2016年8月20日土曜日

671「ゼロ磁場10」2016,8,20

 神社の左手奥から下ると大沼です。大沼は以下のような紹介があります。
「浮島稲荷神社の境内にあり、大正14年に国の名勝地に指定された、歴史の深みと自然の豊かさが溢れる場所です。沼の大きさは南北約220メートル、東西約50メートル、深さは約2.5メートルあります。」




 浮島に渡る朱色の橋が鵲橋(かささぎばし)です。ここはご縁スポツトで「鵲橋は七夕の故事に因んだもので、相思相愛の仲の男女が橋を渡るとその縁が結ばれるという言い伝えがある。」そうです。私たちもご縁を求めて橋を渡らせて頂きました。散策路が整備されていて大沼を1周出来ます。左側の出島に鳥居が見えます。右手の岸には大きな石灯篭があり、大小の浮島が浮いています。鯉もたくさんです。
 芭蕉の石碑があり、13番札所の小さな社のある広場であわ歌を響かせました。ここは指定の6番目の場所ですので、しっかり北を定めて配置について響かせました。
 その時のお言葉です。
「宜しいですか。今ここにお集まりなされし皆々様、
 ここにて響かせたる人にすがるのではなく、この響きと共に参るのです。
 しっかり響きをその身に。
 あーあーあーあーあー」10:52



 さて、この大沼には浮島という、大小約60個の島が浮いていますがその成因、不思議については以下のような記載がありました。
「沼辺に群生する蘆(あし)の一部が、地下茎や根と共に分離して、大小の固まりとなって浮遊したもので、そこに蓄積した落葉などが養分となって、蘆以外の植物が自生し、島に見える・・・というわけなのですが、それだけではミステリーになりません。
 浮島は「朝日の出た後」「日没の前後」「雷雨の直前」が活発に動くといわれています。
 浮島は風で動いているわけではなく、逆に風のない日に動くそうで、風のある日は岸に運ばれ、岸辺に定着して動かなくなるとのこと。浮島の運動には科学では解明できない何かがあるのでしょうか?
 言い伝えでは、邪心を持つ者が大沼に来ると、浮島は西北岸にあって動かなくなる・・・とか。また浮島の位置や形で、吉凶を占うことができるそうなので、浮島が動くのはまさに「神意」といえそうですね。」

「沼には大小60近い島が浮かんでいます。これらの島は浮島と書いて字の如く、沼の上をゆっくりと浮遊しています。その60の島を旧日本国数にかたどり、島に名を付けて、島の動きから日本各地の吉凶を占っていたそうです。たとえば、ある小さな島が不穏な動きをしていたならば、その島が示す地域では争乱や事変が起きるのではないか…といった具合に。にわかには信じられない話でしょうか。いえいえ、徳川家が庇護したということはきっとそれだけの力があったのかもしれませんね。」
 その事の起こりは以下の由来にも繋がりがあります。
「天平(729~749年)年間、行基という偉いお坊さんが、浮島の66個に日本の国の数になぞって名前を付けたという伝承があり、現在でも毎年7月に、岸に張り付いた島を切り出して、新しく浮島をつくり名前を付けて繁盛を願う「島まつり」が行なわれています。
 5月には、五穀豊穣、商売繁盛を願う「浮島稲荷神社例大祭」が行なわれ、雅楽とほらによる行列も行われます。」

 22日のあわ歌唱和会で中山さんが書いた3枚の絵はどうやらこの大島の浮島、浮島稲荷神社のようです。最初に書いた、平板のような2016、7,24と日付けを書いたのは浮島。手洗いのようなものは石の手水鉢、そして三日月の石灯籠です。特に石灯篭は由緒あるもので以下の様な表記がありました。

「拝殿前の二基の石灯籠は、元和7年(1621)最上義光の孫にあたる13代山形城主最上義俊(家信)が進納したもの。幢身(竿)には、最上一族のお家騒動のなかで、最上家の武運長久を祈願し、この難局をきり開くために知見を求めている17歳の幼主の心境がきざまれている。一基は熊野権現に寄進されたもので、明治初期浮島稲荷神社に合祀された折に移されたもの。朝日町指定有形文化財。」




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