2014年5月2日金曜日

301「須佐、雲太4」2014,5,1

 熊野大社と出雲大社は共に出雲一之宮ですが、かつては何事も熊野大社の方の格が上位であったようです。この地には出雲大社を超える2つの神社がありますがその一つが熊野大社で、もう一つは神魂(かもす)神社です。かつては熊野大社が一之宮で杵築神社(出雲大社)が二之宮でしたが、出雲国造家が熊野から杵築に移り、共に一之宮になり現在に至っています。
 しかし熊野大社は現在も出雲一之宮として、出雲国造の世継ぎの儀式の火継式(神火相続式)や新嘗祭等の重要な儀式は出雲大社宮司の出雲国造家が熊野大社に出向いて行われています。
 火継式(神火相続式)については以下の記載があります。
「火継式は出雲国造が代替わりの際に行う儀式であり、神火相続式とも呼ばれる。
 前国造が帰幽(死去)した際、新国造は喪に服す間もなくただちに社内の斎館に籠もて潔斎した後、燧臼(ひきりうす)・燧杵(ひきりきね)を携えて、熊野大社に参向する。そして熊野大社の鑽火殿にて燧臼・燧杵によって火を起こし、鑽り出された神火によって調理された食事を神前に供えると同時に、自らも食べる。
 その後、神魂神社において饗宴を受けた後、出雲大社に戻り、奉告の儀式を行い、火継式は終了する。この儀式にて鑽り出された神火はその後、国造館の斎火殿にて保存される。国造は在任中この火によって調理したものを食べるが、国造以外はたとえ家族であってもこれを口にすることは許されないという。
 火継式の「火」は「霊(ひ)」であり、その火をもって調理されたものを食べることによって、天穂日命以来代々の国造の霊魂を自らの中に取り込むのだとされている。」

 熊野大社から須我神社に向かう予定で居ましたが、なぜか参拝して急に元気が失せて疲れてしまいました。時間も16時半ですのでこれから須我神社往復40キロは気力が湧きません。兎に角、早くホテルで横になり休みたい感じになりました。何かによるエネルギー収奪が起きたようです。今日のホテルは松江市内の宍道湖大橋近くです。松江へ向かう途中にある神魂(かもす)神社には寄ろうと思いハンドルを取りました。
 
 失礼した須我神社は是までも何度か訪れていましたが、スサノウと所縁が深い処です。
「『古事記』によれば、須佐之男命は八岐大蛇を退治した後、妻の稲田比売命とともに住む土地を探し、当地に来て「気分がすがすがしくなった」として「須賀」と命名し、そこに宮殿を建てて鎮まった。これが日本初の宮殿ということで「日本初之宮」と呼ばれます。」
 この宮は須賀の宮と言われます。そしてスサノウは歌を詠みました。
「この社を建てる時、美しい雲の立ち昇るのを見て、「八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣つくる この八重垣を」と歌われ、これが「出雲」の国名の語源となると共に、日本で一番古い三十一文字の歌として、この地は「和歌発祥の地」とされています。」
 
 神魂神社は出雲で私のお気に入りの処です。八雲立つ風土記の丘の近くにあります。
「社伝によれば、天穂日命(あめのほひのみこと)がこの地に天降って創建したものと伝えられるが、『延喜式神名帳』、国史や『出雲国風土記』に当社は記載されておらず、文献における初見は承元2年(1208年)の鎌倉将軍下文であり、実際の創建は平安時代中期以降とみられている。
 当社は出曇国府に近い古代出雲の中心地であり、社伝では、天穂日命の子孫が出雲国造として25代まで当社に奉仕したという。出雲国造家は現在は出雲大社の宮司家であるが、現在でも国造家の代替わりのときの「神火相続式」「古伝新嘗祭」は、明治初年までは当社に参向して行われていた。」
 天穂日命は以下の記載があります。
「天照大神とスサノオが誓約をしたときに、天照大神の右のみずらに巻いた勾玉から成った。物実の持ち主である天照大神の第二子とされ、アメノオシホミミの弟神にあたる。葦原中国平定のために出雲の大国主神の元に遣わされたが、大国主神を説得するうちに心服してその家来になってしまい、地上に住み着いて3年間高天原に戻らなかった。その後、出雲にイザナミを祭る神魂神社(島根県松江市)を建て、子の建比良鳥命は出雲国造らの祖神となったとされる。」
 
 神魂神社と出雲国造家は深い繋がりがあります。この地は出雲国造家の屋敷近くにあり国造家の祖神の天穂日命が降臨したところですが神社創建は平安時代まで下ります。神社が建てられるまで国造家は熊野大社も祀っていて、国造家が出雲大社に遷った後に熊野大社で行っていた神事をここでするようになっています。
 先に触れた火継式の神事、神火相続(おひつぎ)はここ神魂神社で行われます。天皇は太陽神の霊を引き継ぐ(日継ぎ)のですが出雲国造家は神火を継承します。国造は祖神の天穂日命の神霊を代々継承して天穂日命そのものになるのです。また大国主神を祀り、大国主神そのものになり同体と成ると言います。出雲国造家はそのように神霊を継承するので死なないと言われます。
 ですから国造が亡くなってもその死は隠され、亡くなっても衣冠を整えられて坐らされ食膳が供えられます。そうして嫡子が裏門から熊野大社に40キロを走り、神火(別火)を起こして国造館の斎火殿に灯して、新国造が亡くなるまで大切に守り続けると言います。
 
 出雲国造家についてはまた後で触れるとして神魂神社を参拝しました。鳥居からの参道を進むと男坂、女坂に分かれ右に折れて男坂の階段を登ると直ぐに本殿の拝殿です。本殿は現存する最古の大社造りで昭和27年3月に国宝に指定されています。なんと私の生年月です。御祭神についてのイザナミ神は中世末期になってからで、出雲大社が出来て遷るまでは大国主命(大己貴命)と言われています。








 主祭神は伊弉冊大神(イザナミ)で伊弉諾大神(イザナギ)が合祀されています。神紋は二重亀甲に有です。出雲の神有月の十月の、「十と月」で有でこの地に神がいますと言う意味とか。亀甲は出雲系の神社に用いられるものが多いです。
http://bell.jp/pancho/travel/izumo/kamosu%20jinja.htm 
http://09270927.at.webry.info/201207/article_4.html

 こじんまりした敷地に収まるこの雰囲気が心地良いものがあります。参拝者もほとんどいないのでゆっくりできました。参拝して暫し留まり、古の世界と繋がる異界の時空に浸りました。1昨年ここを参拝した時に本殿を写真に撮ったところ、なぜか色が変色して撮影されていました。不思議な世界です。その写真も上げておきます。


 少し元気が回復してきましたので直ぐ近くの八重垣神社に参拝しました。この神社は以前は佐久佐神社と言われていたようで、八重垣神社が須賀から移されています。スサノウと妻のクシイナダ姫の良縁にあやかり縁結びの神様として有名です。流石に若い女性の参拝者が沢山でした。
「素盞嗚尊と櫛稲田姫を主祭神とし、社伝によれば、素盞嗚尊が八岐大蛇を退治した後、「八雲立つ出雲八重垣妻込みに八重垣造る其の八重垣を」と詠んで櫛稲田姫との住居を構えたという須賀(現在の雲南市大東町須賀)の地(須我神社)に創建され、後に、青幡佐久佐日古命が祀られる佐久佐神社の境内に遷座したという。」
 奥の院は、鏡の池と呼ばれる神池や夫婦杉と呼ばれる2本の大杉、連理の椿があり、鏡の池では半紙を水に浮かべると文字が浮かび、半紙が沈む場所で吉凶を観る、良縁占いが行われています。私もやってみましたが果たして占いは如何なるものでしたでしょうか。
 まずは今日1日、朝早くから各所を巡ることが出来て、無事にホテルに夕暮れ時に着きました。