2016年1月18日月曜日

561「仕切り4」2016,1,18

 出雲の須我神社と富士山の関係から紐解きが始まります。
 須我神社は、島根県雲南市にある神社で、須佐之男命が八岐大蛇退治の後に建てた宮殿が神社になったものと伝え言われるところです。須賀神社は以下の表記があります。
「須佐之男命と妻の稲田比売命、両神の子の清之湯山主三名狭漏彦八島野命(すがのゆやまぬしみなさろひこやしまのみこと。八島士奴美神)を主祭神とし、諏訪大社の分霊の武御名方命を配祀する。
『古事記』によれば、須佐之男命は八岐大蛇を退治した後、妻の稲田比売命とともに住む土地を探し、当地に来て「気分がすがすがしくなった」として「須賀」と命名し、そこに宮殿を建てて鎮まった。これが日本初の宮殿ということで「日本初之宮」と呼ばれ、この時に須佐之男命が詠んだ歌が日本初の和歌ということで、「和歌発祥の地」とされている。」
 須賀神社奥宮は須賀神社より2キロほど奥の八雲山にあり、そこにある巨石の夫婦岩は磐座で素晴らしいもので、エネルギースポットとして有名です。
「神社の後方、須我山(御室山、八雲山)の山懐に大きな夫婦岩があります。そこは須我神社奥宮(磐座=いわくら)として祭祀信仰されています。そこに立つと何故かすがすがしい気持ちになれると、地元のひとの信仰のよりどころのひとつとなっています。 2つの岩が寄り添うように並んでいるその傍らにもう一つ小さな岩があり、大きなものからスサノヲノミコト、櫛名田比売命(クシナダヒメ)、二神の子である清之湯山主三名狭漏彦八島野命(スガノユヤマヌシミナサロヒコヤマノミコト)であると言われています。」

 この須我神社には何度も訪れていますが、富士山との繋がりを意識したことはありませんでした。
 須賀神社奥宮の夫婦岩は北緯35度21分14秒です。そして富士山山頂(火口の中心)は北緯35度21分46秒です。その須我神社と富士山の距離は516キロです。緯度の差の32秒のズレは距離にすると約992mに相当しますが、500キロ離れてのこの差は無いに等しい感じです。出雲大社は北緯35度24分07秒です。
 この須賀神社奥宮と富士山山頂を結んだライン、北緯35度に近似するゾーンにある主な神社として以下があります。
 大山、大神山神社(以上鳥取県)、大宮神社、多賀神社(以上滋賀県)、関が原最終決戦地(岐阜県)、富士山本宮浅間大社、富士山山頂(火口の中心)(以上静岡県)、寄神社、紀伊神社、須賀神社、瑞雲寺、箱根元宮神社、源頼朝墓所、鶴岡八幡宮(以上神奈川県)、玉前神社、貝須賀鹿島神社(以上千葉県)

 更に近畿地方の気になる神社をみると多くは北緯33度から北緯35度のライン上にあり、その配置は全て東経135度46分から47分の位置にあるのです。(資料参照)


 更に分析を進めて出雲の中心を定めたところ、そこは須賀神社と出雲大社の2地点間の中心となりました。その位置は北緯35度21分46秒、東経132度51分31秒です。
 そして富士山と須賀神社・出雲大社の2地点間の中心の間の中間点を出すと135度47分43秒になります。そのラインにある主な神社等は、南は紀伊半島最南端から北は福井県までの以下になります。
  朝貴神社、熊野本宮、大斎原(熊野本宮旧社地)(以上和歌山県)、櫛玉命神社、橿原神宮、神武天皇陵、入鹿神社、薬師寺、唐招提寺、平城京朱雀門、平城京大極殿、神功皇后御陵(以上奈良県)、伏見稲荷大社、泉涌寺、清水寺、豊国神社、八坂神社、知恩院、日向(大神)宮、冷泉天皇陵、平安神宮、銀閣寺、蜂定寺(以上京都府)、大宮神社(滋賀県)、神宮寺、春日神社(以上福井県)
 それら近畿地方の主な分布図は本のp126の図になります。その近辺の資料も添付します。

 この結果から富士山と須賀神社・出雲大社の中間点:135度47分43秒が地理的な中心軸で東西の中心といえる、との結論です。
 和歌山県串本町出雲にある朝貴神社は東西の中心で最南端を示す地で、何故かそこには出雲という地名が残されているのです。そして朝貴神社の祭神は出雲神、大己貴命が祀られているのです。
 この東西の中心軸になる辺りが、大和朝廷が成立し、国の中心的役割を果たした場となっていたのです。飛鳥京跡地もそこから2キロほどのところで、そこは蘇我氏の拠点でもありました。
 
 遥か昔、これを天体を使った三角法で測定して割り出していたとしたら信じられない精度ですし、古代にどう計測していたのか疑問が残ります。いずれにしても、このような寺社等の配置を見ると、何らかの意図があったと思えます。それは昔の人は上空から地上を俯瞰できる、神の目を持っていたのだろうかと思うほどその精度が高いのです。

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