2015年12月21日月曜日

540「石巻7」2015,12,20

 石座(いわくら)神社は新城市大宮にあります。その縁起は以下のようです。
「当社の起源は最も古く、太古より神峯山(雁峯山)の峯に大きな岩が有り岩座石(額岩)と言い、その傍らに稚子石(石座石)がある。いずれも古代の磐座(神の鎮座するところ)であって、これが石座神社の起源であるという。社は、上古この山頂に御鎮座していたが野火によりたびたび焼失し、そのため中古現在地に移ったと伝えられる。
 旧設楽郡内唯一の式内社で「延喜式神明帳」(905-927)に宝飯郡(当時宝飯郡・設楽郡)六座の内に石座神社とある。また、それ以前の文献「文徳実録」仁寿元年(851)の条に石鞍神従五位下「三代実録」元慶7年(883)の条に石鞍神従五位上、「国内神名帳」(成立年代不詳)に正三位盤倉大明神式内設楽郡と記されている。尚、江戸時代に書かれたという「三河総国風土記」に、大宝3年(903)5月奉圭田行神事とある。
 旧信濃国伊那郡立石村(現長野県飯田市)立石寺の鐘名に、三河国設楽郡岩倉大明神嘉吉3年□月13日鋳之とある。天正3年5月設楽原決戦に織田信長徳川家康が戦勝祈願をしたという。明治5年郷社に列し、大正13年県社となる。」






 御祭神は天御中主命 比賣大神 大山祇神 素盞嗚尊 天稚彦命 伊弉册命 倉稻魂命と大勢ですが、その昔には神峯山の石座が御神体であったのではと思われます。
末社に荒波婆岐社があり豊石窓命 奇石窓命の神々をお祭りしていますがいずれも御門の神です。摂社、末社を多く持つ神社です。





 この神社には弥生時代から古墳時代の遺跡発掘が為されているようです。本宮山から鳳来寺山の丁度中間あたりになります。

 次の目的地は鳳来寺山です。その紹介は以下です。
「鳳来寺山は標高695mの山で、鏡岩(屏風岩)に代表される岩肌を露出した美しい山の姿は、古くから山そのものが信仰の対象となり、やがて修験者の聖地、真言・天台の密教の道場として栄えてきた。鳳来寺山は山体の底部は砂岩、泥岩の海成層で、火山によってできた地層の一部であって火山ではない。1400万年前ごろ、今の奥三河で箱根や富士山級の火山活動があり、その後延々と侵食され続けて残っているのが、鳳来寺山を含む、棚山、宇連山、明神山、岩古谷の山々である。
 鳳来寺山の主要な山体の岩は、ガラス質でその透明がかった断面が松やにのように見えることから、松脂岩とよばれている。(最近は学名のピッチストーンをそのまま使うことが多い。)これだけまとまった松脂岩の分布は、日本でも鳳来寺山だけとされている。」

 鳳来寺山には現在山頂近くに鳳来寺がありますが山門から表参道を昇る階段は1000段以上で1時間ほどの登りです。参道から見上げてパークウェイで山頂駐車場に向かいました。
 鳳来寺の縁起は以下です。
「真言宗寺伝では大宝2年(702年)に利修仙人が開山したと伝える。利修は霊木の杉から本尊・薬師如来、日光・月光菩薩、十二神将、四天王を彫刻したとも伝わる。文武天皇の病気平癒祈願を再三命じられて拒みきれず、鳳凰に乗って参内したという伝承があり、鳳来寺という寺名及び山名の由来となっている。利修の17日間の加持祈祷が功を奏したか、天皇は快癒。この功によって伽藍が建立されたという。」







 紅葉のシーズンは人気の名所のようですが参拝客はまばらです。駐車場から10分程で鳳来寺東照宮、更に5分程で鳳来寺です。巨石、奇岩が山々に目に出来ます。
 東照宮は徳川家康所縁ですがその創建は以下のようです。
「鳳来寺山表参道の、坂の内九町の石段を登り切った所に鳳来寺があり、ここからさらに杉木立の中を東へ進むと、左側石段上に東照宮の朱塗りの鳥居が目に付きます。この鳥居をくぐると東照宮の境内(けいだい)で、少し進むと左手に樹齢約400年の杉の大樹が茂り、この杉の中の石段を上がると東照宮の社殿となります。





  慶安元年4月、徳川家光が日光の東照宮に参詣した時、東照宮縁起に「家康の父君広忠公が、良い世継ぎを得たいと思われ、北の方(於大(おだい)の方)とともに鳳来寺に参篭し、祈願したところ、その効あって家康が授かった」と記されてあるのに感銘をうたれ、鳳来山東照宮の建立を発願され、慶安4年4代将軍家綱の時代に完成しました。」