2015年12月17日木曜日

534「石巻1」2015,12,15

 宮城のアラハバキの巡りを終えて急いでブログに纏めてしまいましたが、私の一つの懸案事項がありました。記紀に記される以前の日本の世界、ある意味では我が先祖の流れです。縄文・アラハバキの存在を認知し、考え始めてまだ10年足らずですが、各所を巡る内に少しずつ大きな視点で捉えられる様になって来ていました。その学びの中で一度確認してみたいと思っているのが東三河の存在と陸奥の繋がりです。当然、正史に無い世界です。
 
 前田豊氏の3部作「古代神都東三河」「倭国の真相」「消された古代ヤマト」を読んで興味が深まり、いろいろなものサイト等を調べながら今回、東三河に行ってその世界を探訪してきました。
 
 石巻は宮城の石巻市を思い浮かべますが愛知県豊橋市石巻町に石巻(いしまき)という山があります。この山はピラミッドの様な山容をしていて、見事な三角形です。標高358mで山頂は石灰岩の巨石で構成されています。市街から向かうとその姿が目に入ります。さながら仙台市にある太白山の様な感じです。以下のサイトで紹介されていますので興味のある方はご覧下さい。
「ええじゃないか豊橋、石巻山」:http://www.city.toyohashi.lg.jp/11570.htm

 上のサイトの一般的な説明だけで無く、どうやらこの石巻山は古代ピラミッドで祭祀の場であったところのようです。
 石巻山がピラミッドと言える理由として以下の表記がありました。
「石巻山は、その名の示すとおり、石が巻き上がったような、三角側面を有することから、
外見上ピラミッド様であることは明白である。」
 ピラミッドとして以下の条件が確認されることが求められています。
① クロマンタと同様に環状に整列された神社で祭祀されていること、
② 祭祀場は巨石または立石(メンヒル)を有する遺跡または神社仏閣があること、
③ 頂上に巨石・磐座があり、祭祀可能であること、
④ 地名やいわれに特徴があること、
⑤ 望ましくは巨石、立石にペトログラフ(古代文字、絵文字)があること、
それに対してこの石巻山は以下のことが判明しました。 
① 石巻山の周辺には、40社の摂社が多重・円周状に配置されていること
② 石巻山の頂上はまさしく巨石から成り立っていること
③ 石巻山は、明治以前の地図には、「神山」と書き記され、祭祀されていた
④ 石巻山の麓の村は、神郷、神田、美和郷とよばれ、古代「神々の住む土地」の名残を残している。
⑤ 小坂井の多美河津神社には、神代文字が記された石が存在することが判明した。
 これらを踏まえて
「石巻山は縄文時代から、神代を形成した信仰の山で、鹿角のクロマンタ、飛騨の日輪神社と同様の存在形態をなす古代日本の「ピラミッド」だ!といえる。
 石巻山の東2キロほどのところにある十輪寺や、南北4キロの両者にある日吉神社などは、日輪信仰を表している。石巻山の南側を流れる川は三輪川で奈良の三輪川と同名である。
 石巻山の西麓のノヤ神社は、スサノオ神がオオクニヌシ神の鍛えた場所との伝承がある。
 また、石巻山は「ウカの山」とも言われており、古代日本神話の中心になった山のよ
うである。
 即ち、石巻山は、日本の源流を形成した、縄文時代の山岳信仰と、「環太平洋ピラミッド文明」を探る貴重な研究対象となる山と考えられるのである。」
「東三河のピラミッドと東ヤマト」の中の「石巻山はピラミッド?」から引用
http://homepage2.nifty.com/kodaishinto/page005.html

 この山を中心にこの東三河の深層、真相が広がることになります。
 仙台を朝早く出発して豊橋に向かいました。途中、富士山を綺麗に見ることが出来ました。


12時ごろに着いて車を借りて、一路、石巻山へ向かいました。

 先ずは石巻神社に参拝しました。
「御祭神は大己貴命で創建時期は不明。孝安天皇または推古天皇の時代の創建ともいわれている。元々は石巻山自体が信仰の対象と推測される。
 豊橋市内唯一の式内社です。神社は石巻山の麓に本社(下社)が、中腹に山上社(上社)があり、山上社では旧暦1月14日深夜から15日明け方にかけて幻想的な管粥祭が、本社では4月中旬に鬼祭が賑やかに開催されます。」