしょう。
 白鳥については羽衣伝説で豊受大神、トヨ、武内宿祢との関連事が言われています。更にはこのヤマトタケルの神話に似た神がいて出雲神のスサノウだとの指摘や、雄略天皇の事だという指摘もありますがいずれにしろ大和朝廷創世の頃の隠された史実がある様です。

 しかし大和の心に込められている意図は大切にしたいものです。その大和の心については以下のように記しているのに出会いました。
「大きく和する精神。和することが統べることであることを知る完全覚醒した心、すなわちZION(シオン)なのです。この精神はこれからの新しい世界を築く根本的な精神であり、宇宙の根源の精神であるのです。このZION=大和心=全ては1つ=宇宙の根源意識、である究極の真実を知っている人々は、まだ、世界でもほんのわずかな人々だと思われます。」
 シオンとヤマトは同じとの指摘です。「シオンはイスラエルのエルサレム地方の歴史的地名のこと」でユダヤの故郷でもあります。
 ヤマトについては「ヘブライ王国の神・ヤハウエの民を意味するヘブライ語‘ヤァ・ウマトゥ’が変化したものであろう」、とのことです。
 更に「失われたイスラエル10支族が日本に新しい国家を建設した時、国名を「ヤマト」としても不思議ではない。」とも言われています。
 天皇は「スメラ・ミコト」の公式名で呼ばれていますが、これは「古代ヘブル語の一方言で、『サマリヤの王』という意味」で「サマリヤ」は、北王国イスラエルの別名なのです。
 更に日本最初の天皇「神武天皇」の名は「神倭伊波礼毘古命」と書いて「カム・ヤマト・イワレ・ビコ・スメラ・ミコト」といわれます。これもヘブル語で訳すと「サマリヤの王、神のヘブル民族の高尚な創設者」という事です。 ここでも、失われたイスラエル10部族の日本への渡来のことが伺えます。

 京都で行われる祇園祭りがありますが、このギオンは「本来のヘブライ語では『ツィオン』であり英語読みでは『ザイオン・ジイオン』となる」といわれ本来はシオン祭りだとも言われています。ユダヤとの関係が色濃くヤマトには在るといえそうです。
 
 祇園祭について以下の記載があります。
「祇園祭は清和天皇の御世に、疫病が猛威をふるい、その原因をスサノオ怨念としてその怒りを静める為に牛頭天王を祭り疫病の退散を願ったものが始まりとされる祇園祭の神幸祭は7日間に渡って行われるが、イスラエルの過ぎ越し祭や仮庵祭も同じく7日間なのだ。仮庵祭では庵を建てるが、祇園祭では山鉾を建てるのである。
 そして7月17日は、あの洪水伝説のノアの箱舟がアララト山に流れ着き、救われた日である。祇園祭は人類が全滅を免れ、救われた日に行われるのである。更に祇園祭の山車はノアの箱舟を象徴するものだとする研究家も存在する。」
 祇園祭は八坂神社のお祭りです。八坂神社は「斉明天皇2年(656年)、高句麗から来日した調進副使・伊利之使主(いりしおみ)の創建」とされ御祭神は素戔嗚尊 と御妃の稲田姫命と8人の御子の八柱御子神です。
 今回、八坂神社を参拝しましたが京都の祇園に鎮座する社は楼門、本殿ともに朱に染まっています。早朝ゆえ参拝者もほとんどいない中ゆっくり巡りました。




 倭、ヤマトを訪ねての巡りでしたが、色々調べる中にいろいろ分かったことがありました。古事記、日本書紀のもつ不整合性となぜ同時期に二つの国書を作らせたのか。それはその矛盾がやがて明らかにされることを意図していた。と指摘する方がいます。
 そしてそこに記されている神武天皇以降の天皇は決史8代どころではなく、神武天皇から18人の天皇が全て同一人物という図式が出来上がるとも言います。それは「神武天皇=崇神天皇=神功皇后=応神天皇=仁徳天皇」というすさまじい仕掛けです。
 その真偽は解りませんが、前に記した神話の神々がユダヤの神々と同じ構成であることが持統天皇、藤原不比等の大きな意図を感じます。いまだ明らかにならないヤマトの世界ですが、結果的にヤマトはシオンに繋がった今回の旅でした。

278「倭、ヤマト4」2014,2,4

 元伊勢を巡り更に元出雲の地へ向かいました。元出雲という名はそれほど知れ渡っていないのですがあるのです。それは京都府亀岡市にある丹波一宮、出雲大神宮です。
 亀岡市街地を抜けて郊外の田園にある御神体山の御蔭山の麓に鎮座していました。御神石の夫婦岩で写真を撮るアベックもいて、さすが縁結びの神様で有名です。参拝の方々で御神水の真名井の水、拝殿奥にある磐座、瀧、等々のパワースポット巡りの方々も沢山です。山、磐、瀧、水と自然の存在を祀った古い聖地です。





 拝殿の前には大八洲国国祖神社(おおやしまのくにのみおやのじんじゃ)と書かれた駒札がありますが、大八洲國とは日本のことで、国をお産みになられた国祖、大国主命が祀られている神社ということです。

 同じく大国主命を祀る、島根県の出雲大社は昨年60年遷宮をしましたがそこも縁結びの神で有名です。その出雲大社は実は古来から杵築大社と呼ばれていました。その杵築大社が出雲大社と名乗り始めたのは明治4年になってからです。その為、この出雲大神宮はそれまで出雲神社と名乗っていたのを出雲大神宮と言うようになったとのこと。ですから江戸時代までは出雲と言えば出雲大神宮を指していて、それゆえに「元出雲」とも呼ばれているとのことです。何故に名称変更が成されたのかなと思います。

 出雲大神宮の由緒は以下の通りです。
「当宮は大国主命とその后神、三穂津姫命御二柱の御神格を併せて主祭神と称え祀り、丹波國に御鎮座なされています。(他に天津彦根命・天夷鳥命を祀るという説もあります)。
殊に三穂津姫命は天祖高皇産霊神の娘神で、大国主命国譲りの砌、天祖の命により后神となられました。
 天地結びの神、即ち縁結びの由緒は叉ここに発するもので、俗称元出雲の所以であります。
 日本建国は国譲りの神事に拠るところですが、丹波国は恰も出雲大和両勢力の接点にあり、此処に国譲りの所由に依り祀られたのが当宮です。
古来大平和の御神意に拠り、国と国人総ての結びの大神を祀るとして上下の尊崇極めて篤く、崇神天皇再興の後、社伝によれば元明天皇和銅二(709)年に初めて社殿を造営。
現社殿は鎌倉末期の建立にして(旧国宝・現重要文化財)それ以前は御神体山の御陰山を奉斎し、古来より今尚禁足の地であります。
 又御陰山は元々国常立尊のお鎮まりになられる聖地と伝えられています。」

 この由緒を読むと何点か疑問が起こります。
 御祭神は大国主命と后神の三穂津姫命です。三穂津姫命は天祖高皇産霊神の娘神で、大国主命国譲りで、天祖の命により后神となった。大国主命は国津神で、天祖高皇産霊神の娘三穂津姫命は天津神です。つまりは大国主命は国譲りという中で、天津神の支配下にはいり、后に常に監視される状態にあったと言えます。
 更に崇神天皇再興の後、とありますが崇神天皇に付いてはこれまで再々記していますが倭、ヤヤマト王権の要の天皇です。崇神天皇の略歴に以下のようにあります。

「崇神天皇10年9月、大彦命を北陸道に、武渟川別を東海道に、吉備津彦を西道に、丹波道主命を丹波(山陰道)に将軍として遣わし、従わないものを討伐させた(四道将軍)。 
 しかし、大彦命だけは異変を察知して和珥坂(わにのさか、奈良県天理市)から引き返し、倭迹迹日百襲姫命の予言から武埴安彦(たけはにやすびこ、孝元天皇の皇子)の叛意を知ることとなる。武埴安彦は山背から、その妻吾田媛は大坂からともに都を襲撃しようとしたが、天皇は五十狭芹彦命(吉備津彦命)の軍を遣わして吾田媛勢を迎え討ち、一方の安彦勢には、大彦命と彦国葺(ひこくにぶく、和珥氏の祖)を差し向かわせ、これを打ち破った。10月、畿内は平穏となり、四道将軍が再び出発。
 崇神天皇11年4月、四道将軍が地方の賊軍を平定させて帰参、その様を奏上した。」

 この丹波の地は、大和政権に服従する前は、出雲や吉備と同じようにひとつの古代地域国家として存在していたようです。しかし崇神天皇の時に服従させようと四道将軍を遠征させ吉備と同じように、出雲が服従する前に大和政権に服従した地域のようです。
『丹波国風土記』逸文には
「奈良朝のはじめ元明天皇和銅年中(708-715)、大国主命御一柱のみを島根の杵築の地に遷す。すなわち今の出雲大社これなり。」と記されており、大国主命を出雲大神宮より島根に分霊したということが載っています。
 元明天皇は天智天皇の皇女で、天武天皇と持統天皇の子・草壁皇子の正妃です。記紀神話の創世時期に合わせて杵築大社は霊亀二年(716年)に創建されています。大国主命が亡くなって800年後です。出雲の国譲り神話では大国主命は国譲りと引き換えに大きな社を要求したとあります。果たして日本の創世の記紀神話は事実なのか神話なのか、それに合わせて事象を創世しているのかと素朴に思います。
 記紀神話に登場する日本の神々はユダヤ神話に登場する神々と相似しています。何とも不思議なくらいに数も事象も似た内容です。ルーツが同じなのか、その事実を知ってひな形ととして活用して神話を創作したのか真偽は解りません。しかし記紀を作成した意図は日本の起源の正統性を記す事であり、統治者の思惑が明らかにあり、以後それで歴史を正史として教化して行くことです。記紀以外の古代の書物をを偽書扱いとし、神社の御祭神の名を変えたりして来ていて、少なくても日本では1300年以上にわたり成功していると言えます。

 大和心、大和魂、大和撫子などの言葉を普通に使っていますが、ヤマト王権が誕生し創世のある時代の天皇が治めていた地の名前、倭、ヤマト、大和が使われるのでしょうか。都としては一番長いのは平安京ですが平安心とは言いません。そのルーツは以下のように記されています。
「大和(やまと)は、日本の異名。大倭・大日本(おおやまと)という雅称も指す。大和朝廷が五畿の一つ大和(現在の奈良県)に在ったことに由来する。初めは「倭」と書いたが、元明天皇の治世に国名は2字用いることが定められ[1]、倭と通じる和の字に「大」を冠して「大和」と書くように取り決められた」
 ここでも元明天皇の名が出ています。

 さてヤマト、大和、日本を冠する人物としてはヤマトタケル(日本武尊・倭建命、景行天皇2年 - 43年[)がいます。第12代景行天皇の皇子で第14代仲哀天皇の父です。(詳しくはウイキぺディアを参照ください。)
ヤマトタケルの以下の歌は有名です。
「倭は 国のまほろば たたなづく 青垣 山隠れる 倭しうるはし」
東国遠征を終えて非業の死を遂げるのですがその病魔に侵されて伊勢鈴鹿の地でヤマトを偲んで読んだものです。
 ヤマトタケルの名はヤマトを建てたミコトの意味ですが、ヤマト建国に係った存在のように思えます。その存在にも些か不思議なこと、興味深い事があります。