2015年7月20日月曜日

463「津軽4」2015.7.17

 5日も素晴らしい天気に恵まれました。皆さん元気に宿を8時に出発です。最初の訪問先は津軽半島を龍飛岬に向かう339号線を北上した五所川原市脇元にある洗磯崎神社です。  
 途中、十三湖を過ぎて更に北上すると正面に綺麗な三角形、ピラミッド形の靄山(もややま)が見えてきます。昔は尖がり山と呼ばれていたといいますが、あまりにも綺麗な形なので人造の山だとも言われています。

 靄山は津軽富士の岩木山と深い繋がりがあり、靄山は脇元岩木山と呼ばれています。この二つの山についてはいろいろな類似、関連が言われています。
 まず、靄山は姉で岩木山が妹という姉妹伝説もあります。更には安寿厨子王伝説もあり、姉の安寿が岩木山に、弟の厨子王が靄山におさまったといいます。
 岩木山と靄山は同じ日、旧暦8月1日にお山参詣の大祭をします。
「靄山アラカルト」
http://www.13minato.com/04moyayamaarakaruto/002moyayamadensetsu.html
「神秘の山?靄山」
http://blog.goo.ne.jp/5shokanko/e/3f2c59bcc81c694fe33f04f15a5262a5
「靄山&脇元岩木山神社」
http://blogs.yahoo.co.jp/sadisticyuki10/10798063.html

 ある書物には
「もや山は、神の霊が降臨し、祖先霊が宿る霊山として人工的に造られた山と推定される」とも記されています。
 さらにこの靄山には龍飛岬から発する霊ラインがあり、靄山から一直線に津軽富士・岩木山迄の間には縄文遺跡の亀ケ丘遺跡、石神遺跡など津軽古代遺跡群があり、更に今回訪れる多くの神社が並んでいます。その霊ラインは東経140度20分です。
 今回の旅にあたり何冊も本を読み直してみましたが、その中で参加者の皆さんには以下の2冊を紹介しておきました。
「津軽古代王国の謎」 扶桑社 佐藤有文著
「消えた蝦夷たちの謎 東北編」 ポプラ社 関 裕二著

 程なくして洗磯崎神社に到着です。国道339号線沿いの日本海の海岸の直ぐ近くの高台にあります。日曜日の快晴、神社は20人ほどの氏子さん総出で境内の清掃奉仕をしていました。その中に宮司さんもいて、本殿を空けてくださり参拝させていただき、いろいろお話してくださいました。




 岩木山信仰、アラハバキ神を祭るこの神社は海の上に浮かぶ岩木山を見ることが出来るところで、遙拝所としても有名なところです。安倍・安東氏が荒吐神を祀ったと言われる歴史ある神社で御祭神は大己貴命、少彦名命です。 岩木山信仰は小山を拝するところにあるものとのことです。この地、靄山からの岩木山はさぞかし綺麗な姿でしょう。何度もここを訪れていますが海に浮かぶ津軽不二は未だ見ることが出来ていません。また来る楽しみができました。
 国道を挟んで向かいには綺麗なこれまたピラミッド形の不動岩があり、頂上付近に巨石、岩座が見えます。10分強で山頂に登れるそうですがまたの機会です。こちらの宮司さんが次に訪れる日吉神社も宮司として治めておられるようです。
「洗磯崎神社」
http://blogs.yahoo.co.jp/sadisticyuki10/12007336.html

 山王坊 日吉神社は339号を10分ほど戻ったところにある大きな赤い二重の鳥居が目を引きます。山王造り京風二重鳥居ですが、そこから鳥居をくぐり東に進むこと5分弱で到着です。林の中に鎮座する聖域は朝の光を浴びて輝き、澄み切った霊気が感じられます。綺麗に整備がされてきたようで、宮司さんが疎水の護岸を整備したと話していましたが、周りの自然に雰囲気がいさいさかミスマッチな感じもします。



案内には以下のように記されています。   
「十三湖北岸、相内集落の北東に位置する。日吉神社が鎮座するこの周辺一帯は古来から霊地・聖域として村民に畏怖されてきました。昭和57年の発掘調査で神社仏閣の礎石跡や十三湊の繁栄と同じくする室町期の遺物が出土しており、安藤(東)氏が勧請した神仏習合の宗教施設と考えられています。」
 林の中の参道を進み本殿で参拝し、散策路を疎水沿いに巡り古の世界を味わいました。



「山王坊遺跡&日吉神社」
http://blogs.yahoo.co.jp/sadisticyuki10/9765735.html
「朝もやの中で眠る遺跡」
http://aomori-miryoku.com/2011/01/17/%E6%9C%9D%E3%82%82%E3%82%84%E3%81%AE%E4%B8%AD%E3%81%A7%E7%9C%A0%E3%82%8B%E9%81%BA%E8%B7%A1/

 次は5分ほどで神明社 オセドウ遺跡です。神明宮は以下のように記されています。
「御祭神:天照皇大神 勧請年月不詳、 社地は御伊勢堂と称し福島城址の鬼門に当ることから館神として祀られたものと考えられる。
 また、 一説に於瀬洞(オセドウ)は、古代の安日彦、 長髄彦の遺骸を再葬した墓地といわれ、 長髄神社あるいは荒吐神社と称し、 建久2年 (1191) 、安倍神社として再建されるが、 応永33年 (1426) 、福島城とともに焼討された。 延徳2年 (1490) 、天眞名井宮義仁親王は津軽に落ち当地に御幸し、 往古の安倍一族を偲び於世堂と号して一宇を建立したといわれる。元文3年 (1738) 、津軽藩の寺社令によって御伊勢宮と称され、 弘化2年 (1845) に神明宮と改める。 明治六年四月村社にら列せられる」
 ここでは大正12年に巨大な人骨が発掘されていて、身長2mほどでオセドウ貝塚人と言われています。
「現在、東京大学に保管されているこの大きな人骨は、神武天皇の東征により畿内の地を追われ、兄・安日彦とともに津軽へ逃れてきた長髄彦であると語られたこともありました。」
 かつて、長髄神社や荒吐神社と呼ばれていて、いまは神明宮で天照大神を祀る神社に様変わりしていますが、何かがありそうなところです。
 参道の階段を上ると木に藁の大きな龍のような人形が吊るされてあります。虫(大きな蛇)といわれるもので、この地で行われる虫おくりの行事に使われるものです。大小2つありました。小さな拝殿でその奥に貝塚があり、公園になっています。
「オセドウ貝塚・神明社」
http://madamada888.blog.fc2.com/blog-entry-263.html


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