2014年10月9日木曜日

361「日高見遠野5」2014.10.9

 5日の朝はかなり冷え込みましたが良い天気で旅の二日目を清々しく迎えることができました。7時半過ぎに宿を出発して目指すは土淵町栃内地区にある舌出し岩です。
 宿から近くで20分ほどで着きました。国道340号線の道路に面してありますが樹木で注意していないと見過ごしてしまいます。



 巨石が積み重なり一つが飛び出ていて、呼び名のように舌を出しているように見えます。朝の早い時間で車も少なく道路脇に並んであわ歌を響かせました。その時のお言葉です。    
「やれ嬉しやな。
 この時迎えて、大きな響き、川越え、山越え、空に響きて嬉しやな。
 再び迎える嬉しやな。
 再び迎える嬉しき時を、只々夢見てここにあり、多くの時過ごしたり。
 待ちたるこの時、ありがたき。
 生まれ出でましょう、新しきへと。」8:17

 この光と響きを待っていて下さったようです。嬉しき中で、新しきへ生まれ出でる進みと成りそうです。今日も幸先良い出だしでしたが、冷え込みが強く皆さん寒さに震えていました。

 次の目的地は遠野三山の六角牛山の里宮の六神石(ろっこうし)神社です。山の中に立派な鳥居、駐車場があり階段を登って行くと広い境内に本殿が正面にあり、右手に屋根に苔や樹木が生い茂る神輿庫があります。本殿の奥には4つの境内社が祀られています。


六角牛(ろっこうし)山の里宮ですが山の麓に同じく六角牛神社があります。六神石神社の御祭神は表筒男命・中筒男命・底筒男命(住吉三神)・息長帶比売命・大己貴命を祀っています。由緒は以下ですが遠野三女神は一切ありません。
「人皇第51代平城天皇の御代、大同2年(807)時の征夷大将軍坂上田村麻呂、蝦夷地平定のため蒼生の心伏を願い神仏の崇拝をすすむ。時に六角牛山頂に薬師如来、山麓に不動明王、住吉三神を祀る。爾来陸奥の国中の衆民、衆団をなして登山参拝あとを絶たず、霊山として山伏の修行者も多く集まる。 第54代仁明天皇の嘉祥年代(848-851)元住吉といえる地に社殿を建立し、住吉神を遷し奉り住吉太神宮と称す。」
 かつては住吉大神宮と言われていましたが後に南部領となり、六角牛新山宮と合祀される事となります。1725年)。更に明治5年(1872年)神仏分離の影響で青笹村社六神石(ろっこうし)神社となっています。少し複雑な経緯を持つ神社です。

 住吉大神は禊祓(みそぎはらえ)の神であり神道でもっとも重要な「祓」のことを司る神で、また、住吉大神は海上安全の守護神ですが、何故山奥のこの地に海の神が鎮座したのかも良く分かりません。しかしこれは同じく禊祓の神の瀬織津姫を早池峰山に祀り、六角牛山に同様の神である住吉大神を祀り、その力でこの地を治める事をねがった大和朝廷の意図が働いていたと思います。

 神紋は八咫の鏡に16菊花紋です。中央が○でなく六角形で珍しいものです。遠野南部藩には篤く扱われていたようです。ここで少し横道にそれます。
 盛岡南部藩主南部利直が八戸根城南部22代直義に遠野への移封を命じた際に交付した、当時の「拾戸(とおのへ)遠野村付之目録」黒印状によると、「拾戸(とおのへ)」の記述があります。
「拾戸」は南部氏の10番目の領地を意味し、遠野が八戸などと並んで「拾戸」だったとされる言い伝えを証明する貴重な資料という事です。つまり、青森県と岩手県のまたがり一戸から九戸が知られていますが拾戸が遠野という事です。
 http://saint-just.seesaa.net/article/21633086.html

 境内社で神功皇后を祀る功徳神社、農蚕神社の前であわ歌を響かせました。その時のお言葉です。
「あ~。うたかたの月日をここに過ごし来て、遥かな時よりうかがい知りたる。
 この世、この地、もう十分なる。
 我等は大きく変わり行き、光と共のはるけきへと参る。
 今日の響きと光りをありがとうございます。(拍手)お~。」9:15


 次は遠野七観音第三番札所の平倉観音へ向かいます。先週下見に来た時の稲穂はまだ首を垂れてたわわに実っています。観音堂の前の田んぼには電気柵が回されています。よほどここには獣が出るのでしょう。南面の林の中にこじんまりとした境内にお堂はあります。
本尊は十一面観音で、谷行山細山寺として大同3年(808年)に創建されたと言います。


 本堂脇であわ歌を歌おうとしていると裏山の杉林の中に鹿がいます。我々に気付いて逃げずにこちらを見下しています。驚きです。鹿は神の使いと言いますが果たして如何なお迎えだったのでしょうか。


 あわ歌を響かせましたがその時のお言葉です。
「届けたり。この響きと光りを、新たなるへの光なり。(拍手)
 あ~。愛深き、暖かき、嬉しき、降る降る降り来た、光来た。
 ふつふつ湧き出で、新しき。
 この地を共に変え行きて進むは、新たな嬉しき道へ。
 楽しやな、楽しみぞ。さあさあ参ろう、共々に。」10:00


 歌い終わった時には鹿は去っていましたが、嬉しき、楽しみなお言葉があり、私たちも明るく軽い気持ちですっきりしました。

 次の目的地は上郷町来内にある伊豆神社です。来内とはアイヌ語で死の谷と言う意味の様です。県道沿い来内集落の中に小さな鳥居があり、階段を登るとこじんまりした本殿があります。周囲の杉林は枝払いされていて光は注いでいます。




 伊豆神社という名称については以下の様です。
「大同年間(806-809)早池峰を開いた四角藤蔵が来内権現を感得し、故郷の来内に草庵を建てて祀っていたところ、それを聞きつけた伊豆走湯の修験者が遥々やってきて、獅子頭を御神体として奉納したことに由来する。」
 ここには遠野三女神の母親神、瀬織津姫が祀られています。先に紹介した様に、この伊豆神社を頂点に遠野三山と三社がそれぞれ直線上に配置されています。神紋は三つ巴です。
 あわ歌を響かせましたがその時のお言葉です。
「あ~う~う~。(拍手)
 留めるものは何か。(拍手)
 うるむ、うぬるい、ふむうぬえ、はんた、はらり、ふ~。(拍手)
 如何に古きを留めんとも、この大きなる宇宙は進む。
 果て無き働きと共なれば、変わりて新たな旅生まれ、光差し来る時なるなり。(拍手)
 ひむかふる、きと申す成りや。ひたかきこの地を如何に成すや(拍手)
 ひたかき暖かき、深き地を輝きわたる嬉しきへ。(拍手)
 いざいざ、い~ざ~。さあさあ共に参ろうぞ。この光成り。(拍手)
 あ~(拍手)すさなる。」10:38

 長い問答がありましたがご理解いただけたようです。すさなる、まずは良かったです。



0 件のコメント:

コメントを投稿