2015年6月30日火曜日

456「出羽巡り7」2015.6.30

 出羽の巡りを終えて果たして今回の頂は如何なものでしたか改めて振り返ってみます。その場でしか味わえない多くのもの、情報が満載されていますが、多くはその場限りで、うわべだけで、繋がりが乏しいことが多いのが現状です。
 新たな音の響き、光との邂逅がありました。視聴を超える変換への自覚は無かったとしても、その基礎になる基本情報は頂けた様に思います。潜在化の未確認情報を再確認させていただくものとして、この間に頂いたお言葉の内容を再度読み直してみると新たな気づき、認識の始まりとなります。
 12日のあわ歌唱和会から15日までの今回の内容を整理してみると以下のようになります。

1、大テーマ:この身の大き思いを掴み、身を立てること。行方を知らせ皆の深き思いを誘導する。その身の限り響かせ廻り繋ぎ参ること。
「現します。写したるこの身の大き思いをつかみて、皆々様その身を立てられませ。
現し見せるは大きなること。響きと共なるこの身にありて、行方を知らせてこの地の行く道、しっかり示して、皆々様の思いを深きへ誘いまつる。生まれ出でませ皆々のその身に。
雨降り来る大き地に、皆々様にはその身の力の限り響かせて、周りて繋ぎて参られませ。」

2、目的1 この地球の変化は初めての事、起こる事を消し新たにして、揺るがぬ身で進み新しきを迎える。
「伝え行くこと、是よりのことなり。開かれてこの地球へと繋がり来る事ごと、皆々分からぬ大きなること。この地に現わるる事ごと、皆々始めてのこと。皆々様に起こり来ること、この時に流して消し去ること。全てはすっかり新しき。分からずとも、ただただその身を明日へと進みて下され。
 揺るがぬその身は大いなる身なり。ただただ忘れず、晴れて新らしきをお迎え下され。」

3、目的2 天地のハーモニー、音に乗り来る光で響かせ、あわ歌で天地繋ぎ行き、北の地を定めて柱を立てる。是より回る地は大きなる地なり。
「皆様ご覧のあの光、見事に写したるは天地のハーモニー。音は発せられたるなり。その音に乗り来る光なり。写して参ろう是よりも。皆様の響きと共に。
この度、この地球を進めるこの時にあたり、このあわ歌にて皆々様が天地繋ぎ行く、この北の地を、それぞれ定めてしっかり柱と成し行かれ、大きなる1歩へ進まれて、来る7日、大きなるを確認いたす。是より回るこの地、大きなる地なり。」

4、目的3 視聴覚を新たに変え、独力でその身の全てを開き、響き、動き、働き、讃えることで大安心、これ嬉しきなり。無しとはこのこと。
「新たなるのひとつは、この地の方々、皆々大きく広きと成り行き、見えます、聞こえます。二つのその身の器官を変え行きて、振動捉えて分かり行く方々多くなりまする。その為の事、この身を通して伝え行く。
助けは無しなり。皆々その身の全てを開き、全てに響きて、その身の全て、動きて働き、この地の全て讃えて参れば大安心。皆々生き生き、嬉しきなるなり。無しとはこのこと。その身以外は皆々大いなるこの地球にあり。」

5、目的4 新たな音を順に伝え大きな拡がりへ結び行く。天へ旅立ち、嬉しきは宇宙の大歓喜。この地は明日の大きな力の波となる。ご縁の方々進まれ。
「届け行く行くこの音を、知りて頂くその全てを、是より順に伝え行き、大きなる拡がりへと結びて参る。そのこと是より大切なり。心得て参られませ。新たなること次にあり。響きをよくよく捉えませ。
生み行くこの身は、是より音のみ現し、皆々様にもその音、その身にしっかり受けられませ。
ただただ参りて、それぞれ参りて、それぞれ大きな身と成り行かれ、天(あめ)の広きへ旅立ち行けば、皆々のその晴れ晴れ、嬉しきは宇宙の大歓喜。
晴れやかに成り行きたり。この地は明日の大きなる力の波と成り行きましょう。ご縁の方々共々に、大きなる広がりへ、それぞれを進めませ。」

6、是までの現状  繋がれず、伝えられずある。如何なるやにあらず。如何に成して参るかなり。穏やかな嬉しき地を作りくだされ。遥かなるその時に長き時祈りを成し行きて、大きく天地繋ぎたり。
「訪ねて参るは数々あれど、繋ぎて参るは数あらず。伝える方はましてなし。ここにありて、永きなり。今より申すはこの身の真なり。
つらぬきて、この地と共なるを、如何なるやにあらず。如何に成して参るかなり。
遥かに望みたこの地へ参り、麗しき地は未だここにあり。この地を守りて、新たなるへ向かう方々、どうぞ是よりは、ひたすら一つと成りなって、穏やかなる麗しき地をお作り下され。お頼み申す。
いつの日かえるこの身なり。大きく柱をこの地の山に差込み、揺らがぬ地と成すは、皆々様の思いを一つと成し行きて、天地繋ぎて、平安となされ、麗しき地に嬉しきと成られませ。
さすらいたるなり。この大きなる地の方々、皆々その身を見失いて、遥かなるへのこの光をお忘れなり。響きと共成り。降る降る光、今まさにここにあるをしっかりと、この地も人も受け取られませ。
遥かなるその時に、祈りたるは、この祈り、是よりの始を知らせること。その後、長き時祈りを成し行きて、大きく天地繋ぎたり。」

7、是よりの事1 根絶不可能、計り知れぬ地球、艱難辛苦を大きなる力として成し行き、大きなる力を使って下さい。
「根絶不可能 ならぬ観音 するが観音。左へ回して大きく揺する、破裂する地殻帯。
 ゆんたらりろ。
訪れ来るは太古のころの離れて繋ぎたその型。安心の地の身と成りて、揺るがぬへと参るその時、如何なることと相成る哉。計り知れぬがこの地球の姿。
 艱難辛苦を大きなる力と成し行かれませ。それまでにこの時より発して参る。大きなる力を使いて下され。」

8、是よりの事2 地球は変わる、各自の身をしっかり持ち、うれしき明日へ参られ。全てを一つと成し行く、そのこと大きなることなり。この池の底にある諸々を、優れた新たなる時に使用ください。
「進みて参るこの地球の全て。それぞれのその身をしっかり持ち行き、嬉しき明日へと参られませ。この地も変わりて、拡がり行く。
あ~あ~あ~あ~ 全てを一つと成し行く、そのこと大きなることなり。
大層な日々を送り来たりた。夢なる日々は、ここにありて、山を、木々を、皆共と成し、この池、深くに留まりて、天空写して、繋ぎ行き、深きこの地にありまする。優れたる新たなるの時にお使いなさりませ。あなたのその身へ送ります。この地の底の諸々を。
ありがたき。共に参ろう。あ~。」

 果たして今回が次なる事への繋ぎとなり、前提条件となるかは縁した方々、縁ある方々の理解、新たなるへの動き、働きにかかっていることは間違いないことでしょう。
各自が柱を立て、己がお役目を果たす、そこへの道は、あわ歌の歌の響きと光の振動で誘導されていくようです。視聴域の拡大深化への響きあい(天意)、の共鳴共振へ更なる歩みを共に続けていきましょう。仙台の次なる頂きは8月です、ご縁の皆様方宜しくお願いします。

455「出羽巡り6」2015.6.30

 昼食の時間です。直ぐ近くの道の駅小町の郷で豪華な弁当の昼食を頂きました。

 1時間ほどゆっくり出来ましたが休憩の最後の時に中山さんに以下のお言葉がありました。
「根絶不可能 ならぬ観音 するが観音。
 左へ回して大きく揺する、破裂する地殻帯。
 ゆんたらりろ。」12:55
 
 これはどんな意味でしょうか。聞きなれた言葉に、「ならぬ堪忍 するが堪忍」がありますが言い回しが似ています。もう我慢できない、もう耐えられない、堪忍袋の緒が切れた、と爆発する前に、もうひと踏ん張りするのが、「ならぬ堪忍 するが堪忍」です
 絶対不可能な時に観音でも出来ないことをするのが観音と言うことでしょうか。そして左へまわして振動で地殻が破裂するとあります。これは一大事です。
 私もこの内容は車で出発した後に見せていただきましたので皆さんには伝わっていません。
 
 車は日本海に向けて山越えです。目指すは鳥海山の麓の由利本荘市森子にある大物忌神社です。車中あわ歌を歌いながら快調なドライブが続きます。そんな中に以下のお言葉がありました。
「訪れ来るは太古のころの離れて繋ぎたその型。
 安心の地の身と成りて、揺るがぬへと参るその時、如何なることと相成る哉。
 計り知れぬがこの地球の姿。
 艱難辛苦を大きなる力と成し行かれませ。
 それまでにこの時より発して参る。大きなる力を使いて下され。」14:05


 先ほどのお言葉といい、計り知れない内容です。この地球の姿、艱難辛苦を大きな力とするためにこの時から発する大きな力を使うようにとのことです。果たして、果たして如何なのでしょうか。
 大物忌神社森子は集落の中に鳥居があり長い階段を登った先にありました。しかし目的の場所は更に登山道を登り進んで5分ほどの山中にある巨木の根元にある鳥海山様といわれる巨石です。その形が鳥海山の山容に似ているとか。その方向に鳥海山が遥拝できる場所です。

  鳥海山大物忌神社は数箇所ありますが、Mさんはじめ秋田の方々のお気に入りの神社がこの森子のこの鳥海山様とのことです。実は諸事情があり急遽、秋田、青森から参加の皆様はこの鳥海山様を最後に早めに帰ることになりました。ですから全員であわ歌を響かせるのはここが最後になります。
 Mさんはじめ秋田の方々が中心になり、あわ歌の響きを発せられました。この巡りの初日よりの課題が各自に定まり、柱たち、天地繋ぐ人の役割の響きを発せられたか、果たしてそこが大きな頂でした。その後のお言葉です。
「進みて参るこの地球の全て。
 それぞれのその身をしっかり持ち行き、嬉しき明日へと参られませ。
 この地も変わりて、拡がり行く。」14:43

 下山して秋田の皆さんと濃厚なお別れの儀式?が延々と成されました。

私たちの車をお見送り頂き、次なる目的地、にかほ市にある金峰神社・奈曽の白滝へ向かいました。車中では新たな気持ちに切り替えて皆さんであわ歌を3回唱和しました。その後のお言葉です。
「あ~あ~あ~あ~ 全てを一つと成し行く、そのこと大きなることなり。」15:50

 金峰神社と奈曽の白滝は以下の記載があります。
「金峰神社の創建は斉衛3年(856)、慈覚大師が鳥海山を棲みかとし村人達に悪事を働いた手長足長を退治した際、鳥海大権現と蔵王権現を勧請したのが始まりとされます。鳥海山を御神体とする修験の拠点の1つとされ、奈曽の白滝が神域(鳥海山)と下界の境界線と見られていたようです。」
「奈曽の白滝は秋田を代表とする名瀑で、高さ26m、幅11mをほこり、水量が豊富で周囲の環境の良さから、昭和7年(1932)に国の名勝に指定され、昭和25年には毎日新聞社主催の「日本観光百選」に入賞しています。
滝壺までは一旦金峰神社の宝物館まで登ってから降りる為かなりの階段数がありますが、老杉と鳥海山の溶岩と思われる巨石が点在し、かなり雰囲気があります。滝の真下まではいけないのですが、それでも十分に滝の迫力と清涼感を感じる事が出来ます。」
 まさに滝の迫力と清涼感は抜群でした。しばし、水しぶきならぬ水蒸気のマイナスイオンを満喫して心身の癒しと活性化が出来ました。ここでは響かせることなく次へ向かいました。




 次は山形県遊佐町の十六羅漢です。展望台から眺めましたが奇岩はさほどの感動は無く、海と太陽の織り成す光の世界は目を引き寄せるものでした。日本海の波は凪いでいて太陽が海面にきらきらと光輝いています。その海面に男鹿の八望台で見た不思議な光の面が広がります。暫く眺めていましたが拡がり近づいて来る感じで、見続けていると異次元の世界に行きそうな状態になってきます。そこそこに引き上げましたがここでもあわ歌は響かせずに移動しました。


 最後の目的地は同じ遊佐町にある丸池様です。
「直径20メートル、水深5メートル、湧き水だけで満たされた池です。水の色は幻想的なエメラルドグリーンです。光の加減により微妙に色を変えていきます。透明な池を見ていると、底の方からボコボコと水が湧いている様子が見られます。
 後三年の役で、鎌倉権五郎景正が敵に目を射抜かれ、三日三晩その敵を探し求め見事に討ち取ったあとにこの池で目を洗ったため、この池に住む魚は鎌倉景正に敬意を表してすべて片目であると言われています。
 鳥海山大物忌神社の境内地であるため手つかずの社叢が残っています。地域住民からは古くから信仰の対象として大切にされてきました。」
「白い大蛇伝説や、丸池様に棲む生物はすべて片目である、といった伝説や、魚を捕ったり池を荒らしたりすると目が潰れる、といった言い伝えがあり、目の神様として古代よりの地域住民の信仰の対象でもあるのです。
 実際、エメラルドグリーンの池底には倒木が朽ち果てずにまるで龍の如くうずくまっているようで、まさに神秘的です。池を囲む木々は原始林で遊佐町指定の天然記念物として保護されており、池の畔の苔むした木々の合間には、この丸池を御神体とする大物忌神社摂社、丸池神社があります。」


 暫し池の周りを散策し神秘的な丸池様に向かってあわ歌を響かせました。その時のお言葉です。
「大層な日々を送り来たりた。
 夢なる日々は、ここにありて、山を、木々を、皆共と成し、この池、深くに留まりて、天空写して、繋ぎ行き、深きこの地にありまする。
 優れたる新たなるの時にお使いなさりませ。あなたのその身へ送ります。この地の底の諸々を。
 ありがたき。共に参ろう。あ~。」17:17

 驚きのお言葉であり、池との深い繋がりを成すことが出来ました。優れたる新たなる時にこの池の底の諸々がお役立ちくださるとのことです。今回の巡りの最後でこの繋がりを頂けたことは大きな頂きでした。北からの山、岩を繋ぐエネルギーラインを目指していたのですが、地の底、地の中からの力を得て、将に天地繋ぐ人の進みが1つ整ったようです。
 この丸池は独眼龍も縁があるのかもしれません。全ての完了の時間も17:17でいいな、いいなで良き計らいです。


 帰りのドライブもスムーズで20時には仙台駅に到着です。全ては予定通り無事に終わりましたが、終わりの始まりで次なる大きな区切りは8月10日に控えています。

454「出羽巡り5」2015.6.29

 この巡りも最終日の15日を迎えました。今日は秋田県の南に鎮座する名峰、東鳥海山と神室山、鳥海山を巡り、山形県に抜けて仙台に帰る括りの巡りです。果たして如何なことが待っているのでしょうか。
 宿を8時に出発して目指すは東鳥海山です。標高777mで、数字の並びにも何かありそうな感じです。東鳥海山について以下の表記があります。
「秋田県湯沢市の南東にある東鳥海山は、権現山とも呼ばれる信仰の山で、山頂には東鳥海山神社が祭られている。延暦20年(801)に坂上田村麻呂が、奥州征伐の際、戦勝祈願のために創建したと伝えられる古い社である。
 山容が西方の鳥海山に似ていることや、山頂に「鳥ノ海」と呼ばれる窪地があることなどから、東鳥海山と呼ばれるようになった。」
「古名は「雄鬼骨山」(おしこほねやま)地元では「権現山」(ごんげんさん)と言われている。西の鳥海山に対して東鳥海山とされている。また、鳥海山・神室山・東鳥海山で三姉妹といわれている。御神体が薬師仏で、古来、県南の田の神様として、農民の信仰が篤く、春は豊作祈願、秋は米穀の収穫感謝のため権現参りでにぎわった。」

 東鳥海山は数多くの伝説に包まれた神秘性に富む山で、秋田県南部に位置する鳥海山・神室山・東鳥海山は三姉妹で、一番低い東鳥海山が長姉、鳥海山が次女で神室山が三女だということです。神室山は別名、南鳥海山とも言われます。
 東鳥海神社はその創建は不詳ですが、「伝承によると延暦20年(801)、坂上田村麻呂が東夷東征の戦勝祈願の為勧請されたのが始まり」と伝えられています。
 山頂に奥宮がありますが、麓にある里宮であわ歌を響かせました。


そこでのお言葉です。

「遥かに望みたこの地へ参り、麗しき地は未だここにあり。
この地を守りて、新たなるへ向かう方々、どうぞ是よりは、ひたすら一つと成りなって、穏やかなる麗しき地をお作り下され。お頼み申す。」8:53


 神室山は山形県境に連なる山々の主峰で、連山を東北のミニアルプスとも言われます。
「神室山は、古来から山岳信仰の山として知られ、修験の山として鳥海山と並び称される存在であった。伝説によれば、坂上田村麻呂が東征のおりに開山したと伝えられている。鳥海山との結びつきが強く、祭神も同じ大物忌神である。また、神室山は水や農業の神として敬われ、人々は山に登っては五穀豊穣を祈っていた。」
 ここも坂上田村麻呂の縁深きところです。また神室山は標高1365mで、の古名が鏑山(カブラダケ)です。山頂にあるのが鏑山神社ですが遥拝殿のある役内会館にお邪魔しました。  


 役内部落の集会所に預けられている拝殿であわ歌を響かせました。その時のお言葉です。

「いつの日かえるこの身なり。
 大きく柱をこの地の山に差込み、揺らがぬ地と成すは、皆々様の思いを一つと成し行きて、天地繋ぎて、平安となされ、麗しき地に嬉しきと成られませ。」10:15


 大きな願いがあるようですが、その動きを成す人がいないのでしょうか。かつての麗しき地への思いを天地繋いで平安を成すことが求められています。
引き続き、神室山の千代世神社へ向かいます。この神社も何ともいえない荒んだ感じの境内の印象です。是だけの名峰神室山なのにそれをしっかりお祀ることが必要と思いますが、なかなか難しいのでしょう。千代世(ちよせ)の名は、千代はせんだいとも読み、仙台はかつて千代と記されていこともあります。千代に八千代にの、君が代にもあります。



そこであわ歌を響かせました。その時のお言葉です。
「さすらいたるなり。
 この大きなる地の方々、皆々その身を見失いて、遥かなるへのこの光をお忘れなり。
 響きと共成り。降る降る光、今まさにここにあるをしっかりと、この地も人も受け取られませ。」10:53


まさにお言葉通りに、さすらいたのでしょう。皆々その身を見失い、遥かなるへの光も忘れたとあります。光なくしては新たなることは成し行かれないように思います。
 少し沈んだ気分で次なる目的との岩井堂洞窟へ向かいました。

 岩井堂洞窟は縄文時代の洞窟遺跡ですが、以下のように記されています。
「岩井堂洞窟は、秋田県と山形県の県境、雄物川の最上流に合流する雄勝川右岸に所在する縄文時代の洞窟遺跡である。約80メートルに及ぶ凝灰岩の露頭に、大小4か所の洞窟(第1洞〜第4洞)が並んでおり、いずれも縄文時代に住居として利用され、各洞窟内及び前庭部に遺物の包含層が形成されている。」
 この遺跡は岩陰遺跡(いわかげいせき)と言われるもので、発掘された縄文土器、弥生土器などから縄文後期から長期間にわたり使用されていたようです。
「岩陰遺跡張り出した岩盤を屋根代わりに利用したことを特徴とする先史人類の生活の痕跡としての遺跡のことをいう。」
 鳥居の奥に岩山に洞窟があります。その前であわ歌を響かせました。


その時のお言葉です。
「遥かなるその時に、祈りたるは、
 ふーむーうー むー うんむうーむ うーむ パッパッパッ
 むー パッパッパッ
 おー おー おー
 この祈り、是よりの始を知らせること。その後、長き時祈りを成し行きて、大きく天地繋ぎたり。」11:40


中山さんが唇を合わせてパッ、パッとされます。古でのコミュニケーションツールだったのでしょうか。是よりの始まりを知らせて、長い時祈り、天地を繋いだとあります。果たして如何なものでしょうか。