2014年6月17日火曜日

314「日本人の役割1」2014,6,17

 はせくらみゆきさんは次元を越えて、平行宇宙を今ここで生きる方です。今年も仙台に来ていただける幸運に恵まれ、5月30日から3日間滞在頂きました。支倉常長の血縁でもあり、今回はアセンテッドマスターとなり、今に生きる支倉常長にも焦点を当てて、いろいろ紐解いて頂きました。

 30日朝仙台空港に迎えてまずは仙台テンメイ名取農場を見学して頂きました。3年前に初めて仙台に来ていただいた時は、3,11の東日本大震災直後で、まだ多くの被害の残渣が残っている時でした。幸い名取農場は、四方の隣地が津波に襲われているのに被害を免れることが出来ました。
 その時にみゆきさんは農場の植物に訊いてその状況を教えてくださいました。
「植物達がエネルギーバリアを張って、3度の津波の来襲からこの地を守ったこと、そしてその事を私達にしっかり皆さんに伝えて欲しいと、エリート意識の高いにんにく大王が話している。」
との事でした。

 今回もさっそく農場の野菜、野花と交流頂きました。大根の花は満開?で珍しい花畑です。巨大な三陸つぼみな、見頃のしゃくやくの赤い花、カモミールの群生、そしてマーガレット。ハウスの中の野菜たち。巨大キャベツ。じゃがいもも順調に育っています。










 にんにくさんは水不足で病気になってしまいましたが、みゆきさんがお話して来て下さったところによると、葉は病気でダメだけど茎、根は大丈夫、刈らないでくれてありがとう、大丈夫、変換転写してほしいと言うことです。
 小一時間ほど見学し、後は高柳亭で採れたてのエネルギー高い新鮮野菜を頂きました。とても美味しいのです。みゆきさんも大喜びでした。



 今回は支倉常長所縁の処を巡ることもみゆきさんの希望でしたので、常長の菩提寺で、みゆきさんのご主人のおばあさんのお墓もある、川崎町の円福寺に向かいました。
 円福寺の常長のお墓はお寺から山の方に登った高台にあり、見晴らしが良い処です。皆さんとお参りさせて頂きましたが、みゆきさんはしっかり参拝されていました。
 以前にここを始めて訪れた時に墓石の形と墓の両脇に置かれてある爬虫類?の姿の石像に驚きました。レプティリアンと繋がりがあるの?と思ったりしたのですが。
 お墓に参った後にみゆきさんにその爬虫類の石像の話しをしたら全然目に入っていなくて気づいていなかったようです。なぜどうして、です。しかしその宇宙存在をみゆきさんは認めています。


 墓地を更に登っていくと常長の居城だった上楯城址があります。公園とし整備されていますが、ほとんど訪れる人がいない感じです。本丸跡は杉林になっています。そこでみゆきさんは交信をされました。



「常長は物見師。霊性が高く、予知予見が出来たので使節団長に抜擢された。」
と言います。常長の詩でしょうか、以下の言葉が下されました。

「暁の夜明けて、いざ太平の世、現わさん。我の越し方、孤蝶の夢にもあらん。本懐果たせし、同胞(はらから)集う。」
「この世に生まれし仲間が集い。草の茎から葉が出て、ひとつの筋を通す茎の如く、ゼウス様、神から溢れる天意(あい)に貫かれた、心根の高さや、美しさが、筋を通す。
受けとめる子、そなたたちも真白き心と、いと高き志を持ち、我等と共に本懐を果たし、太平の世、ここに現されたし。」
「感謝のバイブレーションが届いている。」とも言います。
 更に、
「私は捨て石でない。全て計画通りだった。」
との言葉がありました。さぞや国賓待遇から突然、罪人となりその屈辱感は凄かったでしょう。そして、
「常長にはキリスト教だけでなく、大いなる天の天意(あい)がある事が響いていた。」という事です。




「今日集っている人達はその当時、常長と所縁がある方々です。KさんとTさんは一緒にスペインに行っている。しかしKさんはスペインに残った。Tさんは日本に帰ってきたが、人を笑わせたり、なごませる役割だった。Sさんは薬師士で薬を調合して船に持ち込ませて送り出した。
パウロ側で待っていたのが大久保で、スペインで出迎えた。キリスト教の司教のような首にひらひらのを付けた洋服を着ていて、フィエリッペと呼ばれていた。常長達を接待している。それはコルドバでの名前。今日ここに居ないけどTさんは司教の妻だった。Oさんはサンファンバウテスタ号の船を造った大工の棟梁。」
 みゆきさんは常長の息子でやがて斬首された常頼だったようです。
 フィエリッペさんは後で調べたらフェリペさんでスペイン国王かもしれません。
 http://ja.wikipedia.org/wiki/フェリペ3世_(スペイン王)
 みゆきさんは常長の息子でやがて斬首された常頼だったようです。

「常長は54歳に病気で亡くなった。墓が3つあるが、ここが最初の菩提で、暫くいたがやがて光明寺に移した。大郷には最近、政教分離の時に子孫が移した。」
とのことです。
 そして
「今、仲間が再結集している。それまでは布石だった。素晴らしい国を造る志が伴わないと完成出来ない。」
とのことです。今、天命塾、テンメイに集ってきている方々はその当時の仲間なのでしょうか。そこには素晴らしい国造りの志が必要なようです。上楯城跡を訪れたのはみゆきさんは初めてでとても感動していました。


 いよいよ最後の訪問先はテンメイ大和農場です。O農場長は名取農場で作業をしてその後こちらに来て私達を待ちうけていました。
 沢のお不動さんをお参りして畑の見学です。大根も実が沢山出来ています。食べて頂くと美味しいのです。エンドウ豆など試食して頂きました。







 畑から掘り出された巨石、白石と手を触れて会話です。その時のお言葉です。

「縄文の精神性を出してほしい。全てを“もの“として表していた心を表せて、意志を持ってする。意志は石と同じ。ここでやっている皆さんの調和の活動が、雛形になるので、先祖が応援している。」
 ここで言う“もの”は単なる物でなく、霊魂等、不可思議で霊力を持つ得体が知れない存在のことを指しています。
 石に触れていたみゆきさんが強烈なエネルギーを浴びて、暫し休んでしまいました。私も石に触れていましたので、やはり強烈なエネルギーを受けて、立って入れずに大和亭で横になって少し休みました。
「この強いエネルギーの存在は大物主だ。」
とみゆきさんが話されました。大物主ですか?と私は驚きの声を発してしまいました。大物主はニギハヤヒのことで、日本最初のヤマトの大王でスサノウの息子です。ヤマトの大王のエネルギーが大和の白石から発せられているのですか・・・・。先の言葉でも、全てを“もの”として表すとありましたが繋がりがありそうです。






 夕暮れ時に大和を後にして後は仙台市内に戻って、大黒で美味しい食事を皆さんで頂きました。明日は朝から講演会、セミナーです。