2014年6月27日金曜日

320「日高見3」2014,6,26

 7日朝7時半前に仙台駅に集合し、日高見・アテルイ・賢治の旅に出発しました。今回は12名の参加で自家用車3台に分乗して巡ります。今回の旅のお役目には、全てが丁度良いのでしょう。

 まずは6月4日にあった以下のお言葉に従い日高見の旅は開始されました。
「その時、発する大きなる音は光りなり。これ持ち行きて、日高見を望む、美しき地にて、再び集い、あわ歌響きて、繋がりませ。
 続きて参るは、海への歌の儀式。
 光りは新たに成り成って、東へ向かいて、発して下され。
 これより三日のその時ぞ。
 回りて、回りて、この地球回り行く。」
 
 最初の目的地は富谷町の大亀山森林公園展望台です。


駐車場についた時は曇りでしたが、山を登り展望台の上に着く頃には雨が降り出し、強風も吹き、生憎の天気に成りました。ですから眺望はあまりよくありませんでしたが、2週間前にも訪れた時の、日高見の緑に覆われた山々の美しい景色をまずはご覧ください。

 展望台は海抜138mにあります。これは富谷町(とみや)の町の名前からとったようです。展望台で6人と中山さんを中心にしてあわ歌を響かせました。



 その時のお言葉です。
 
「まずは、それぞれ受け取りたる音 発して下され。(拍手)」
 このお言葉を受けて、6人が昨日の儀式で与えられた音を発し、響かせ、光を放ちました。
 あわ歌聖歌隊の初仕事、デビューです。
「あ、い、う、え、お、あ(拍手)」

 この時、始めに私が“あ”を発したのですが一呼吸なのにとても長く音を発することが出来ましたが、まるで他人事のように、楽々と発している自分に我ながら驚きました。後で皆さんにも普通の倍くらいの時間、音を発していたと言われました。録音していたのを確認したら48秒程の長さだったようです。自分自身もこんな音出しは初体験で、昨日の儀式で頂いたもの、の様な気がします。
 その時のお言葉は以下です。

「讃えませ。この地にありたる多くの方々、共々参るはこの光。
 皆々知りて、共に参りて、新たなる日高見 参りましょう。」8時43分
 お蔭様で、無事にあわ歌を響かせ、繋がりを成す事が出来たようです。

 しかし展望台の立ち位置で風雨の影響が違い、ずぶ濡れの方もいましたが、山を下りてくると雨も上がりました。何とも変化の多い天気です。

 次の目的地は、海への儀式をおこなう処、多賀城市の陸奥総社宮です。多賀城政庁跡を右手に見て山手の方に進むと程なくして左手にあります。
 陸奥総社宮は以下のように記されています。
「本社の鎮座年月は明らかではありませんが、往古陸奥国の府内にして陸奥国府に属する総社で、かつて歴代の国司の奉斎したところとなります。国司は任国内の諸社に神拝することが定められていましたが、巡拝の手間を省くため、国内の神社を一箇所に集めて詣でることが広まりました。当社は陸奥国府多賀城に赴任した国司が、多賀城東門の近くに合祀勧請したのが始まりとされています。
 入り口となる鳥居を抜けた両側の神名額には、陸奥国大社15、小社85の神社名が列記されています。」
   


小雨降る中、本殿を参拝し、本殿横には樹齢600年以上の老杉は見事なもので、木肌が顔のように見えます。更に落雷か嵐で折れた枝が龍の頭のように見えるのです。

過ぐ近くに樹齢200年以上の白木蓮が聳えています。
そんな杉の巨木の脇で東方、海の方を向いてあわ歌を響かせ、更に6人で音を響かせました。その時のお言葉です。


「大いなるかな、この響きと光り、周りて、周り、東へ向かい、この地球を回り行く。
 古きを正して回り行く。
 現れ出でたる諸々は、光りと共に消え行くなり。
 周りて周る。」9時46分 
 この響きで地球を回り、古きを正し、現れ出た諸々は光りと共に消し行くとのことです。6人で発するあわ歌聖歌隊の響きにそのお役目があるようです。

 次なる目的地は一関市の配志和神社です。陸奥総社宮を出て左に進み高速道路の利府塩釜インターに向かいますが、総社宮から出て直ぐ右側の小道を入るとそこには荒脛巾(アラハバキ)神社があります。ひっそりと個人宅の庭先に祀られていますが、みすぼらしい感じが否めません。
 アラハバキ神は古代先住民の祖神、守護神と言われ、古代には関東、東北地方に多数祀られていたものですが、大和朝廷の支配下の多賀城府と、陸奥総社宮の近くにまつろわぬ神として取り込まれて、無礙に扱われていった象徴として見えます。塩釜神社もかつてはこの神を祀っていたのではないかとの記事を見ましたが果たして如何でしたでしょうか。
http://ameblo.jp/dr-hirokon/entry-11451538911.html
http://sanpomichi114.web.fc2.com/arahabaki01.html

 今回、これから訪れる岩手県奥州市衣川区の磐神社はそのアラハバキ神を祀るところです。陸奥総社宮で東に向かってあわ歌を響かせましたので、当然、そのすぐ下にあった、この荒脛巾神社と大和朝廷の出先機関の多賀城国府跡も、その光で古きを正され、諸々は光りと共に消えたことでしょう。

 さて配志和神社は一関市内の蘭梅山麓に鎮座する神社で、景行天皇の御代、日本武尊により創祀されたといわれます。鳥居から直ぐの白鳥神社のご神木の姥杉は樹齢1,000年と言われます。立派な木々の茂った、長く、広い階段の参道を登ると、正面に拝殿があり、左右に夫婦杉の樹齢1000年の巨木があります。立派な樹木の多い、広い境内を持つ神社です。http://www.genbu.net/data/mutu/haisiwa_title.htm
 車で本殿近くまで登り参拝してあわ歌を響かせました。この時のお言葉です。
「晴れて参り行く、この響きは、生まれ出でませ、新しきへの力。」11時27分     



終わった時に、中山さんは「三角形の岩が見えてて…、直ぐに来て欲しい」とおっしゃいます。それは磐神社のアラハバキ神の巨石ではと思い、予定の順番を変えて先に、磐神社に向かうことにしました。http://www.genbu.net/data/mutu/iwa_title.htm

 磐神社には中山さんも何度も訪れています。12時丁度ごろに到着しそうです。
 磐神社のアラハバキの巨岩に正午丁度に到着した時に、部落の放送でチャイムがなり、なんと、ふるさとの曲が流れるではありませんか。
 この時間にここで歌う事を、昨日、6月6日の大和農場の白石での正午の儀式同様に、意図されていたとしか思えません。確実に白石とこのアラハバキ神の巨石はリンクしていて、同じ時間に響かせるように仕組まれていた様です。なんという驚きの世界でしょうか。
 巨石に登って、直ぐにあわ歌を歌い始めました。
そこでのお言葉です。
「あ、あ、あ、あ、(拍手)」



 その後に、中山さんの指示で、Tさんが賢治の小石で大石を3度叩きました。この小石は、昨年、花巻市の宮沢賢治記念館近くの胡四王神社でTさんが拾ったもので、石っこけんちゃんの賢治の石と名付けて、今年のスペインポルトガルのあわ歌旅行にも同行した石です。
 実は、今朝、陸奥総社宮から岩手に向かう車中で次の言葉がありました。
「三度叩きてみなされよ。
 その時、伝え来ること聞きて、大いなる思いを一つと成されませ。
 一つと成れば、この身に入り来て、光と成りて発します。」10時6分
「大事に、大事に、ふつ、ふつ、ふつなり。
 大事に、大事に、うつ、うつ、うつす。
 カンタベリー大司教」
 磐が出たいけど出られないので叩いてほしいと願ってきたといいます。果たしてなぜここでカンタベリー大司教が如何なる意味を持つのでしょうか?http://ja.wikipedia.org/wiki/カンタベリー大主教 

「そろりと、ふらりと参るや。(拍手)
 はるけき時を越え来りて、ここにおわして諸々受けて、見事に続けたるはありがたき。 光持ち来て伺いました。如何なるや。(拍手)
 生まれ出で、はるけきへ参ろうぞ。皆々この時、待ちておる。(拍手)         
 今より光を送りましょう。(拍手)」

 ここであわ歌聖歌隊の登場です。
「あ、い、う、え、お、あ。(拍手)」

「立ちませ、この時、方々、皆々、いざ、いざ、いざよ。(拍手)」12時11分

 何人かの存在が現れていたようです。この時、中山さん達のあわ歌スペインポルトガル旅行時に、中山さんの靴の底に嵌ってくっ付いていた小さな石の色が、濃くなって変わってしまいました。巨石の変化に連動、共振しているのでしょう。
 磐神社から出発して車中でお言葉がありました。
「星空晴れて、大きく拡がり、ウルワシ響き。
 ハラ、ハレ、ハラリ。」12時37分

 これは磐神社のアラハバキ神の巨石での正午からのあわ歌奏上でもたらされたものだったのでしょう。
 大きなお役目を果たして皆さん満足、喜びがあふれています。

車中でお弁当を頂き、腹ごしらえして次へ備えました。