2015年5月26日火曜日

444「禅の会8」2015,5,26

 延命十句観音経は通算で3,000回唱えるのが基本です。そして願望はお経をあげる始めと終わりにするのが基本で、お経の最後に普回向を唱えます。
 普回向は以下です。
 願わくは此の功徳を以て普く一切に及ぼし(ねがわくはこのくどくをもってあまねくいっさいにおよばし)
 我等と衆生と皆共に仏道を成ぜんことを (われらとしゅうじょうとみなもとにぶつどうをじょうぜんことを)
 略三宝
 十方三世一切仏。(じーほーさんしーいーしーふー)
 諸尊菩薩摩訶薩。(しーそんぶーさーもーこーさー)
 摩訶般若波羅蜜。(もーこーほーじゃーほーろーみー)
 十方は四方八方の八と上下を合わせて十方で全てという意味で、三世は過去・現在・未
来の一切の仏様。諸々の菩薩行を行っている仏様。そして、摩訶般若波羅蜜は、摩訶=大いなる、般若=智慧、波羅蜜=至彼岸(悟り)で、偉大なる仏教的智慧の完成。

 延命十句観音経はいのちを伸ばすお経です。病気や精神的な悩みが解放される成功体験を得られます。このお経は白隠禅師が広められました。
 これによって、形体形成場が出来るので、人生を生きて行く武器として有効です。

 印としては合掌が一番良いです。両手が一体化して、目標と今を一体化出来る形です。次には、法界定印ですが、この印は宇宙全体を安定させるものです。ゆりかごに居るようなイメージでこの2つの印で良いです。



 常楽我浄のところですが、
常とは、いのちは永遠で、楽とは、いのちは本当に楽しいものだ。我、大我、アートマン、本当の私は永遠、無限だ。そして浄ということは、いのちは清らかだ、ということです。
 空、無、無常で、汚穢がこの世です。ですから小乗仏教では早くこの世を去る為に修行をします。しかし大乗仏教は、この地上は素晴らしい、永遠の喜びと捉えます。私がアートマンで清らかで、楽しいと言っているのです。

 私はこんな人生で良いのか、を繰り返してきたのですが、42歳から一気に変わりました。人生には皆、時機がありますので、兎に角、今やれることをしっかりすること。常に心にイメージしていると良いです。

 ここにいるとホッとしますが、日常でイライラすることを繰り返していても良いです。兎に角、自分を信じることです。自分の中に無限に向上して行く意志があるので、それに任せてすることです。つまらない事や、怒こられる事があっても、そこを進んで行くのです。 
 人生は綺麗ごとと違います。喜怒哀楽の世界の繰り返しです。それで良いです。なにしろ私が目指しているのは35世紀です。何度も生まれ変わり、繰り返し、繰り返しして会うのです。
 そして自分を責めない事です。現在の心境を認めて、受け入れることです。しかし良心的な人ほど自分を責めるのです。少し反省したら、直ぐに自分を受け入れ、抱きしめて、良し、良しをすると良いです。
 自分を愛し、許し、受け入れることが出来たら、相手を愛し、許し受け入れることができます。相手に敵を作り、イライラしている自分のここを治す、という考え方は間違っています。否定形は心には受け付けられません。

 禅の公案で有名なものがあります。百丈さんのところに夜に白髪の老人、昔の住職が現れました。間違った指導をして、「悟った人は因果の世界に落ちない」と言ってしまい、間違っていたのでキツネになってしまった。そして500回生まれ変わったがまだキツネだ。どう答えたらこの世界に落ちなくて済んだか、と百丈さんに聞きます。
「不昧因果で、因果をくらます事が出来ない」と答えます。それを聞いて気づいて、「ならばキツネとして生きて行こう」、と決めたら人間に生まれ変わることができた。と言う内容です。
 嫌な事を捉えると、否定的なことを再生産するのでそこから出られません。嫌な事を心にいつも描くので、形の世界にそれを作り、それを見て又、嫌な、否定的なものを作り、悪循環に入っていきます。嫌な人の中に良いところを見つけるのです。すると嫌な人だけど、ちょっと良い人が現れて、だんだん良い人になるのです。僕の出来ること、「ちょっと良いところ見れるか」で人生が変わるものです。

 この世界は、引き寄せで自分に相応しい人が来ています。全部を自分が引き寄せているのです。ここの会場には極めて正常な人が来ています。禅の会では最初は変な人が来ていたのですが、直ぐに止めて行きます。師が全てを語っているのではなく、聞いている人の波動と共鳴して言葉が出るのです。ですから今日のお話は皆さんが引き出してくれているのです。
 若いころ、師匠に会って質問して答えてもらっていました。すると先輩が、その答えは初めて聞いたと言っていました。私がその答えを引き出していたのです。師と弟子の共鳴で出ています。

 私は殻に囲まれた自分から殻が空けた自分になるのに、自分に絶望して、ダメと思って自己崩壊してなりました。自分で守る殻では守れないと分かるとその殻が取れます。取れた瞬間に皆がひとつと思います。そして自分の殻がとれたら周りの人の殻も取れるのです。
倒産したり、病気になると辛いです。絶望して殻を取るのは大変です。坐禅をしていると殻に隙間が出来るのです。しかし難しい坐禅はダメです。ふんわり、おっとりしたやすらぎ、養いの坐禅が良いのです。そうしていると必要に応じて殻が破れるのです。
 そして必要に応じて殻を作れないとダメです。それぞれの場で自分の殻を作り、自由奔放に出来ないとダメなのです。
 坐禅と延命十句観音経でいのちの殻の制限を取ると伸ばす事が出来ます。道場の坐禅はダメです。自然の中に静かに坐っている姿が自然です。殻が破れ、緊張が取れた時に、身体が自由自在に動くのです。」

 良い会場の雰囲気、エネルギーが充ち満ちて、あっという間に終わりに成りました。大敬さんにサインを頂き、記念撮影をして、今日の出逢いをありがたく、感謝で喜びにお別れしました。会場から直ぐに仙台空港に向かわれる大敬さん達を多くの方々がお見送りして下さいました。

 次回の講演会はいつになるか分かりませんが、座禅の指導もして頂けたら良いなと思っています。

 今朝にあわの里天命舎から講演会場への歩く時に大敬さんとの会話の中で、仙台天命塾に付いて、「これまで17年、続けて来られている事は、なによりも素晴らしいことですよ。」と頂きました。仙台天命塾の原点の近藤ジミーさんと大敬さんに仙台にお越し頂きこのような会を開催できたことはありがたいことです。
「ひとついのち」を響き合う仲間と培い、喜びに生きる場として、これからも仙台天命塾がお役立ち出来れば嬉しい限りです。これからもご支援協力宜しくお願いします。
 このブログで444回です。良い良い良いです。ありがとうございます。

443「禅の会7」2015,5,26

 いのちは1つです。あの人も、この人も私です。宇宙全体、全てが私です。その自覚は難しいのですがそう念ずるのです。自分も他人、他人も自分で、通い合っているいのちと念じていたら良いのです。
 自分の殻が開けて来ると、そこに隙間があって、いのちが交流しているので、思いが外に伝わって行きます。しかし殻があると、自分が思っても外へ出て行かないので伝わらないのです。思いが伝わる、ひとついのちの自覚です。声を大きく言う必要はありません。

 私は本も出版し、講演会も出来て、学校でも出世し、定年退職できました。今、嘱託講師をしているのですが、来年からは非常勤講師でもっと時間が出来るので、これからは大敬カンパニーをやって講演活動などをして行きます。
 私は43才から文章を書けるようになりました。それは自分の力で書いたものでないので、書いたもののお金はもらえないのです。ですから印税などありません。でも私の家内はしっかりしていて、良いマネージャーです。

 大明呪は個人を越えた智慧と光明を受ける祝福の響きです。
 無上呪はどこまでも進化向上しようという意志を授ける祝福の響きです。
 無等等呪はそれぞれの人が持つ天命、役割の成就を援助する祝福の響きです。
 全ての人が成長し、最終ゴールへ行ってほしいというのが宇宙の意思です。どんなパートで響くかは違いますが、宇宙全体の大交響曲です。

 空っぽ財布のことを話します。必要な時に、必要なものが来る、と分かっていたら貯め込む必要がありません。今は恐怖心でいろいろなものを貯め込んでいます。その為に格差社会になっています。それを変えるには、各自が実践して、成功体験を積み上げる事が必要です。すべてはイメージを心に描けば良いのです。そして素直に受け取り、イメージの中で実践するのです。観音経を読んでいる人はイメージで助かるのです。危機一髪で救われるのです。御利益信仰の典型が観音経ですが、禅は現世利益を求めない世界です。

 良いお経としては資料のお経が良いです。最初に延命十句観音経のお話をします。
 延命十句観音経(えんめいじゅっくかんのんきょう)は願いを叶えてくれるお経です。
 観世音 南無仏 (かんぜおん  なむぶつ)
 与仏有因 与仏有縁 (よぶつういん  よぶつうえん)
 仏法僧縁 常楽我浄 (ぶっぽうそうえん  じょうらくがじょう)
 朝念観世音 暮念観世音 (ちょうねんかんぜおん  ぼねんかんぜおん) 
 念念従心起 念念不離心 (ねんねんじゅうしんき  ねんねんふりしん)   
 願いは個人の問題としてすると、他いろいろな方に行くことはエネルギーが分散するので、それは心配している人と同じになってしまい、結果的に何もものに成らないのです。ですからお願いはあまり具体的でない方が良いのです。
 特別なものを願う特殊暗示から、一般的なものを願う一般暗示へ変えた方が良いです。特殊暗示とは、「お金持ちに成る様に」と言うようなものです。しかしこの願いは副作用が大きいです。自分の中にある抵抗観念が強いので言うほどお金が入らないのです。
一方、一般暗示は、「これから毎日、あらゆる面において一層良くなって行く。」と言うものです。これは夜寝る前か、朝起きて直ぐにこの一般暗示をすると良いです。内容としては、「全体として私の人生が良くなる」と念じることです。
 私は観音ステージで沢山いろいろなものを受けていますが、こちらの暗示の方が優っています。
 三国志の中で項羽と劉邦で戦いあいますが、結局は劉邦が勝ちました。局面で勝っても全体で負けてはどうしようもないのです。その為に一般暗示の方が良いのです。しかし特効薬でないので速効性が無いのですが効果はあります。

 四句誓願文(しぐせいがもん)は、これは菩薩の誓願です。
 衆生無辺誓願度 (しゅじょう むへん せいがんど)
 煩悩無尽誓願断 (ぼんのう むじん せいがんだん)
 法門無量誓願学 (ほうもん むりょう せいがんがく)
 仏道無上誓願成 (ぶつどう むじょう せいがんじょう)

 その意味の概略は以下です。
「衆生をどこまでも救いたい。私の煩悩は限りないが、断ち切る様に努力する。
この世で勉強するものは限りないが達成する。この道は遠くまで続くがゴールする。」
と言うものです。
 来世は役割が変わって行くのですが、仲間を拡げて、1人残さず皆で最後にゴールするという菩薩の誓願です。
 菩薩とは、本来は仏に成れたのですが、この地上に残って皆が救われる為にしている方です。しかし、それは当たり前のことです。なぜならば、ひとついのちで全部のいのちが自分だからです。悩んでいる人は私であり、その人がいるということはまだ悟っていないということです。ですからお釈迦様も悟っていないのです。悩んで、辛い思いをしている私もお釈迦様なのです。

 次は懺悔文(ざんげもん)です。
 我昔所造諸悪業 (がしゃくしょぞう しょあくごう)
 皆由無始貪瞋痴 (かいゆむし とんじんち)
 従身語意之所生 (じゅうしんごい ししょしょう)
 一切我今皆懺悔 (いっさいがこん かいさんげ)

 我々が作った諸々の悪業、貪(とん)瞋(じん)痴(ち)(貪り・怒り・愚かさ)は身、口、意から生じるが、それら一切をお詫びする。と言うものです。
 自分の罪は人類全体の罪です。
 オウム真理教の人達も普通の人で、敵ではありません。皆、地盤を共有しているものです。しかし敵を作り、いじめなど、学校で起きている事は世の中で起きていることです。

442「禅の会6」2015,5,25

  いよいよ大敬さんの講演会が始まりました。
「昨日山形でお話ししましたが、2日続けて参加の方もいる様ですから、少し内容を変えてお話します。
 般若心経の順読みは自力から他力へ進むながれです。
 禅宗で若いうちは頑張るのですが出来ません。そうして絶望して、もっと大きい力が働いていることに気付いて、活動できるようになります。
 一方、逆読みは他力から自力への読み方です。
 私は元々、芯の無い、絶望しやすいダメな人間でした。45歳まで定職がなく、絶望で生きていたので、直ぐに他力へ移れました。そうして勉強している内に自信がでてきて、自力へ移れました。
 福岡で禅の会をしていますが、皆さん感動するのが逆読みです。順読みは普賢、文殊、弥勒、観音と読むものです。
 
 普賢さんは、心が現実を作る事っていることを発見することが前提です。その為にはまず心をクリアーにすることが必要です。ぐじゃぐじゃ書かれた黒板で心配しているとなかなか絞れないので上手く描けません。まず黒板を綺麗にすることです。そしてその上に描く事が大切です。そうすると心さんが現象化してくれます。
 自力の限界があり、次は文殊さんです。普賢さんはエネルギーが分散しているのです。そこには抵抗観念があります。文殊さんはその抵抗観念を持つものを断つことをします。でもなかなか自力では出来ません。
 エミールクーエの自己暗示法があります。自分の持つ抵抗観念を切るのは、ウトウトした時か、目覚めてすぐの時には意識が弱くなっているので、潜在意識に埋め込めます。顕在意識が抵抗観念を作っているのでその時が有効です。
 
 禅の教えは素晴らしいのですが、それはエリートの教えで、本当に悟っている人は道場に1人いるかどうかです。平らな土地に杉の大木が1本生えているのですが、最初は小さいもの沢山生えていて、その内1つだけが残って育ったんだ、という世界です。しかしそういう発想は間違っています。禅の教えの間違いは、1人の悟った人を作る為のものだというところです。そのことが私がそこから離れて行った原因です。
 私のする禅はゆったり、ほんわりと、ボーと半分寝ている状態で、難しいこと考えられないものです。そしてその状態では願望が入りやすいのです。自力でない方法が良いです。自力では難しい人がほとんどです。
 
 逆読みでは弥勒から入ります。そこは波動だけ、響だけの世界です。耳を傾けるだけでいいのです。心を素直な楽器にしなさい、そうすると響きます。しかし自己主張のある人は楽器になれません。楽器は中が空洞で、空洞がないと楽器になれません。その為に、良い波動を持っている人の処に行って素直に受けることです。反発しないことで自分の楽器が振動します。そこで今度は自分の楽器が発振するのです。
 心も楽器なので、共鳴するとそれに合わせて世界が出来ます。悪い世界に共鳴していると、汚い絵が出来ます。自分の力でするのではなく共鳴すると、周りに幸せな世界が出来ます。
 一番大切なことは、良い波動の人、良い波動の先生に付く事です。今のスピリチャル難民の人達は、良い先生を見つけられない人達です。恐怖心を持たせる人はダメです。それは滅亡の振動です。そこに集っている人達を見て、その波動、振動を見ることです。お金ばかり取る処はダメです。禅の会に変な人来ても1回で辞めてしまいます。人畜無害で大敬さんに長い目で付いてくれる人は助かっています。
 更に良い経典を読む事、そして随喜法が良い。自分の周りに成功した人いると普通は嫉妬し、けなすのですが、逆にそれを良く成功できた、と喜んであげることです。そうすると自分もだんだんと願いが叶うようになります。相手の喜びを共に喜ぶ、という随喜法をすると良いです。そうして成功体験を自分のものにするのです。このような波動法は弥勒さんの方法です。
 
 観音様は音の響きを静かに感じて行く世界です。聞光、光を聞く。観音、音を観る。全ては波動です。それを自分の楽器で聴くのです。五感全部で聴き、全てを通して聴いていると響きが観えてくるのです。響きに耳を澄ませるのです。
 宇宙全体に4種のものが遍満しています。大神呪、大明呪、無上呪、無等等呪です。この響きはなにか。呪の字の元字は口が二つです。それは繰り返しのことで、振動し響いているものです。そしてお祝いから来ています。
 私達を宇宙全体が祝福してくれているので、それを素直に受けるだけで良いのです。他力で良いのです。自分で何かをするから聴けないし、受け取れないのです。

 大神呪は個人性を越えた能力のことです。大敬さんは観音ステージに居るので自力がないのです。自分の知恵はないし、獲得した知恵がないのです。これまで目標を立てて、その計画へ向かう生活をしていたのですが、それは絶望して消えてしまいました。今は何もないのです。しかし、何も無くても世界がセッティングされているのです。

 45歳で高校教師の定職に就きました。物理の教師になったのですが、物理は勉強したこと無かったのです。ですから採用試験を受けたのですが、テストを受けずに帰って来てしまいました。ところが採用されてしまいました。電話では信じられないので確約書を送ってもらいました。ありえないことです。目標を持ったのではなく、全てが上手く運ぶようになっているのです。そして1年目で生徒たちは物理で日本1になりました。
 私が45才に観音レベルになってから全ては起きたのです。




441「禅の会5」2015,5,24

 4日朝に大敬さん達をホテルに迎えていよいよ仙台講演会です。開始までまだ時間があるので皆さんと、あわの里天命舎でコーヒーを飲みながら歓談の時間を持てました。
 今回の大敬さん仙台講演に当たっての私の希望、目的の一つには大敬さんにあわの里天命舎に来て頂く事、もし時間的に余裕があれば、大和農場、名取農場を見学して頂く事がありました。しかし、後者は時間的に難しいので、是非とも前者はと思っていました。
 講演会場はあわの里天命舎から徒歩5分ほどです。かれこれ30~40分程滞在して、仙台天命塾の活動を紹介していろいろ雑談をしていました。終わりのころにあわの里天命舎の有りよう、雰囲気に話が及んだ時に大敬さんから以下の様なお話がありました。

「良い感じでリラックスしますね。前に一度、舩井幸雄先生の会長室にお邪魔した時にその部屋で感じたようなもので、良いですよ。」
 私は舩井先生の会長室は知る由もないのですが、舩井さんの部屋と同様のエネルギーが感じられるというのですから、嬉しい限りです。
 そして以下の様に話は続きました。
「禅の会で昨年から使用している森の家は福岡から少し遠くて、月1度の禅の会の時くらいしか私は使えないので、この様な所が福岡市内にあると良いですね。事務所的に私が書きものをしたり、研修室のように皆さんで集まれたり出来たら良いですね。こんなに広くなくて半分位でもいいですね。」
 それを聞いていた近藤ジミーさんは、
「そうですね、考えてみましょうね。」とお応えしていました。
 仙台に来て、街中のたまり場のイメージが広がったようです。そして来年からの大敬&カンパニーの活動に活かされることに成るかもしれません。

 講演会は定員を超える方の参加を頂きありがたき、嬉しきことで素晴らしい時空間ができました。
 仙台での最初は山形と同様に近藤洋一さんの「今必要なこと」のお話しから始まりました。山形でのお話も含めて簡単に紹介します。


「立花大敬さんは19歳の時に、21世紀の文明を築く為に新しい思想を作る必要があると思われて、禅を始められました。私も18歳の高校卒業の時にこれからの未来像を発表しましたが、その中で自分は、「地球を転がす様な人間に成りたい」と思っていました。この想いが大敬さんとの出逢いのきっかけになっているようです。
 21世紀の根本計画があって、私達が思っているのと違う事で世の中は動いています。私は高校は同志社だったのですが、親の会社がダメになり、経済的な事があり国立大に行きました。
 第一志望の大學は法学部を受けて、試験でヤマを張っていたのですが、物理解析は全く分からない問題で、結局すべってしまいました。なぜそのような問題が出たのか。結果的に法学部はダメになり、2期校の京都繊維工芸大の理科系に行ったのですが、今、この様な仕事をしている事を通して、その意味を感じています。進むべき道に導かれる人生の面白さです。
 1980年代にアメリカの留学生が私の処にホームステイしていて、その両親が京都に来たので家族と夕食共にしました。お別れをして家に帰る時に面白い体験をしました。
私は電車に乗って、立ちながら100番目のサルの本を読んでいました。その時一緒にいた、下の3才の娘が私の足のところで眠り出してしまいました。どうしようと思って、周りを見ると少し離れた席に本が置いてあって、空いているのに気付きました。あそこに娘が座れたらと思ったら、娘がすたすたと歩きだしてそこの席に行って、その本を隣のおじさんに渡して座ってそこですうすうと寝始めたのです。私が思ったことを娘が行動に移したことに驚きました。
 100匹目のサル現象は、宮崎県の幸島の野生ざるの中で起きたことです。メスの若いサルが芋を洗って食べ始めたらそれが広まり、ある数がそれをするようになったら、他の処でも芋を洗うサルが現れたという現象です。しかし最後まで洗うのを避けたのが中年のオスザルでした。習慣を変えることをある人がして、ある数になると、それが空間を越えて他でも行われることです。
 これからはこの100匹目のサル現象を起こしていく必要があります。それは脳か、心から出た波動が起こしていることで、思う事で起きています。
 
 これから大事なのは、天の時、地の利、人の輪です。
天の時は、溶けて、解けていきます。そして深く静かに思っていると実現する100匹目のサル現象を起こして行きます。
 村上節さんの文明法則史学がありますが、文明は800年周期で動いていて1600年のサイクルがあります。
又、ガイヤの法則によると1611年周期、約1600年で経度が22,5度移りながら文明の移行があると言います。
 メソポタミヤ文明からインダス文明、更にガンジス文明から唐へ、そして今は日本に移って来ています。そこは東経135度のあたりと言われて、日本では淡路島で、国生み神話のあるおのころ島です。このような地球のエネルギーの移行があり、破壊と繁栄が繰り替えされているようです。

 2012年12月21日にマヤ歴は終わると言われていましたが、本当は2011年10月28日にマヤ歴は終わりました。2012年12月21日が違うという事は、カールヨハン・コールマン氏が検証しています。
 その2011年10月28日に、私は車を運転して有馬温泉に行ったのですが、その時に不思議な体験をしました。前の車の等のナンバーが、1111、111、1001、11の車をそれぞれ2台ずつ、更に1の車を3台見かけたのです。1は始まりの番号ですから、今日、10月28日が始まりの日と確信しました。

 このマヤ歴が変わることによって3つの大きな変化があると言われています。
1つ目のことですが、宇宙にはその意思による宇宙計画があります。人間の程度は悪いので、これまでその計画に関係できませんでした。しかし2011年10月28日からその計画に人間も参画できる様になりました。
 2つ目には時間概念の事です。時間も時計時間のクロノスという機械的なものと、時、意識時間のカイロスという自分時間があります。それを理解してカイロスを使えるようになります。時とは溶解のときで、それによってシンクロニシティ―がいろいろ起きて来てきます。
 3つ目は、右脳と左脳が同調することです。つまり女性性と男性性の一体化です。
新しい時代にはこの3つが機能します。そしていよいよ日本の時代が来ます。
来年からは大敬&カンパニーで全国行脚を本格的に始めます。その先駆けが今回の講演会に成ります。」
 近藤太郎さんのバンクシアフットネスも皆さんに好評でした。

2015年5月22日金曜日

440「禅の会4」2015,5,22

「観音様が観じている宇宙に遍満する音、響とは何かです。観音の呪は祝福の響きです。般若心経の呪の処のその響きの意味は以下です。
 大神呪は個人性を越えた能力を授け、援助してくれる響き
   大明呪は個人を越えた知恵と光明を授ける響き
 無上呪はどこまでも進化向上しようという意志を授ける祝福の響き
 無等等呪はそれぞれの人が持つ天命、役割の成就を援助する祝福の響き

 宇宙の大交響曲で各自が違う響きがあります。
 そして宇宙遍満音の音源はどこかです。「羯諦、羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提 薩婆訶」の処に成ります。
 いよいよフィナーレへ行きます。それは釈迦が悟った時にみたものです。皆で一緒にゴールした世界です。
「羯諦・・」の意味は、
「着いた、着いた、ゴールに着いた。ゴールに皆一緒に到達した。ああ、素晴らしい達成成就よ。めでたし、有り難し。」と言う事です。
 これらはひとついのちのゴールインプログラムです。役割の違いがありますし、今生で何かを仕上げる必要はないのです。

・「ひとついのち」のゴールインプログラム。
1 釈迦は菩提樹のもとで悟り、人類の魂のゴールビジョンを見た
2 釈迦は「心(宇宙全体)」の中央に、そのビジョンが据えられた。
3 宇宙全体が、その根本ビジョンに従って響き始めた(四呪)
4 そのゴールビジョンに従って世界が配置され始めた。
5 各人に、ゴールインの為に必要な役割、天命が割り当てられた。
6 全員(一人残さず)でゴールインする(35世紀)

・「ひとついのち」メンバー心得
1 まず、自分が好きであること
2 人々や世界が好きであること
3 役割を受け入れて誠実に務める(リーダーシップよりメンバーシップ)
4 明るく温かい場作りに努める
5 決めつけない心、軽やかな行動

・「ひとついのち」が身に付いてくると起こる事
1 平滑化現象(スラスラ)
2 同時化現象(ピたピた)
3 セレンディピティ(思いがけぬハッピー)

 人間が描く想いはたいしたことありません。思いがけないハッピーを受け入れることです。しかし目標や計画に拘り、執着する人はそれは受け入れられません。想定外の事を否定するのはダメです。
 例えば、新聞にあることでお金を貰えることが書いてあるとすると、幸せ感の人のグループは素直にそのお金を貰えるのですが、不幸せ感の人のグループはそのことに気付かないのです。
 計画通りはダメで、ダメなら次をすれば良いのです。ですから固執しない人が幸せ得られるます。

 禅は達人の為のもので、各界の達人の人が求めるものです。ですから禅は、凡人は相手にしない世界です。エリートのもので、その人が成功しても全体の幸せに関係ないものです。
 囲いを取り外して幸せに成れた、そこにはひとついのち、それが生きている世界です。それを信じるかだけです。私は信じたらそれに従った世界が現れました。達人の人は禅のそれで良いのです。自分の分身ですから、自分がその局面にあてられた人がそれをやれば良いのです。そのように分業ですれば良いのです。
 悟る仕方はそれぞれ違います。この人生でどうなのか、自分を越えたところの行動をとることです。自分の囲いの殻の取り方がそれぞれ違います。如何に自分の囲いの殻を薄くすることが出来るのかです。そこには神様との付き合い方があります。
 心の浄化法として、座禅、延命十句観音経が良いです。お経の読む回数を自分で決めてすることです。」

 会場の皆さんは大敬さんが初めての方が沢山でしたが、ゆったり、ほぐれた、喜びのエネルギーに満たされ、感謝の拍手で講演は終了しました。
 大敬さんの新刊「2万人の人生を変えた22通の手紙」は目出度く完売してしましました。明日の仙台会場での販売は無しです。皆さん大敬さんのサインを頂く為に列を成しています。大敬さんの来年からの全国行脚のプレイベント1日目は成功裏に終わる事が出来ました。
 仙台への帰りの高速道路はスムーズで予定より早く着く事が出来ました。お蔭様で大敬さんにホテルでお休みいただける時間が取れました。
 今回、大敬さんは懇親会も出席して下さることになっています。講演の中でもお話していましたが、ほとんど懇親会は出られないのです。山形の方々と仙台の天命塾関係の皆さんで有意義な食事会に成りました。私達は別の席でほとんど大敬さんのお話をお聞きすることが出来ませんでしたが、それはそれなりに、近藤さん達と楽しい宴を満喫できました。

439「禅の会3」2015,5,21

 お話は配布の資料を説明しながらすすみます。般若心経の順読みです。

「普賢菩薩は白い象に乗って合掌しています。これは色即是空、空即是色を現わします。
 色は無いのでどんな映像も作れます。1回消して真っ白にして次の自分の望ましいものを描けます。それはクリーンなもの。どうしたらクリアーに成れるか。それには身体を使う事です。頭を働かせるとそれは雑音になります。生活を単純化することです。生活の中に空白を作り、そこに浸ること。そして周りの事に耳を澄ませていることです。
 心をクリアーにし、想いを心に届ける行法に、足運び法、読経、清掃、座禅が良いです。足運び法、読経は自分で決めた回数をすことです。

 次に文殊菩薩ですが、ライオンに乗り剣を持っています。アフリカ系の神さまで、不生不滅、不垢不浄、不増不滅を現わします。
 何かをすると抵抗観念が直ぐ集まってきてしまい、幸せに成ろうとすると益々不幸になります。前後裁断をして今、ここだけにします。過去に引き連れる人は過去の延長でしか未来が見られません。過去に引き連られて不安で未来を見るとエネルギーを取られてしまいます。
 水遊び、気合、座禅などをして、自分の思いが湧かない瞬間を味わうことです。そして自分を許すことです。自分を許すと世界を許せますし、副作用はありません。
 抵抗観念を断つ(解く)→前後裁断法(坐禅、水浴び、気合、座禅など、自分を許す、人と世界を許す)

 ここまでは自力による想いが叶う心の作り方です。次からは自他力によるものです。
弥勒菩薩は乗り物は無く、耳を傾けている姿です。無色・・、無眼・・、無限界・・の処です。
 何らかに乗る事はまだ向かっている事です。ここでは自分が世界の中心なので乗り物は要りません。どこでも波動を受診したら発信できます。心が柔らかくなり、共鳴板になることです。その為には良き師、良き経に付くことです。その波動に共鳴して同じ波動を出せるようになります。自分が世界の中心になり、新しい世界を作るのが弥勒さんです。
 いろいろな会合やグループで集まっている人の姿を見ると分かります。恐怖心や欲で釣ることや、寄付を促すものはダメです。ねばならない、当然が出るものや、人を縛る人はダメです。良い波動の人に付くこと、幸せな振動の人に付くことです。嫉妬する人は不幸になります。成功した人のことを一緒に喜べる波動が良いです。隋喜法をすると良いです。
 心を解いて楽器にする→共鳴法(良き師・経につく、髄喜法、座禅など)

 私は19歳から禅を始めました。悟りが次々に出てきたのですが幸せではありませんでした。定職がなく、お金が無い。家内にぼろくそに言われ、孤独でした。悟っているのになぜ幸せでないのか、と思っていました。それが42歳で転換して、45歳からスタートしました。
 フリーターだった私が、九州の進学校で物理の先生を募集しているのに、何となく履歴書を送りました。旅費を出してくれて、面接は受けたのですが大学は生物で物理は学んでいなかったのでテストは受けずに、雑談を1時間ほどして、すみませんと帰ってきた。しかし1か月後に電話があり、採用の連絡が来て驚きました。何度も確認して、でも不安で採用の確認書を送ってもらいました。
 その高校は毎年東大に40人は入る進学校で、そこで4月から物理を教えました。毎日、参考書、テキストで勉強して授業に臨んだのですが、勉強したところが質問されて上手く答えることができました。その内に優秀でベテランと評価され、なんと1年目で物理で全国1の成績になってしまいました。でも私は是までとのギャップが大きくて付き合うのが大変でした。
 10年目に教務部長になりましたが、普通ではありえないサプライズ人事でしたが、なぜかその役目をすることができました。自分の囲いがとれて、いのちの交流が出来ると、出来ない事は周りの人がやってくれるのです。ありがとうと言うと若い先生は喜んでやってくれます。次に教頭をやれということでした。教頭はいつも他校の校長等の天下りポストで内部出身では私が初めて教頭になりました。

 私はフリーターで家を3軒建てました。新婚の時にマンションを買いました。収入が無く最初はローン組めなかったのですがどうにかクリアーできました。その800万で買ったマンションを1400万で売って1戸建ての、駅から20分歩く家を1700円で買い、それを3200万円で売って福岡にきました。今は福岡の中央区、大堀公園に1戸建ての家にすんで駐車場も経営しています。私はなにも計画していません。家内がみんなやっています。私は家にはコンプレックスがありました。小さい時は家が小さかったので大きいところに住みたいと思い、それが潜在意識に入っていたのでしょう。昨年から禅の会で使っている森の家は大きい民宿だったものです。
 あれもこれも人生は出来ません。自然に心がクリアーになれば、掃除や整理をするようになってきます。

 観音菩薩の観音は完全な他力で、蓮華ですからひとついのちで、全部に繋がっています。
それらは全部別に表現された自分の姿で、必要な時に入ってきます。ひとついのちの身内だから治すし、自分に必要だったら絶対に来ます。そして相手に必要なら与えられるのです。目標、計画を持たずにお任せしていると叶う世界です。
 無智亦無得、以無所得故のところです。33観音を巡り、布施をするなど、自分で枠を超えて、自他を超えると新しいこと現れます。音を観じて、お任せして、幸せを感じることです。
 ひとついのちの自覚で想いが叶う為には、お任せ法です。それは延命十句観音経を唱えること、布施行をすること、座禅などです。」

2015年5月21日木曜日

438「禅の会2」2015,5,20

  5月3日朝、仙台は濃霧でした。その日大阪伊丹空港から近藤さんと息子さんの太郎さんが9時半頃に到着する便で、大敬さんは福岡空港から10時半頃着の便でお越しになる予定です。朝、濃霧の空を見てひょっとしたら仙台空港も着陸難しいかもと思いました。そんな時に、太郎さんから伊丹から連絡がありました。仙台空港が濃霧の為、着陸できない時は福島空港へ着陸する条件運行とのことです。ひょっとしたら福岡便も!すわ大変です。
 実は前日2日に私は福岡からの最終便で仙台に帰って来ていました。福岡を離陸するときに仙台空港は濃霧の為に仙台空港上空に行き着陸できない時は、成田又は名古屋空港に着陸するとの条件付きでした。えっ、でも天にお任せするしかないと仙台に向かい、どうにか無事に着陸できたのでした。
 取りあえず仙台空港に皆さんを迎えに向かいました。程なく太郎さんから無事着陸できたと連絡が入り一安心です。大敬さんも予定通り到着して無難に全国行脚の初日が始まりました。
 3日は山形市での講演会で仙台に戻って懇親会です。私が運転手でお連れすることに成りました。大敬さんとは5年振りくらいでしょうか。東京で近藤さんのTHDでの講演会の時にお会いして以来です。そして大敬さんの仙台訪問は15年ぶりです。
 ゴールデンウイーク真っ只中、高速道路は大渋滞でいつもより1時間程時間がかかりましたが、山形市内で美味しいお蕎麦を食べて13時頃に会場に到着できました。全てはみんな丁度良い加減です。

 講演会は最初に近藤洋一さんから「今、お伝えしたいこと」と題して、大敬さんとのご縁の事、今の時流の捉え方、今後の展開もお示しいただきました。その中で、近藤太郎さんからバンクシアフィットネスの実践指導も頂けて、身体をリラックスして大敬さんの講演会に臨みました。


 大敬さんは4月に新刊「2万人の人生を変えた23通の手紙 夢をかなえる「一番簡単な考え方」」を出版されていました。

私は早々に購入して読ませていただいていましたが、こころさんの迷妄をすっきり修めて頂き、お蔭様で光明を見い出すことが出来ていました。今更ながら意識が全てを活かす大元で、必要な時にその教え、学びを直ぐに頂けるありがたさを実感していました。言葉、文章の御用をして下さる大敬さんの存在とのご縁に改めて感謝をしていました。
 そんな大敬さんのお話を簡単に紹介します。

「私は48歳でデビューしました。その内容は心のゴムひも理論をお伝えするものです。
多くの方は幸せになりたい、幸せに生きたいがどうしたらなれるのかと思っています。そして地位や肩書、お金があっても不幸な人が多いです。すべては心が形の状態を作っています。幸せは何んなのか。それを知り幸せを育てることが必要です。
 
 私は47歳まで不幸な人生で、貧困感、孤独感、無力感、徒労感でいっぱいでした。豊かな感じとはどういうものなのか。閉鎖的なものは最終的に不幸になります。今あるものが無く成ったらどうしようと不安に成り、壁を作って恐怖感を抱くようになります。
 私の字はムと禾で出来ています。ムは囲いの意味で、禾は稲束のことです。昔は財産の稲束の禾を囲っていること、それが私がすることでした。
 逆に囲いを開くことが公です。私は財を増やそうとするし、不安だから囲いを厚くする。すると暗く、光が入らずに、呼吸が出来なくなります。ですから開放的な豊かさが必要です。すべては必要な時に入ってきます。
 
 私は45歳でその囲いが解けました。やがて自分に必要な事がやって来ると思っていました。空っぽ財布を持つと楽です。それを持つと不思議なことに成ります。お店で物を買いたいと思ってカウンターに行くと財布に必要な額のお金が入っているのです。空っぽ財布で大丈夫。必要な時に与えられる豊かさです。
 2年前に高校を退職しましたが、今は嘱託をしています。お金がなんとなく入ってきて、不思議な豊かさがあります。才能も解放されると入ってきます。私は45歳で文章を書ける様になりました。自分が書いた文章を読むと感動します。というのは自分が書いた内容を私は覚えていないのです。頭で試作したものは記憶に残るのですが、私のものは素通しなので記憶に残らないのです。
 書いたものが本として売れても私にはお金は入りません。自分の文章を喜んでくれる人、それを読んで生きがいを持てる人がいる事が嬉しいしし、やりがい、生きがいを与えられているのが嬉しいのです。ですから私には著作権は関係ないのです。素晴らしいものは個人性を越えているのでそれで良いのです。
 
 禅の公案で雲門さんのことがあります。宇宙全体が光を照らしているので、個人性を越えています。豊かさ、才能、お金、人材、すべては孤独でなく賑やかです。しかしグループの集団意識、仲間意識は敵を作り、異質を見つけて結団します。本来は集団意識ではなく、いのちが全体でひとつで、兄弟意識です。
 私は職場などの飲み会には行きません。形の上では勝手な行動ですが、私の周りは賑やかで、生きがい、やりがいがあります。
 私は45歳で行き詰り、貧困、孤独、疲労感で伊勢神宮に行き、「もう死んでも良いので神様の御用を何かさせてください」、とお願いした時、突然繋がりました。そこで筆の御用を頂き、それをやっている。このことをやることでいのちを保てています。そのように生きている事で貢献することが出来ています。そしてそう思える幸せ感覚が出来て来ました。 
 心の状態で、幸、不幸が生じていますので、勉強した方が良いので、それを伝えています。

 般若心経が教材には良いです。心は摩訶で、大きく、般若は智慧のことです。心はベテランのタクシー運転手。心の中に全部が入っています。しかしその心さんに任せられずに心配をする人がいます。心は従順で行ってくれるのですが、地上世界では自己判断で動いて勉強しています。そのことが賢い人の一番悪いところです。
 私の2番目の師匠は東大をトップで卒業した人でとても賢かったです。そんな人はダメで任せられないのです。ですから最期の処が分からなかった。心さんの知恵は間違いないのです。
 波羅(はら)は目的地、密多(みった)は到着した。思いを形にする自動性、お自動さん性です。良いところもあり、怖いところもあり、言っている事が現実になります。心に写ったものを現実化しています。ですから占いをすると、それが自己暗示になります。
 大きく、影響が多い知恵があり、思いが形になる自動性があります。心がどう働くかが大事です。五蘊(ごおん)さんは働きのセンターです。心の世界の循環システムで、映写機です。
 光りはいのちの本質です。心を媒介として思いの世界を作った。スクリーンを作ったのは形の世界、時空世界で、光を投映させて遊ぼうとしたのです。形の世界は色で、その色の受け取り方には癖があります。その受け取ったものを思う。そこで繰り返された思いを書き込むのが行です。それがゴールとしてスクリーンに表われる、そのシナリヲを作るのが識です。人生ドラマを作る、出来た色を又見て、色受想行識の繰り返しをするのです。
 同じことを繰り返し、継続があるのがおかしいのです。書き込みで嫌いな人を書き込み、又思う、その繰り返し。又そのドラマを繰り返してをすることで悪循環することになります。
 本当は切れているのに、それをしているのは自分です。嫌だ、嫌だを書き込むことが悪循環に成るのです。受け取り方、思いがぐるぐる回る事を止めることです。それを繰り返すことで更に悪いことを繰り返すことになります。ですからそれを断ち切ることです。逆に書き込みを良いことに書くと、善循環と変わって行くのです。
 空海によるアドバンス法で、思いが叶う心の作り方があります。将来、自分が成長する方向で受け取る。もし、ためらうならやめることです。迷う時は動かないこと。それを瞬間で決める。いろんな因果が出るので、良いものも、悪い物もあるりますので途方に暮れるのが良いのです。

2015年5月17日日曜日

437「禅の会1」2015,5,17

 立花大敬さんは仙台天命塾の名付け親です。その大敬さんが15年ぶりに仙台で講演をして下さる事に成りました。九州福岡の有名進学高校の教職を昨年定年退職し、その後嘱託で勤務されています。少し時間的余裕が出来て、来年からは嘱託も終えて、いよいよ「大敬&カンパニー」として全国行脚を出来る事に成りそうです。その第1弾として今回、仙台にお越し頂けたのでした。

 天命塾の始まりは、トータルヘルスデザインの創業者の近藤洋一さんのご縁で全ては始まり、またその近藤さんの御尽力で新たな展開に繋がっています。その経緯、趣旨を先ず紹介します。

「いつもお世話になり有難く、感謝申し上げます。
 今、私たちは、厳しい“冬の時代”を生きていると言ってよいと思います。そんな時代だからこそ、心の豊かさを養い、暖かい春を呼びこみたいものです。
 そこでご存じ、立花大敬さんの登場です。
 禅の達人・立花大敬さんは、『“思い”が核となって、世界が形づくられていく、そのカラクリが分かるようになってきました。
 軽やかに、さわやかに、思い通りに、いや思い以上に恵まれて、楽しく・・・ふつふつと、イノチの源泉から刻々湧き上がってくるこの喜びは、とても自分だけにおさめておけるもんじゃありません。
 みなさんとともに、この喜びを喜びたい。世界中の人たちがみな、この最高の喜びを手に入れたら、もう、モノやイノチを失う恐怖から、争いのたえぬ人生を送る必要はないのです』と述べておられます。

 半世紀前「私たちの志」
 大敬さんは19歳の時に禅をはじめられました。接心会が終わって茶話会になった時、禅を始めた動機について、次のように話をされたそうです。
『現代文明は行き詰まってしまいました。このままでは人類の破滅も時間の問題です。そこで、21世紀に向けて、新しい指導理念が必要で、その新理念のもとで、新文明を創り出してゆかねばならないと思います。
 そのためのヒントが禅に得られるのではないかとねらいを定めました。それで禅をはじめました』
 すると、ある雲水さん(禅の修行層のこと)が、「へーえ、ずいぶん大きな話だねえ」と嘆声を上げたものだから、皆がどっと笑い声をあげたそうです。
 青年の志を聞いて笑ってはダメなのですね。
 高校の先生をしておられる大敬さんは『純粋に、その志に感動し、その志に手を差し伸べ、力を添えてあげるのが、大人の役割なのだ。教育者として一番大切なことは、学生(青年、若者)の志を養い育てること、大事にすることです。〈志(ルビ:こころざし)〉は〈心指(ルビ:こころざ)し〉で、その若者の心が僕はこの方向に行くんだよと指し示しているのです。心が万物、万事の創造主なんです・・・』と述べておられます。

 私も大敬さんに共鳴する体験をしています。
 高校3年生を卒業するとき、みんなで卒業文集を作ろう、ということになりました。その中に、「君は将来どんな人間になりたいか?」というテーマで、一人一人が自分の将来像を発表するという企画がありました。
 私は「地球を転がすような人間になりたい」と書いたのでした。
 何故そんなことを書いたのかについてはよく覚えていませんが、そんな荒唐無稽な将来像があったからこそ、大敬さんと出会い、ご縁がつながり、今回の企画に結び付いたということを強く感じています。
 ちなみに、私が(株)トータルヘルスデザインを創業するとき、以下のような基本理念を掲げました。1990年のことです。
 ・・・・・・私たちは、資本主義という競争を前提とした経済システムの中で暮らしています。マネーゲームが横行し、人間を疎外する資本主義制度はもうその役割を終えたと言ってよいと思います。
 来るべき新しい社会は「愛と調和、互恵と共生」をキーワードとする、人間関係、人間成長を重視した社会になるでしょう。
 古い資本主義体制を支えたのは「“奪う”ことによって豊かになろうとする経済システム」でした。いま迎えようとしている新しい社会は「“与える”ことによって豊かになろうとする人たちが創る社会」です。・・・・・

「大敬&カンパニー」の志
 いま、世界は混とん状態にあります。人類は21世紀にふさわしい指導理念のもとで、新文明を創造する必要に迫られているのです。私たちは21世紀の指導理念を多くの人と分かち合い、“愛と調和、互恵と共生”の21世紀にふさわしい新文明を創り出したいと思っています。
 いよいよ「始まりの始まり」です。まず大敬さんのお話に耳を傾け、ひとつになって心に春を呼び寄せましょう。「大敬&カンパニー」は、大敬さんと仲間が、一つになって“春の時代”を呼び寄せよう、という試みです。
 そんな仲間の輪を全国各地に広め、世界人類に“春の時代”がやってくることを祈りたいと思うのです。
 ともに”春の心“をもって“春の時代”を創造いたしましょう。皆様のご参加を心よりお待ちしています。
 2015年2月 大敬&カンパニー代表 トータルヘルスデザイン  近藤洋一」

 日ごろ、近藤さんと色々な事でご指導頂きながら仙台天命塾も18年に成ります。なにしろ仙台天命塾の産みの親はこの近藤洋一さんなのですからあり難がたいことです。ですから全国行脚を始めるにあたってはいの一番に仙台の名が挙がっていたのです。
 今年の2月に近藤さんから電話を頂き、その事をお聞きして、即答で仙台講演会の開催が決まった次第です。
 
 今回の講演の内容をお伝えする前に立花大敬(たちばな だいけい)さんのプロフィールを紹介します。
 昭和 23 年大阪生まれ。大阪大学にて生物工学を研究。19 歳(大学在学中)、禅に入門。以降、曹洞、臨済等の諸老師に指導を仰ぎ、「自分は一体何なのか」を模索し続け、究極は「ひとついのち」であると直覚され42 歳で天命を知る。48 歳、禅を極め、“天からのメッセージ”を文章にし、《しあわせ通信》を開始。著述、講演活動を展開中。  
 著書に『天界の禅者大いに語る』 『悟』 『禅』 『禅の達人たち』(以上、潮文社) 『しあわせ通信』(『心はゴムひも!』 『神様の壺』 『ひとついのち』 『お日さまの教え』 『楽々いのち』 『花咲か人生』 『大宇宙合格!』『法華経講義』 『大丈夫・そのまま!』) 『朗読CD 版 立花大敬先生しあわせ通信』 『しあわせ通信 直筆原稿版 第一集』 『あなたの夢を実現する人生飛行術』 『大敬詩集』(以上、本心庵)がある。
 今年4月に「2万人の人生を変えた23通の手紙 夢をかなえる「一番簡単な考え方」」(イースト・プレス)が出版されています。

2015年5月16日土曜日

436「北方来光9」2015,5,16

 5月6日は中山さんをホテルに10時に迎えて、大和に11時前に到着し、着く早々に諸々を相談することになりました。 

 6日の事に触れる前に、5月4日に中山さんに以下のお言葉がありましたので紹介します。
「改めて申すは、この地、この大宇宙は皆々様の思いにかかっております。
 ここまで参りたこの地球の人々、誠に優れたる人なり。
 その真をここに現し、成し行けば、大宇宙の大きなる進みが出来ます。
 この時はまさに今、響きを磨きて、発し行き、新しきへと参られませ。」16:11

 そして6日の朝には中山さんに以下のお言葉がありました。
「第五の日より、第六の日へと移るは、是よりこの身が進みて、変るなり。
 本日正午に一人で一度あわ歌歌い、正す光と成り行きて、大きなる和への道開く。」9:30

「整えて、整えて参りた是までは。この身は是より破天荒。」9:45

 相談は思いの外時間がかかりました。気が付いたら11時55分です。今回は大和亭の中でお言葉通りに、12時に中山さんがあわ歌を1回歌われましたが、その場に私達3名が同席させて頂きました。
 その時のお言葉です。
「頼みて参る是よりは、只今より発します。(拍手)
あわ歌
 恙なきを望みて参り、この大きなる宇宙にありて、広く大きく生き生きと、全てが嬉しきと成る事と致して参りた。
 この地はこの時、大きな時迎えました。全ては変わりて参り行く。
 踏みて行く道、荒れて行く。穏やかなること叶わぬ故、それぞれの身はご自分でしっかり宇宙へと繋ぎて、大きなる身と成りて参ることなり。
 本日、是よりこの身の元へと参り、来るは全てを変えて行くものなり。
 この身が発するあらゆる音は、篩いて、正して、流して無くす。不可思議なるが大きなり。分からぬが成し行くもの、篩いを働きて鋭きなり。(拍手)
 伝えたるこの事は、この身のこと。この身が受けて成し行くこと。皆々様には只々、一切を無しと成さり、是よりも大いに生き、嬉しきをしっかりと成して過ごし成されませ。
 あらゆる働きは全て変わり行く為なれば、只々、嬉しき持ち行けば、光と共の身は瞬時に参る。(拍手)
 伝えは写す、晴れやか成るを。響きを写す、大きなるを。
 皆々様の嬉しきは全てを統べる元へと繋ぐ大きなり。是よりのそれぞれ、再々申すが、今までの全てはお忘れ成さりて、この今、そこに為し行かれませ。(拍手)
 旅立なり。(拍手)」


 お言葉の後に質問はと投げかけられました。以下はその応答です。
・10大地点について
「定めて頂きありがたきなり。大いなる地へは是より全て伝え行きます。思いが定まれば全てを動かし行きます。」

・大和の意味
「あるある大いなる地なる。見えざるその広き大きな地を、しっかりその身に据えられませ。ここの動きに繋がり行くは広き事と成りましょう。」

・8月10日の大和での儀式のこと
「まだまだ是より大きなり。すさまじきはこの地球なり。そのこと思いて、ここよりは渦作りて、輪と成りて、拡がりて参る。」

・これからへの具体的な事
「思いて揺らがず、日々楽しみて、活き活きと。」

・世界の10大地点と日本の関係
「繋ぎて参るは、是よりなり。この国しっかり定めたる後なり。」

・この国を定める猶予期間は
「申しております、10月までに多くの繋ぎを致しましょう。
 ただ動きは大きく成りて参る故、励みて成し行く事成り。」

・ここの地で必要な作物は
「晴れやかなる、それぞれの喜びへと繋ぎ行くものなれば、共々嬉しきなり。
 元々この地に育ち生きるもの、それぞれ独立いたしており、この地のしっかりとした生き生き世界。人間それを頂きて、遥かなる夢をここに現わす元と成るべし。
 思いて下され、この人間の役割を。

・大和への天変地異の影響は
「この場所は、揺らぎて、降る地に非ず。」

・宮城の地は
「それは大きなる頂き成り。場、ふつふつ湧きずるを、熱きを見るなり。」

・この地に集まる人の数は
「果てしなきを良しと致したる今まで。是よりは変わり行きて、如何なる事なるや。
 新しき事、楽しみ成されませ。」 12時50分終了

 長い儀式が終わりました。

 次に、先の巡りで頂いた宿題です。東北地方を南北、東西のラインと円を成すポイントです。八咫の鏡ならぬ、中心点と円周上の8点ですが以下の様です。
 北から南へのラインは以下の様に引けます。
 恐山→八甲田山→十和田湖(以上青森県)→黒又山→田沢湖→東鳥海山→神室山(以上秋田県)
 東西のラインは、早池峰山(岩手県)→田沢湖(秋田県)→寒風山(秋田県)で、東西と南北の交叉点は田沢湖の御座石神社あたりになります。
 北から西への円を成す8点と中心点の大方の地は以下の様に成ります。
北  十和田湖、十和田神社 (青森県)
北西 高岩山 高岩神社 (秋田県)
西  寒風山 (秋田県)
南西 高尾山 高尾神社 (秋田県)
南  東鳥海山、東鳥海山神社 (秋田県)
南東 物見山 巌龍神社 (岩手県)
東  早池峰山 早池峰神社 (岩手県)
東北 馬仙峡 男神岩・女神岩 (岩手県)
中心 田沢湖 御座石神社 (秋田県)

 北からのエネルギーを受けて、北の十和田湖から左回りに①→⑧→⑨と巡り渦を作るこ
とになります。この巡りは8月10日の大和の儀式の前、8~9日に行われることに成りそうです。
 このことを踏まえて、こちらで予定していた7月の山形の巡りは中止しますが、6月の秋田の巡りは予定通り行われます。

 今回の北方来光の巡りにより、次に繋げる準備を整える事が出来たようです。次回は6月あわ歌会と秋田を巡る旅です。
 全ては大いなる計らいですが、新しき世に向けて、人が出来る事を淡々とさせて頂く事で、後は任天です。大きな変化、篩いの中で、思いを定めて、嬉しきを生きて行きたいものです。

2015年5月15日金曜日

435「北方来光8」2015,5,14

 そして5か所のお寺で出た、色と数字と言葉を順番にまとめると以下になります。
 ・紫 3 た ・白 1 お ・黒 2 な ・金 4 た ・赤 5 い
 五色については、仏教において如来の精神や智慧を表すものとして用いられています。色は若干変化があり、紫が青に成ったりします。金はまれで黄を表しているものと思います。 
 この五色を用いた五色幕はお寺で良く見かけます。今回の5番目のお寺の長興寺でも本堂の壁にありました。諸々の関連は以下の様です。

・紫 東 青龍 地 禅定 お釈迦様の髪
・白 西 白虎 風 清浄 お釈迦様の歯
・黒 北 玄武 空 忍辱 お釈迦様の袈裟
・黄 中 麒麟 水 金剛 お釈迦様の肌
・赤 南 朱雀 火 精進 お釈迦様の血
 詳しくは「色と思想について」を参照ください。
 http://www12.plala.or.jp/solaris_works/reports_004.html

 遥かなる宮へと繋ぎて参ることは、最終的に「ウラルアルタイのソンダロイ、覚えて訪ねて響きなされ。」と言う事なのでしょうか。しかし、まずは日本での北からの光、響きを
「是より出で来る北よりの大きなる力受けて、この国の要所へと送り行く事となる。北よりを伝えて参るなり。」の言葉に在る様に行う事が先決です。
 
 今回、靄山からのレイラインは各方向に存在する事が地図で確認出来ました。既に巡りの前に地図上では何本も線を引いていましたが、靄山が基点と決まり、明確に成りました。
 大きなものは以下です。
靄山→黒又山(秋田県)→巌龍神社(岩手県)→物見山(岩手県)
靄山→森吉山(秋田県)→大和白石(宮城県)
靄山→岩木山(青森県)→高岩山(高岩神社)(秋田県)→高尾山(秋田県)→月山(山形県)
靄山→大平山(秋田県)→保呂羽山(秋田県)
靄山→十和田湖(青森県)→早池峰山(岩手県)→五葉山(岩手県)

 帰りの車中で、中山さんから「この東北地方で中央部を南北にラインを引けるのポイントはあるか、そして、そこに東西のラインを成して、交叉する中心を定め、円を描けるようなポイントはありますか?」とお尋ね頂きました。直ぐにイメージがありましたが、運転中ですから調べて後日報告する事にしました。

 そんなお話をしていた後に、中山さんから何か聞きたいことはありませんかと言われ、思いつくままに何点かお聞きしました。その時の中山さんからお言葉を紹介します。 

・次に向かう意図を持っている人の能力を活かす、使う、伸ばす方法について
「如何なる人へも等しく与えてきた。仕組みを越えて、元々持ちたるはこの地にて、如何に成して、真を極め行くかなり。
 お役目、能力、差別、区別無しゆえ、只々生きて死に行くも大事なる事。これこの身を作りて、動かす一つずつの細胞と同じ事なり。只与えられたるを成すだけも、受けたる信号を正確に伝えるも、差別は無し故、そこに意図するところは全て無しなり。皆々充分なれば、いついつも活き活きなり。
 この地球、人々の知能進み来て、変りて参りて、差別が現れ、想いが現れ、欲望現れ、次第に行い変わり来たり。この事一度元に戻し、全き新しきと成り行けば、あなた様が今知ろうとするその事は、間もなく解消されます。
 暫しの間、多くの矛盾は現れ出で来ることですが、只々しっかり見て、流し行かれませ。大いなる明日が見えて参ります。」19:55

・その時期はいつごろですか
「必ず成し行く事成れど、大いなるこの地球の事ゆえ、まず篩い、洗い流し、見事なる地へ戻すは大きなる事ゆえ、始まるは本年、日暮れは3年、明け行くは5年と思わるる。そこから新たなるへ向かい作らるる。」

・その間、今の肉体でどれくらい対応できるか
「新たなるへ向かうは、数少なきが、今是よりも、諸々の間に増えるを望みます。
 まず第1にしっかり思いを定め、きっと成し行く方ぞ。信じるはご自分と成りて、この暗き時、大いなる活き活きと為さる思いなり。」

・思いを定めれば良いと言う事か
「与えずとも思いが生み出だす人と成り行くなり。今このあわ歌、歌いておるこの身も、思い定めて、無しと成り、只々歌いて参る故、その事、進めて参られたり。
 まず持って、定めて、揺らがず、信じる事なり。
 与えられるとの保証は考えの中。定めたる方はその事思わぬもの成り。
 人の真をしっかり掴みたれば、何事も皆々その身の中に在りて、全てを統べるなり。」 20:15

  4月28日夜に仙台に帰り着き、5月6日には中山さんを再度、仙台、大和にお迎えしました。
 今回は2015年1月19日に頂いた以下のお言葉によります。
「お頼み申します。
 来る五月の三日より、五日の間に起こる事、この地が新たに成り行く始めを定め行く。
 この時大事は彼の石ぞ。懇ろに祭り上げ、十分なる光と成り行かれますように、構えてご用意願います。」

 中山さんは28日以降も、そのまま東北に留まり、仙台、青森、秋田を巡り又仙台へお越し頂く強行軍です。私のその間、大和の農作業、福岡、立花大敬さんの山形、仙台講演会のお世話に忙しく過ごしていました。そんな中で今回の旅で頂いた宿題はどうにか答えの目途が立ち、中山さんをお迎えすることができました。

434「北方来光7」2015,5,14

 今回の旅は初期の目的は達成できたようです。本州最北の地、青森県の下北半島、大間崎を巡り、フェリーで津軽半島に渡り最北の竜飛崎に共に立ち、北の地の要の靄山から新たな光、エネルギーが各所に発せられました。
 この4月22日の大和白石から始まった北方来光で頂いたお言葉をまとめてみると以下の様に成ります。

「只今は、大きなる響きを受けて嬉しき。
 春は曙、吹く風柔らか、陽は燦々、皆々新たな芽をゐ出し、それぞれの命大きく開く。 この地も持ちたる大きなる思い、ゐ出して明日へと拡げ行く。
 繋がり行く行くこの地と、遙かなる大きな柱と成り行きて、新たなる時へ参り行く。
 響き集まり一つと成りて、渦生みゐ出し、この地へ送り、生み出だす嬉しきを。

 明日より始じむ、この身の光、大きく進み行く。音だけに非ず、全ての篩いを集めて参る。共々 皆々受けられて大きく進まれませ。
 集まり作るは新たな合一。開きて、発して、緩めて、揺られ、流して、外し、大きなるへと戻し行く。
 津軽の峰は大きなる繋がりあり。是より出で来る北よりの大きなる力受けて、この国の要所へと送り行く事となる。ここにて歌響かせ、ふむう ふむう ふむう。

 さて、この身は是より大きなる響きと、篩いを成し行き、変りて参る。この地も共々変わり行く。地球の全ては内なる多くをこの時ゐ出し、今ある姿は変わり行き、人々皆々進みへと向かう。
 この事、如何なる事かは全て現るるなり、生み出だす響きに依りて。
 歩みを速めて是よりは、大きく拡げて響き行く。是より揺らぎて参るは、大きなる地と、大きなる集まり、皆々細かく成し行くは、変りて動く、新しきなり。
 響きを変え行き、篩い行く。新たへの道は光りなり。

 この上は、この地と共にあることぞ。作りたるものに囚われず、只々この地とひとつと成りて、共に進みて新しきへ参られませ。
 多くの是まで、無しと成され、皆々古きは引き受けたり。
 写りて参りてここにあるは、是よりの大きな繋がりを致す。北よりを伝えて参るなり。遙かな響きはその時発する。うー つー りー」

 綺麗に起承転結に文が成っています。

 そして北の要、靄山でのお言葉から5つの寺での響き、お言葉がありました。それをまとめると以下の様になります。まず靄山の言葉からです。
「遥かなる宮へと繋ぎて参る。是より申す事、しっかりと行いて頂きたし。
 その事とは、
 是より二日に、五つの寺訪ねられ、歌いて、響かせ、繋ぎ行き、つど、伝えるをしっかりと持ちて参られませ。
 これ大きなる元なれば、見事なる知らせなり。響きを激しく発し行きて、篩いて変え行く動きを致すなり。
 只々の心を忘れずに、明るき、嬉しき時と参りませ。本日はありがとうございます。」

「是より後に、皆々係わり、満授(まんじゅ)の時に大きな知らせと成り行く。(十三山湊迎寺)
 古き時より、大きなるこの宇宙定まりて、その事に沿って進み来たり。
 二つと成りたは進みを早目、動きを速める故なり。そこより離れるは無への道なり。整えられたる思いを外すがこの地の学び。これ一番の事成り。(平滝沼公園三十三観世音)
 訪ね来たりたるは、是よりのこの地は大きく変わりて参る事なり。黒き闇を抜ける大きなる元の響きは、闇をも貫き、新しい光を見るなり。
 皆々そこ離れて、大きく広きへ参りませ。一切は無と成り、皆々一つ、共々なり。
 さあさあさあ、なーなー。(見入山観音堂)
 助くるは、皆々様のその身にある大きなる御魂と、数多き小さき方々。その皆の力にてここにあり。
 ここに在りて多くの事に当たりて知り行き、ご自分を讃え、拡がり、全てを預け、皆々ひとつをその身で掴む。
 多くの物表わして、物に救いを求めるは大きなる過ちへと参るなり。遙かなる地より、その事を伝え行く。(円覚寺)
 大いなる古き時、赤き5番目に現れたる山あり。そこより出で来る大きなる気を受けて、この大きなる大陸は働き始めたり。その時の只々なる一心を遍く拡げ行きたるは、元成るなり。
 ウラルアルタイのソンダロイ、覚えて訪ねて響きなされ。(長興寺)」
 
 5つの寺を巡り、「満授の時の大きな元の見事なる知らせ」を整理し少し訳してみると以下の様です。
「この宇宙は大きな計画に沿って進んで来ている。
 二つに分かれたのは進みを早める為で、そこから離れる事が無への道であり、この地で整え、教えられた思いを外すことがこの地での学びの眼目だ。
 これからはこの地は大きく変わり、闇をも貫き抜ける大いなる元の響きで新しい光が現れる。皆はその地を離れて、大きく広い世界へ来なさい。一切は無となって一つになる。
 助けるは各自の中の大いなる御魂と数多き小さきもの(細胞か?)の働きで、ここで体験し知ることで、自分を讃え、広げ、全託して一つを会得する。しかし、物に現して救いを求めることは大きな過ちと成る。その事を伝えて行く。
 古き時、現れた山からの大きな気でこの大陸は動き始めた。元成る計画で只々の一心で拡げて来た。その地、ウラルアルタイのソンダロイを訪れて響かせよ。」
 
 果たして如何でしょうか。

2015年5月14日木曜日

433「北方来光6」2015,5,13

 昼食は道の駅ふたついで頂きました。皆さん連日の海の幸に些か飽きて来ていて、違うものを欲していたようで山の恵みのお鍋はタイムリーで喜ばれました。

 お腹を満たして次の目的地は鹿角市にある茂谷山の月山神社です。課題のお寺を探すことに、地図を見ながらの走行ですが、何故か車はいつもと違うルートで285号線から103号線を進みます。そんな車中に以下のお言葉がありました。まったく意味不明です。
「ツルルン タンタン ユウユル ユン オーオーオー
 ツルルン タルタン ユウユウ ユン ウーウーウー
 タラン チリン タラン タラン タン タン タン」13:42

 程なくしてこれから少し先、大館市十二所に長興寺というお寺が見つかりました。実は今日の車中で中山さんにお寺の映像が見えていたそうです。それは変わった屋根の大きなお寺の様でした。道路から本堂の横の姿を見た時に、「ここは違うな」、と言っていましたが境内に入って駐車し、本堂を正面から見ると、「あっここだと」おっしゃいます。目出度く探し当てる事が出来ました。

 先のお寺での轍を活かして、住職様にその旨お話してお願いしたところ快諾して下さいました。本堂の鍵を開けて下さり、お蔭様で、御本尊様の前であわ歌を響かせることが出来ました。穏やかなお顔の御住職で、なんともありがたさを感じさせる人間性豊かな方でした。
 そこでのお言葉です。

「大いなる古き時、赤き5番目に現れたる山あり。
 そこより出で来る大きなる気を受けて、この大きなる大陸は働き始めたり。
 その時の只々なる一心を遍く拡げ行きたるは、元成るなり。
 ウラルアルタイのソンダロイ、覚えて訪ねて響きなされ。」」14:15

 ここで赤、5、い、が出ました。そしてウラルアルタイのソンダロイを訪ねて響く事を求められたいます。場所は調べましたが分かりません。いずれにしてもウラルアルタイ。中央アジアです。またまた大きな課題を中山さんは頂いたようです。


 2日間で5か所のお寺で響かせるという靄山で頂いた課題はどうにか果たすことが出来ました。そのまとめは後でしたいと思います。

 茂谷山は津軽の昨日訪れた靄山とおなじ読み方の山で、同様に山容が綺麗なピラミッドの形の山です。モヤヤマの名称に何かありそうですがここでは触れずに進みます。
 月山神社は茂谷山の西側の山複にあり、自動車で行けるのですが山が荒れ一の鳥居の先は雪があり車では無理です。そこから歩いて参拝しました。坂上田村麻呂由来の古い社でした。そこであわ歌を響かせました。その時のお言葉です。
「この上は、この地と共にあることぞ。
 作りたるものに囚われず、只々この地とひとつと成りて、共に進みて新しきへ参られませ。
 多くの是まで、無しと成され、皆々古きは引き受けたり。」15:23

 黒又山は同じ市内で大湯ストーンサークル近くにあり、この山のピラミッドと言われ、いろいろ話題になったところです。

山頂に本宮神社があります。山頂に登るには10分程の時間を要しますが、その必要を中山さんに判断頂くつもりで車を降りました。鳥居から足を進め、歌える場所はあるかと問われ、途中は無いとお答えすると、すたすたと登り始めました。結果的に山頂に皆さんで集い、本宮神社の拝殿であわ歌を響かせました。

 その時のお言葉です。
「写りて参りてここにあるは、是よりの大きな繋がりを致す北よりを伝えて参るなり。
遙かな響きはその時はっする。うー つー りー」16:30

 丁度、太陽が西の方向に沈み始めていて、その光は強烈なエネルギーを降り注いでいました。カメラにもしっかり写るその光は大いなる祝福なのでしょうか。
 予定の時間がどんどん押して来ています。早々に下山して、最後の目的地の、同じ鹿角市八幡平の地蔵岩に向かいます。
 地蔵岩は大日堂大日霊貫神社を過ぎて高速道路の下をくぐり少し進んだ山中にあります。
 地蔵岩は山腹にそそり立つ巨石で木々が茂り、全容は分かりにくいのですが巨大です。その岩の下であわ歌を響かせました。その時のお言葉です。

「新しきへ向かい行く。大きく海は広がりて参る。
 この地にありて光りを発して、海の印の光を灯され、皆々に発して下され。
 迫り来るその日は大きなる響きと共に参る。」17:30

 えっ!海が広がり、この岩が灯台の役割をするというのでしょうか。些か驚きです。

 時間は予定通りの17時半に全ての巡りを終える事が出来ました。ここで青森から参加のお二人と、長野から参加のMさんはお別れです。名残を惜しみつつも、仙台の最終新幹線で帰る方々もいますので帰路について一路、仙台を目指しました。

 走り出して西の山際に丁度太陽が沈み、夕陽の光景に恵まれました。4日間全ては快晴に恵まれ、最後のご褒美も頂き、全ては善き巡りだったと安堵して車を走らせました。
 そして仙台駅には丁度、20時半到着です。これまた予定の時間どおりでした。無事の帰りを祝して、細やかで爽やかな分散会をしてお別れしました。
 ブログは次に、旅の纏めに続きます。