2016年1月18日月曜日

560「仕切り3」2016,1,17

 「スサノウの数字」の著者の大井道範氏の小田原市にある瑞雲寺は活断層の上にあり、お寺の隣地にある須賀神社はじめ、近隣の2つの須賀神社も活断層上にあります。須賀神社はスサノウを祭神とする神社ですが、荒ぶる神といわれるスサノウと活断層との関連に注目し、大井氏の独自の解析が始まったようです。
 私たちが活断層を認識したのは最近のことですが、地震、火山の多発する日本で、古人は何故にそのような危険なポイントを把握し、日本の各所にスサノウを始め出雲の神々をお祭りし、鎮めようとしたのか不思議なことですが、著書ではそれを数字で読み解く内容が展開されています。
本の概要は以下です。
・「国造りの東西の基点は出雲と富士山で、そこを結びラインの上、北緯35度の線上に多くの重要な神社などが集中している。」
・「国作りと神社建立の関連で、国造りには中心を置く事が必要で、そこに神社などが建てられたが、それは権力者の信仰と関係深い。その神社の祭神として自然神と風水的なものがある。
 古い神社は自然信仰に基づくものが多く、太陽、雲、風、火、水、土、木、川、滝、巨石などありとあらゆる自然物、自然現象が神として祀られ、信仰された。古代の人々は自然のありとあらゆるものに神(精霊)が宿ると考え、それらがもたらす恵みに感謝し、反面、それらがもたらす脅威を畏れていた。そのために相応しい場所に社を建てて、そこに人々が寄り集まって様々の政を行っていたと思われる。
 他の神社の場所は風水的に見て大吉の地で、良い気が流れるエネルギースポットであり、その中でも最強のスポットが四神相応の地である。」
 
 この背景にある古代人の意識への考察があります。
・「自然信仰にしろ、風水的な考え方にしろ、そこには現代人が忘れ去った自然との共生という意識が強く働いている。目に見えないけれども確かなものを信じて見える形として国を作り、城郭を造り、寺社、古墳などを作っているのである。
「目に見えないけれども確かなものを信じる」とは太古から寸分のズレ(狂い)もなく運行している天体(太陽、月、星星)の動きを読み取り、暦(経験的データー=数字)を作り、それを基に先(未来)を計るということにほかならない。こういたことを古代の日本人たちは、ある法則性をもって地上に刻印して来たというのならば、それはもはや天才的な人々というしかない。」

・「日本列島は火山、地震、津波も多く、日本人は地理的に脆弱なところに暮らしているので、荒ぶる神を置くことで天災を押さえ込もうとする鎮守という目的がある。いわゆる「荒神信仰」として、危険な場所だからこそ、その危険を押さえ込む為に、須賀神社(活断層の上など)、諏訪神社(中央構造線、フォッサマグナの交点)など、荒ぶる神であるスサノウを祀ったのではないか。
 富士山も火山を沈める目的で富士山本宮浅間神社がある。このように古代人は危険なところに刻印を残してきていて、それはスサノウの刻印と言うべきスサノウ系の神社だ。」

 更に国譲り神話では、出雲から大和に国が委譲されたとありますが、その内容は以下であったのではないかと言います。
・「国譲り神話でオオク二ヌシが譲ったのは見える世界で、スサノウから受け継いだ見えない世界は譲っていない。」
 その事について国学者の本居宣長と平田篤胤の考えを紹介しています。
・「本居宣長:日本書紀に書かれる、顕と幽。顕事(あらわごと)とは現世における世人の行う所業(頂点は天皇が行う政)。幽事(かくりごと)とは目に見えない神のなせること(統治するのはオオク二ヌシ)。出雲を重視しながらもアマテラス→天皇へ繋がる系譜(天・顕中心、伊勢中心)を重視した。
平田篤胤:顕界は有限の仮の世界であるのに対して、幽界は無限の真の世界である。死者の魂は幽界の支配者オオク二ヌシによって裁かれ、善なる霊魂は天津国へ、悪しき霊魂は夜見国へ送られる。スサノウ→オオク二ヌシへ繋がる系譜(地・幽中心、出雲中心)を重視した。」

 その後に数字の読み解きが始まりますが、その前に小田原の瑞雲寺と須賀神社の様子を写真で紹介します。
 朝陽が燦燦と降り注ぐ境内は穏やかな世界です。この下に活断層が走っているなど夢にも思いません。






 隣地の須賀神社は朝から氏子さんの清掃作業がなされていますので、遠目から控えさせていただきの参拝です。






境内の巨木は一際目を引きますが、そこに強烈な光が注がれています。後ろを振り向くとそこには富士山が綺麗に見えます。