2016年10月31日月曜日

743「青天の霹靂9」2016,10,31

 やがて青天の霹靂が訪れます。(青天の霹靂とは、予想もしなかったような事件や変動が、突然起きること。)
 16時10分頃でしょうか、バスは突然停止してしまいました。何と深い轍にお腹を乗り上げてしまい、タイヤが空回りしてしまい、走行不能になったのです。
 皆で下りてタイヤに下駄をはかせたり、バスを押したりしたのですが6トンの車体はびくともしません。





 私は先ずJAFに電話をしましたが、バスは対象外と言うことで、ここから一番近い、八戸市の専門の業者を紹介して頂きました。そこに電話してみたところ、可能だが社を出たら正規料金が発生するとのことで様子をみて連絡することに成りました。その時はまだ自力で、どうにか脱出出来る感じもあったのです。

 今日の宿泊予定のグランドサンピア八戸にも状況を連絡して到着が遅れること、業者も含めて何かの手立てをお願いしました。バスの運転手さんも会社に連絡してみたのですが、バスのディーラーを通じてレスキュー依頼は明日の朝になるとのこと。
 ホテルからの電話で、ホテルのマイクロバスで大石神ピラミッドまで迎えに来てくれると言います。ありがたいことですが日暮れが間近いです。スマホ等で現在地を確認し距離を推定するのですが、2キロ程に出ますが、どうやら時間的にその倍はありそうです。こちらも自力で出来る事はしましたが、最終的に神人さんとも相談してバス宿泊を決めました。
 ホテルの迎えのバスが大石神ピラミッドに到着したと連絡がありましたが、これから夜道を向かう危険等勘案して翌朝、夜明けと共に再度迎えに来て頂く様にお願いし、今日は引き返して頂くことにしました。
 ホテルから村の駐在所にも連絡して下さり、私の方に状況確認の電話を頂きました。全員無事でバス車中で過ごすこと、翌朝にはホテルのバスで脱出予定のことをお話して安心して下さいました。
 先ずは皆さんに状況を説明し、今後の対応、予定に了解頂きました。皆さん不思議なくらいに不満を漏らすことなく、この状況に安心して協力して下さり、ありがたいことです。

 今回に至る経緯の中で何度も引き返すことも可能だったのでしょうが、ここまでの事態になった因果がありそうです。その事は又後で触れることにします。兎に角、携帯電話が通じたことが幸いでした。機種によっては難しいものもありましたが、車中で充電も出来て全ては安心です。

 18時に全員バスに入り、「居酒屋車中」が開店しました。神人マスターの御もてなし、お酒やつまみ、お菓子もふんだんにあります。神人マスターのコーディネイトでお客さんは運転手さんを含めて17名です。閉店時間の24時までの今日、本日、この場、1度限りの最初で最後のお店のオープンです。
 酒のつまみに皆さんと神人さんとのトークが興味をそそります。3部構成でおおよそ1部を1時間半~2時間、休憩を15分程3回程入れて、必要に応じて各自トイレをして頂く感じで過ごしました。


 第1部のテーマは「私の初恋」です。全員が語り、神人さんのコメントも入りますが面白い展開です。2部のテーマは「愛する価値観について」、第3部は「これからの人生の目的」です。中々、深い内容です。
 休憩時間は車外へ出て、満天の星を見る皆さんで楽しみました。10月1日は新月です。目が慣れてくると星明かりだけで自然の世界は見通せそうです。バスの進行方向の正面には木々が聳えてさながらお城の様に見えます。
 次の休憩では皆で手を繋いで円をなして天を見上げ、次には皆さんでハグをして楽しい交流のひと時を過ごしました。2日を迎えて「居酒屋車中」は閉店して消灯です。皆さんで狭いながらも夜露をしのぐ車中で異次元との世界へトリップです。




2016年10月30日日曜日

742「青天の霹靂8」2016,10,30

  大石神ピラミッドは山の中腹にあり、その巨石が他の地の岩を運び込まれているという指摘がありましたが、果たしてその事に付いてはどの様に解釈するかは今だ不明のようです。
 大石神ピラミッドからさらに600mほど林道を進んだ所に上大石神ピラミッドがありますのでそちらにバスを進め、路上駐車して山登りです。


 神人さんは太鼓を持っていかれます。ここで儀式、ライブを成されるつもりのようです。しかし、神人さんは雪駄ですので、急斜面の山道は難儀です。
 登ること10分ほどで巨石が現れます。こちらは山頂にあり岩の上は平らで眺望が素晴らしいです。こちらは大石神ピラミッドと違ってここの自然石のようです。ピラミッドと言えるのは分かりませんが、古代にはここで祭祀を行っていたのではないかと思われる威容です。古代祭祀遺跡でしょうか。大石神と上大石神でそれぞれ役割が違うような感じです。私には上大石神の方が古くてこの地を纏めていた祭祀の中心の様に思います。





 暫しこの巨石から周囲を見渡し、そのエネルギーを満喫し集合写真を撮りました。その後に神人さんは岩の上に一人立ち、天空、自然の世界、天上の太陽に向かって太鼓打ち鳴らし、ライブが始りました。その間に注がれる光は変わり行きます。神人さんのシャーマンとしてのお役目は成されて10分程で終わりました。
 この地を治める霊存在の長が現れて、名を「豪衆」と名乗ったそうです。大いに歓迎をして下さり、喜んで交流が出来たようです。






 下り道では栗も沢山あり、足取りも軽くバスに戻って来ました。次の目的地、南部町の恵光院 長谷観音堂に向かいます。


 私は以前この上大石神ピラミッドを訪れた後、道をそのまま進んで県道に出て舗装道路から国道に回れた様に記憶していました。暫く進むと、どうやら私の記憶と違う道路状況です。
 神人さんは「豪衆さんの導きで、この先に凄いところがありそうですが、何か思い当たるところがありませんか」と尋ねられました。確か、小さな神社と過疎の集落があったように記憶していましたので、その旨お伝えしました。
 が、道は狭くなり、しかし乗用車と2台すれ違いますのでそのまま進んで行くと、広い道路になりました。左手には三つ相場沢林道と表記されていますが、ロープで立ち入り禁止です。少し進むと峠の分岐の正面に三角形の綺麗な山が突然、目の前に現れました。
 神人さんは、「あっ、この辺りだ。ここに誘導されていた様だ。」と言って写真を撮ろうとしますが、山のビュウポイントはその峠だけで道は下って行きます。
 その山の名前を調べてみると、十和利山の様です。分岐の右手にはその山の方に向かう感じの道がありますが、止まらずに何故かバスはどんどん進んでいきます。
 やがて立石沢林道の看板が見えますが、細かな文字は消えて不明です。さらに進むと道は轍の間には草丈の高い草が茂り始め、分岐があります。どちらに進むか躊躇している時に、神人さんがバスを降りて、誘導するようにバスの前を走って下さいます。何か素晴らしきことが待ち受けている感じでで、運転手さんも神人さんの後を追い進みます。


2016年10月29日土曜日

741「青天の霹靂7」2016,10,29

 奥宮から下って十和田湖畔の散策です。乙女の像、綺麗な湖水を満喫して開運の小道を戻りバスへ向かいましたが、この小道も神人さん、Oさんも始めてとの事です。この小道には、火の神・山の神・金の神・日の神・天の岩戸・風の神とあり、立派な金色の鳥居があります。以前はうらぶれた感じでしたが大分整備されたようです。十和田湖噴火の時の溶岩が盛り上がった小山でその各所に窪みがありそこを祠として祀っています。それぞれの祠の前で音を発すると響きが違います。





 帰路の途中にある木々の実を見上げながら、駐車場には可愛い小型バスが待っています。今回は大型バスの予定でしたが、直前に参加者が少ないので中型くらいに出来たら変えて下さいとお願いしていました。小型バスは既に他の予約で難しいと聞いていましたので諦めていたのですが、丁度良い大きさです。午後に向かう大石神ピラミッドには大型バスは入れないのです。
 






 昼食は湖畔のあるレストランやすみやで頂きました。神人さんは食事で一切も動物性の食べ物を頂きません。今回の旅行では精進料理と通常食とあらかじめ参加者に希望を伺っていましたが、半々の感じです。美味しくきりたんぽ鍋を中心にした地元食材の料理を頂きました。
 大石神ピラミッドには神人さん、Oさんともに訪問したことがあります。しかしその奥にある上大石神ピラミッドの存在は聞き知っていましたが、訪れていないといいます。是非とも可能なら行きたいとお二人にリクエスト頂きました。上大石神ピラミッドへは大石神ピラミッドからの林道を600m程奥に行き、10分位の山登りになります。
 今回は小型バスですのでその道を行くことは可能です。今日は時間的にも余裕でスケジュールを組んでいますので1時間弱の時間の工面も出来ますので急遽、予定に追加することにしました。
 
 午後の最初の目的地は新郷村にある大石神ピラミッドです。ここも観光地化してきています。案内図も綺麗に整備され、巨石にも名札が立てられ、巡りの順路まで示してくれています。


 ウイキペディア等には以下の様な紹介です。
「青森県の十和田湖東岸から20㎞ほどのところの山間に周囲12mほどの巨石をはじめとした石があり、方位石、太陽石、星座石、鏡石などの名称がつけられている。5万年前のピラミッドだとの言い伝えがあるという。」

「鳥居をくぐると、そこに倒れた巨石群を見ることが出来ます。こちらには太陽石、方位石、星座石、鏡石と呼ばれる岩があります。
 太陽石は古代において光っており、その反射する岩に古代の人々は礼拝していたとされます。方位石は正確に東西南北を指示し、星座石には古代の星座が刻まれ、鏡石には古代文字が刻まれているとされますが地震で倒れた鏡石は、文字面が下になり読み取ることが出来なくなっていると伝えられています。
 日本のピラミッドはエジプトのように人工的に石をくみ上げるのではなく、自然の山の地形を利用したものが多いと言われます。昭和10年のキリストの墓発見に続き、翌11年に日本のピラミッドとして酒井勝軍により発表されたのがこの場所です。
 巨石の石質はそれぞれ異なっているという指摘があり、その一つは青森県の日本海側にある深浦から出る石質と同じとされ、岩木山麓に住んでいた鬼が戸来まで運んだという伝説が残されています。」
「竹内巨麿がキリストの墓を発見した翌日、(竹内氏に同行していた?)鳥谷幡山という人がこのピラミッドを発見した。「竹内文書」では世界各国のピラミッドの起源は日本にあったとされていて、これがそのひとつだというのだ。後に「竹内文書」研究家にして日本ピラミッド研究の大家・酒井勝軍もこの巨石群を調査し、石の割れ目が正しく東西南北を指していることを確認したという。」
 
 詳しくは以下をご覧下さい。http://bqspot.com/tohoku/aomori/108







2016年10月28日金曜日

740「青天の霹靂6」2016,10,28

 月が替わり10月1日土曜日朝6時10分頃にホテルで神人さんと合流して仙台駅に向かいました。良い天気です。仙台駅に6時半集合してバスで出発です。
しかし1名まだです。どうしたのかなと思っていると電話が丁度入り、何と寝坊して今起きたとの事です。山形の方で後で、仙台に出て、新幹線で八戸へ、そこからバスを乗り継いで追いかけると、十和田湖の昼食には合流出来るということになりました。先ずは16名で陸奥、十和田湖を目指して北上します。

 今年の6月4~5日に青森津軽を神人さんと巡りましたが、今回は青森南部を中心に巡るコースです。詳細は以下の案内をご覧下さい。
http://genkiup.net/seminar/seminar284.pdf
 
 全ては順調に、時間通りに十和田湖に着きました。十和田神社は前回、6月にも参拝しています。今回は奥宮の青龍神社、とイワクラを案内しました。




 神人さんは青森出身で十和田湖は何度と無く訪問しているのですが、この奥宮には訪れたことが無いといいます。子供の頃にお父さんと来て、この奥には危ないので行くなと言っていたのでこれまで行かなかったそうです。えっ、と言う感じです。
 参加者の中で前回の巡りにも参加しているOさんは竹内古文書の第1人者で故高坂和導さんのご縁の方です。日本の各所も含め、世界中を巡っている方ですが、十和田神社は何度も参拝しているのですが、奥宮はやはり初めてといいます。
 十和田神社を参拝して奥宮への参道、階段を登って行きます。青龍神社を参拝して、直ぐ脇にあるイワクラです。岩に登り上がり、神人さんはにわかに語り始めました。相手はこの十和田湖を治めている霊存在のようです。離れていたので私には声が聞こえないのですが数分間のやり取りがあったようです。
 どうやら、神人さんはその霊存在に教え諭し、ある意味では叱りの言葉を発したようです。それに呼応して沢山のこの地に繋がる霊存在を呼び起こし、集まって来たようです。何とも異次元の世界のことで、不明なことですが、良き流れを生み出して下されば幸いなことです。
 更に奥にある「占い場」へは現在は立ち入り禁止です。







 十和田神社に付いては以下の紹介があります。
「十和田神社は中山崎の付け根・休屋の奥に位置します。流造の様式をたたえる本殿と、どっしりとしたしつらえの拝殿。細部までこだわりが見て取れる彫刻など、重厚な建築美に荘厳さを感じる佇まい。
 祭神として日本武尊が祀られていますが、明治の神仏分離までは東北地方に色濃く残る水神信仰の象徴であったと言われています。その証拠に、江戸時代には十和田山青龍大権現が祀られており、現在も奥の院に祀られています。静謐とした雰囲気の中、今も竜神の息づかいを感じるかのような神秘に満ちた場所です。
 青龍権現とも、熊野権現とも呼ばれていた十和田神社。その縁起には2通りの説があるとされています。
 一つは大同2年(807年)、征夷大将軍・坂上田村麻呂創建とされる説。東征のおり湖が荒れて渡れず、祠を建てて祈願しイカダを組んで渡ったという。
 もう一つは、南祖坊(南蔵坊、南草坊ともいう)によるもの。熊野で修行した南祖坊が、鉄の草鞋と錫杖を神から授かり、「百足の草鞋が破れた所に住むべし」と夢のお告げを得て、諸国をめぐり、十和田湖畔で百足の草鞋が尽きたといいます。当時、十和田湖には八郎太郎というマタギが、湖の岩魚や水を喰らううちに八頭の大蛇となり、湖を支配していたそう。そこで、南祖坊は、その霊験により九頭の龍に変化し二十尋(約36m)の身体を、十曲(とわだ)に曲げ、八郎太郎を退治たという伝説が残っています。南祖坊を青龍権現として崇め祀った名残りが今もあり、境内の熊野神社には彼の履いていたという鉄の草鞋が奉納されています。」