2014年10月9日木曜日

358「日高見遠野2」2014.10.7

 次の目的地は源休館跡です。義経北行で源義経が平泉から逃げる途中でこの地で休んだことから名付けられたと言います。伊手小学校の脇の杉林の中に有りますが、3つの巨石が鎮座していて、その巨石の間に地神坊稲荷神社の祠があり、お稲荷様が祀られてあります。
 http://www.uchinome.jp/oasis/kyoseki/kyoseki02.html
 http://home.s01.itscom.net/sahara/stone/s_tohoku/iwa_genkyukan/genkyukan.htm




 社の後ろで、巨石の間に全員が入ってあわ歌を響かせました。響きが反響する感じで、差し込む光も凄いものです。光を撮影する名手のSさんのカメラには綺麗な赤紫の光が写っていて、ビデオにも凄い映像が治まっていました。そこでのお言葉です。  
「大いなる北の仕組みを働かせ、この地に光を巡らせて、大きなる和を作らんと訪ねたり。ここより発するはこの新たなる光なり。
 お頼み申す。あ~。」10:40

 北の仕組みを働かせて、この地に光を巡らせて大きな和を作る事が目的です。それに答えて下さったようです。



  次は種山ヶ原の物見山です。種山高原は北上山地の中央にあり、放牧地として良く整備されています。その中にある物見山は駐車場から20分ほどで登れる手ごろなハイキングコースで、360度見渡せる最高の山です。物見山の山頂の少し手前にはモナドノックス(残丘)と言われる巨石が北に斜めに傾いていて、発射台のように聳えています。


   宮沢賢治の世界で登場する銀河鉄道の空間で、将にそこから北の空に向かって999列車が発車するような感じの岩です。賢治の童話の「種山ヶ原」「風の又三郎」「銀河鉄道の夜」登場しますが、賢治がこよなく好んで訪れたところです。
 賢治は「この高原の残丘(モナドノックス)こここそ種山の突端だ」と記しています。
岩の上に登っていると雲がでてきて風も強くなってきました。種山ヶ原は内陸と陸中海岸の境界にある山で年中風が吹いていると言います。ですから風の又三郎の舞台にぴったりの処です。
 そこに座ったままであわ歌を響かせました。その時のお言葉です。
「タンタンタンタンタンタン。あ~あ~あ~。タンタンタンタンタンタン。
 さあさあ~、皆々共に参りて、参られ、光を共に参られよ。
 タンタンタンタンタンタン。」12:53



軽快な中に次へ促すお言葉です。歌っている間に体はどんどん冷えてきました。下山は皆さん早足で駆け降りる感じです。物見山から少し下るとログハウスのコテージのあるキャンプ場の星座の森があります。そこでトイレをお借りして昼食のお弁当を頂きました。少し身体も温まり午後の活動を開始しました。


 私は今日は、朝から眠気も感じて頭がもうっとしていて、頻繁に欠伸が出ています。寝不足ではないのですが何か影響しているような感じです。午後もそんな感じでスタートです。
 種山ヶ原から下って国道397号線を東に向かい、途中から107号線を北上して荷沢峠を越えて遠野の地に入ります。その荷沢峠を越えたあたり車中で中山さんに以下の様なお言葉がありました。

「タマナイト、タマナイト。麗しきなり。
 広き大きなこの石には隠れし秘密あるなり。
 みんなみの島に行かれた時、尋ねなされ。」
 果たしてタマナイトとは固有名詞なのか、感嘆語なのか、どんな意味でしょうか。タマとは命、ナイトは勲章です。どうやら次に訪れる巌龍神社に関係がありそうです。そこには大きな岩山が聳えているのです。みんなみとは南の事で南の島とは、巌龍の巌流島の事でしょうか。すっきり明解な翻訳がでない間に巌龍神社に着きました。
 http://blog.goo.ne.jp/tako_888k/e/720b579a8d7a14cb08bdd38414bb1efb

 一目見て驚きの声が上がります。小友川に架かる赤い欄干の橋を渡ると神社ですがその背後に巨大な不動巌と言われる高さ54mの岩山がそそり立っています。巨大な石塔の様で岩が接合したような感じの岩肌があり、さながら龍が登る姿に見えます。神社はこの奇岩の不動巌をご神体として祀られたものです。小友川が蛇行して不動巌がそそり立つ地面には池や排水路の様なものがありここは島の様でもあります。




  車中のお言葉と勘案して考えてみても今一つはっきりしません。
 不動巌に向かってあわ歌を響かせました。その時のお言葉です。

「訪ねたるこの岩、その古き昔は大きく聳えて、この地の守りし印なり。
 美しき二つの大きな岩なり。
 はるけき是よりの旅に光を発して頂きたし。お頼み申す。」(拍手)
 うんたり、ひむふるる。ほういほうい、うみうみうむよ、あ~む。」13:49



 ここでも意味不明の言葉が最後に発せられました。果たして古のこの地の言葉なのか、アイヌ語なのか。どうやら御願いにはお応え頂いたような感じのエネルギーでした。
 中山さんに下りる言葉は最近は、英語、韓国語、アイヌ語、その他各種のものになって来ています。ご縁の方で翻訳できる人を探して訳して頂いていますが、しっかりとした文章になっています。当然、解読不能の物もありますが、色々な存在が光と言葉を発して来ているようです。
 
 山谷観音は巌龍神社から10分弱山奥に入ったところにあります。遠野には遠野七観音が祀られていますが、山谷観音がその第一観音です。

 遠野七観音については以下の様な記載があります。 
「遠野には昔から慈覚大師の伝説がある。
 嘉祥の頃(850年頃)、諸国巡歴中の慈覚大師は遠野において霊木を得て、この一本の木(カツラ)から七体の観音菩薩像を刻み、遠野郷の七ヶ所に祀った。これが遠野七観音である。
 一昼夜のうちに七観音をめぐると御利益がかなうと昔から伝えられており、昔はお参りも盛んであった。全て巡ると約110キロにもなりますが、昔は歩いてすべて巡ったでしょうから、その苦労は並大抵ではなかったと思います。そのぐらい大変だったからこそ御利益があったのではないでしょうか。数年前まではJRバスが「遠野七観音巡り」を運行しておりましたが、今は、自分で巡るしか方法はありません。
 遠野七観音と遠野の街を線で結ぶと放射状に延びて星の形になります。」

 七観音とは小友の山谷観音、松崎の松崎観音、上郷の平倉観音、鱒沢の鞍迫観音、宮守の宮守観音、土淵の栃内観音(山崎観音)、附馬牛の笹谷観音を言います。
http://www31.ocn.ne.jp/~m_niza/tono/tono8.htm