2014年6月12日木曜日

311「縄文スピリット2」2014,6,12

 5月24日、神人さんとの縄文の地、巡礼の旅in東北の旅に仙台駅を7時半にバスで出発です。
 今回の企画は神人さんから頂いたものでした。前回、昨年11月の会の時に神人さんと宿泊懇親会を始めて開催し、翌日は大和農場の散策会でしたが、その中で東北地方の今に残る縄文の世界を探訪し、巡礼してみたいとのことでした。
 訪問先は私の方でまとめたのですが、神人さんが初めての処がほとんどで、とても興味深く、楽しみにお越し頂いていました。私達も各所で神人さんがどのような交信、お言葉を頂くか、とても興味あるところでした。
 神人さんは仙台で新しい企画が他に先駆けて実施されるジンクスになっていますが、今回の旅行会も例にもれず、初の企画でしたので、今後各所で行われることになるかもしれません。
 
 最初の目的地は宮城県富谷町の大亀山森林公園 鹿島天足別神社です。この地は以前訪れて頂いた、大和町の石神山精神社と同様に大和王権の支配が及ぶ前、仙台の北部での古くから蝦夷の聖地であったところの様です。展望所からみる西方の舟形山、七ツ森方面は緑に覆われた森、山々が拡がり、人跡を感じない自然豊かな眺望を満喫できます。




 次は、テンメイ大和農場ですが、ここは神人さんには2年前から何度も訪れて頂いています。



農場と沢のお不動様、白石を皆さんに見て頂きました。前回、白石はかつて神人さんがお父様の為に祀った墓石であったとのお言葉がありました。今回も白石と対話されましたがその時のお言葉は以下でした。
「岩に刻まれた記憶がある。何年経っても対話が可能だ。その時代の己の親の記憶を封じ込めていて、後で来てそれを蘇えさせることができる。石にエネルギー、記憶を封じ込め、チャネリングする目的で墓石を造った。
大和で対話する!
 磐座にもその時代の記憶を入れて図書館のようにして、シャーマンがそこに繋がり、対話する。インターネットへアクセスする様なもので通信システムだ。
 この地はかつて聖地で、巨大なエリアだ。ここが中心的なもので、主な人が住んでいた。いろんな物、シンボル的な物が埋まっている。
 神人にとっては心地良いエネルギーで良い処だ。この先、訪れるところではどういう扱いをされるかは未知だ。ここは来る途中から迎えが来て、とても良い迎えをしてくれる所だ。他の処では帰れ、コールの処もある。神人が行くところはそのどちらかだ。」
 こんな内容のお話を頂きましたが、かつて神人さんもこの地にいたことがあるそうです。



 次は大崎市の東北自動車道の長者原SA近くの宮沢遺跡です。小高い丘に登ると眺望が開けます。南方に大和農場がある舟形山、七ツ森が見えます。遺跡を高速道路が分断する形で何とも・・と言う処です。


 しばし散策してからトイレ休憩で長者原SAに寄りました。その時丁度、何と雲間に虹色の水平の光と、元なる光が見えました。皆さんこぞって写真に収めましたが珍しい虹彩です。これは何らかの祝福と思うのが人情でしょう。前途への期待が膨らみます。


神人さん撮影画像

 次なる目的地は岩手県奥州市衣川区にある磐神社です。荒覇吐神(あらはばきかみ)を祀るところで、拝殿の奥に、御神体の巨石が鎮座しています。
 あらはばき神は定かなことは分かりませんが、縄文のころから蝦夷の祀る神で、大和王権にまつろわぬ民が信仰していた神と言われています。東北地方にその影響は強く、各所にみられます。



 田んぼの中にポツンと神社はありますが、昨年訪れた時よりは境内が整備され整えられています。巨石に対面した神人さんは岩に上がってあらはばき神の御神体の磐と対話を始められました。以下その時の内容をですが、神人さんのブログから一部抜粋させて頂き、紹介します。    

「先ずは、非常に印象的だったのが、岩手県奥州市にあります田んぼに囲まれた「磐神社」に伺わせて頂いた際、荒覇吐神(アラハバキ)を祀る巨石がありまして、こちらからコンタクトをさせて頂いたのですが、岩より色々なことをお教え頂きました。
 これまで、岩石との対話というのはしたことがなかったのですが、今回初めて対話させて頂きました。
 私はこれまで鉱物というのは、記憶媒体でしかないと思っておりましたので、過去のデータを頂く必要性がある場合に関わる存在という認識をしてきました。
 それは、今でも変わらないのですが、但し鉱物の中には人格的な要素を持った存在も稀にあり、対話が成り立つということを今回初めて体験致したのです。
 縄文時代からずっと、荒覇吐神=自然神の象徴として、その時代その時代の人々に祀られながら、身近に接し続けて来た為に多くの人々の記憶・念というものが鉱物エネルギーと融合して、そこに存在しているのだと思います。
 社の裏に祀られた在ります磐神より、「もっと近くに来なさい」と言われ、大変失礼ながらも私は岩の上に登らせて頂き、手を触れながら話しを聞かせて頂きました。


神人:(テレパシーにて)「昔の人々のお話を聞かせて下さい。」
磐神:(神人口上にて)「この地に居た者たちの記憶全てと言えば切りがあるまい。
 ひとつは、ここに人が居った頃、最初は他の星の者たちが居った。この地には、皆が必要なことをする為に来ていた。ここから、色んな生命体(もの)を産み出し、この地の人(もの)が産み出され、集い、生き始めた。
 それから、苦しみの思いが集まり始めた。人は奪う。壊す。残すものは必要なもの。  我々は動かぬ故にある。
 人を見れば苦しみが多くなった。かつて我々と関われた者(シャーマン)があったが、いずれも連れ去られては闇へと消えていった。
 この地での歴史は、やはり多かれ少なかれ苦しみ、壊す、奪う、罵る、それらが多く、わし等を祀っても、その意味も解らず苦しみに生きていた。
 本来であるならば、何を貴び変えねばならぬか、それが解れば喜び生きられたものに。
 苦しみ生きるは、人の愚かさ。自業自得な生き物。
 時だけが移り変わり、この地に生きる者だけが移り変わってきたに過ぎぬ。
 何が必要なのかを学び、良きに変われば良いものを…。」

磐神:(神人口上にて)「苦しむことはない。私(わし)はここに居続けているだけ。
 人が勝手に祀り、勝手に思う。私はここに居続けるだけだ。
 人の意識が、全て産み、壊し、喜び、苦しみ、変わっているだけ。
 私は私でしかない。この地で、この地に起こりうる一切を記憶してゆくだけ。
 必要なことは全て変化として刻まれるだけ。
 私と語り合う目的の者たちも居ろうが、私は記憶を伝えるだけ。
 この地に居る目的は何だ?」
神人:(テレパシーにて)「判らない。」
磐神:「目的が明らかではない。ならば、この地で何を望んでいるかを考えてみよ。
 楽しければ良いか?どのような歴史が在ったかを知れればいいか?」
神人:「はい。」
磐神:「ならば先ほど申した。人の移り変わり。苦しみの移り変わりだ。」
神人:「これからのことに対しては?」
磐神:「これからの世に対してか?私はここに居続けるだけ。変化を刻まれるだけ。
お前は人として何をしたい?」
神人:「よく判らない。」
磐神:「お前は私と話が出来る。何を望む?」
神人:「何も望まない…。」
磐神:「何も望まぬか?ならば今、この時を楽しめばいい。私と関わっている今が喜びであるか?」
神人:「はい。」
磐神:「ならばそれで良い。苦しむことを止めろ。
 お前の中にある苦しみはお前が望んだに過ぎぬ。望む故に苦しむのだ。
 望まなければ苦しまん。手放すことでもない。望まなければ良いのだ。
 私がここに居続けるように、お前はこの生を只居続ければ良い。
 その変化を只感じれば良い。望めば苦しみも訪れる。
 喜びというものは、変化を観ることだ。望めば喜びと苦しみ共に訪れよう。
 変化を見続けるということを喜びに出来るならば、穏やかに過ごせるぞ。
 己の欲は何だ?己の望みを刻みたいのか?残したいのか?それが苦しみの元であろう。
 人としてあるならば、人としてある今をその変化を楽しみむだけで良かろう。
 望めば苦しむのだ。苦しみたくなければ、望まぬことだ。人々は望み過ぎる故に苦しむ。
 進化とは、そういうことではない。望むことが進化ではない。必要に応じて与えられてゆくものを得てゆくだけ。
 己だけで生きているのではない。その時代その時代に応じた必要なものはちゃんと与えられる。
 与えられるものを喜び生きれば良いのだ。それ以外の物を望む故に苦しむ。
 であろう?」

 神人さんはとても納得していました。「求め、望むが故に苦しみが訪れるか。」ともらしていました。この間、神人さんが目指すものを邪魔する、阻害する霊団の影響を受け多くの苦難を受けていた中で頂いた、あらはばき神、磐神社での対話はある答えを頂いたようでもありました。

「お前はこの生を只居続ければ良い。
 その変化を只感じれば良い。望めば苦しみも訪れる。
 喜びというものは、変化を観ることだ。望めば喜びと苦しみ共に訪れよう。
 変化を見続けるということを喜びに出来るならば、穏やかに過ごせるぞ。
 望むことが進化ではない。必要に応じて与えられてゆくものを得てゆくだけ。
 己だけで生きているのではない。その時代その時代に応じた必要なものはちゃんと与えられる。
 与えられるものを喜び生きれば良いのだ。それ以外の物を望む故に苦しむ。」