2015年2月1日日曜日

396「酔狂1」2015,1,30

 1月30日は午前中から雪が降り始めて夜半まで降り続き、仙台ではこの冬一番の大雪に成りました。積雪20センチほどでしょうか。夕方から強まった雪で路面状態は悪化して各所で大渋滞です。私の医院のある中山は坂道です。丁度前の道の交差点信号で車が軒並みスリップして大混乱です。警官が来て車を押したり交通整理したりで大変ご苦労されていました。お蔭で来院患者様も少なくのんびり雪景色を楽しみながら仕事をさせて頂きました。

 1月25日、宇宙僧杉浦静始導師の栃木県小山市の根本道場にて新年信念会を開催しました。かれこれ多分平成11年から続く毎年正月に開催する恒例行事です。杉浦導師とは仙台天命塾創設以来のご縁で、天命塾の育ての親でもあります。
 天命塾も時代の流れ変化の中で創設時のメンバーは私とTさんの二人だけですが、新たな方々のご縁の繋がりで今に継続できています。杉浦導師の中にある大いなる存在と私のものとの深い共鳴共感があるのでしょう。師として導き頂く根本の性質の同調ともいえます。
 昨年12月の仙台で開催してチャレンジPPKの望念会でお会いした時に、又大きな変化が御導師にあったことを感じましたが、これまでも御導師の生き様の中にとても興味深いいのちの発露、真理を伝授頂ける事は私にとって貴重な学びのお与えです。

 御導師からは毎年の言霊、毎月の言霊をお送りいただいておりますが、なかなか奥深いもので、御導師ならではの切り口、表現に味を感じて楽しみに頂いて来ています。
 2015年の年賀状に頂いた今年の言霊は以下でした。
「羊年は、ふんわり、まあるく、酔狂で、お幸せに。」
 今年の言霊「酔狂年」の解説の文は以下です。
「月がとっても綺麗だったので持ち金すべてを散財して、危険を承知で、自由で酔狂な人生を選びました。」
 この内容に触れた時にこれは面白い、さすが御導師、益々この世を先取りして楽しんでおられる姿が髣髴とされ、感心していました。ですから今回の小山の信念会は殊の外に楽しみに参加しました。

人は感じて動きます。その感じ(かんじ)を直接他に伝える為に漢字(かんじ)、言葉が用いられます。かんじ、かんじです。しかし、その漢字の中身、真意を感じるセンサーと翻訳ソフトが無いとそれを受け取り活かす事に繋がりません。つまり、認識し、次の行動に進まないのです。
 己の感動を如何に縁ある方々にお伝えし、感じる、共鳴因子を呼びさまし、共鳴共振できるようにと場を成して来ているのですが、進めば進むほどに些かな違いを感じる状況に遭遇します。いまだ打てど響かず、笛吹けど踊らずです。
 しかし己の未熟と宇宙の深遠さを思いながら、それでもまあ良いか、と気を取り直して又我が道を行く。必要が全ての始まりだとしたらその必要がどれほどあるかが次の行動を左右します。物質的な事をあまり求めていると外へ向かい、その様な必要が膨らみます。したがって内なる声が聞こえずです。かといって外を閉ざしては天地人のエネルギーがバランスよく動かず、歪になります。全てはいろいろ経験して手放すことを学び、本当の必要を見い出して行くのでしょう。ですから全ての存在はその過程、途上にあり互師互弟なのでしょう。
 だからこそ、そこには先人の叡智と技術は不可欠です。そのように感じる、気づきの原点の学びを杉浦御導師に伝授頂きながら天命塾が是まで歩んできているのかなと思います。
 各自が感じていのちの喜び、意味を見い出し、天命に気付いて、行動の中で他に必要とされる存在へと豊かに成長し、そして他者の存在、ご縁に喜びを感じ、共にいのちを培い、御霊を輝かせる。それがある意味で生かされてある存在にあるいのちの前提条件の様に思います。
 ですから今年の「酔狂年」の言霊を伺った時に私の中で強く感じるものがありました。皆さんにもいつも通りお声掛けをして参加をお誘いしたのですが、今年は丁度良い具合の参加の皆さんでした。

 当日はとても良い天気に恵まれました。仙台始発のやまびこ号の自由席2号車は私達10名ほどでほとんど貸切状態です。楽しい会話の内にあっという間に宇都宮です。そこで、なすの号に乗り換えて小山は直ぐです。
 小山駅で合流したみなさんとタクシー3台に分乗して道場に向かいます。道場では杉浦御導師ご夫妻がお出迎え下さい、新年の挨拶もそこそこに掃除のご奉仕をさせて頂きました。




 11時過ぎには皆さん着座して新年新年会の講話が始まりました。最初に御導師からお言葉を頂き、お題目を唱和し、次にお屠蘇を頂いて、最後に各人の今年の関心事、目標を宣言して頂く段取りです。
 御導師のお話しから紹介します。


「時、将に混乱の波動に変わり、地球始め太陽系は何処へ向かうか、全く分からない方へ向かっている。これからイスラム国の様に人を殺すのが平気な世界になる。魂の次元でどういうふうに人間として生きて行ったら良いのか。日本も政治家始め、教育者、文化人も問われている。ノーベル賞もらった人は優れている人と思っているがそれはとんでもない。魂を磨き、今は文明発達したら人間抹消の結果に進んでいる。ノーベル賞をもらったら凄いと洗脳されていたら、それはどえらいことだ。
 各人がいのちを授かった。そして魂が肉体を頂いている。純粋な魂に戻り、エゴを無くし、地球レベルでなく宇宙レベルでどういう方向へ行けば一番良いのか、これからの世の中にどういう方向へ行くのが良いのか、そして幸せか。しかし宇宙での幸せはないが、天の理に従って生きて行くのが大事だ。
 いろんなことでこれまでいのちを持って行かれようなことに成った。まずは15年程前に悪性リンパ腫になったがまだいのちを授かっている。そして本当にいのちを頂いたこと、これで良いのか、お役に立てるならこのいのちを頂きたいと祈ってきた。

 また昨年10月29日から体調がおかしくなった。そして医者にやられそうになった。具合が悪いので安易に考えて入院した。突然、検査で血糖値が高いと言われ、いきなりインシュリンを注射された。1か月前の検査では正常値だったが、それはおかしい。そこは生かさず殺さずの医院で、直ぐインシュリンを打っている。全て営業の為で、患者を営業と考えて仕事をしている。政府も含め医療業界は結託している。医者に罹ったら何とかしてもらえると思う浅知恵ではどうしようもない。イスラム国含め、今の世の中はそういう波動になっている。人や医者や国家、文化、文明に委ねるのはもう終わった。自分は惑星、宇宙レベルで既に叶っているのが自分であり、自分で決めて行動する。