2016年10月9日日曜日

721「黒石15」2016,10,9

 いよいよ最後の黒石寺です。先に黒石寺の名前の変更と瀬織津姫の繋がりに付いての考察を紹介します。
「黒石寺の山号は、円仁(慈覚大師)によって東光山から妙見山に変更されたわけですが、黒石寺本堂の左背後には妙見堂があり、黒石寺ではなく妙見堂の「奥の院」が山中にあります。妙見の本地仏は古くは十一面観音、のちには薬師如来とされますが、黒石寺本堂とは別に妙見堂があることから、行基が持ち込んだ薬師信仰の前に妙見信仰があったものとおもわれます。
 黒石寺には、本尊・薬師如来坐像(国指定重要文化財)のほかに妙見堂にまつられていた妙見菩薩像も伝えられています。
 妙見菩薩について、『天台宗妙見山黒石寺』(同寺発行)は「道教・陰陽道の影響が強く、武運長久、国家安穏、五穀豊穣の尊神であるが、物事の真相を見極める霊力があるとされることから眼病平癒の霊力を持つといわれる」と解説しています。
 これらの神徳・霊力は、誤解をおそれずにいえば、すべて瀬織津姫神のものといってよいのですが、多岐神社においては「五穀豊穣の尊神」が特化されていたというべきかもしれません。その特化の神徳を、本来の神名を伏せて異称化したものが、稲倉大明神(稲倉魂命)だったのでしょう。
 敗者の信仰は後世になればなるほど再現が困難となりますが、阿弖流為の時代、蝦夷の陸奥国にすでに妙見信仰があった可能性が高いこと、および、田村麻呂伝説において、後世のことですが、鈴鹿御前こと瀬織津姫神(鈴鹿山・片山神社の主祭神)がのっぴきならぬ関係として説話化されることを指摘しておきたくおもいます。」

 黒石寺の名前の由来をインターネットで調べても一向に分かりません。15時45分に黒石寺に着いて、先ず黒石の名の由来をお寺の事務所に尋ねてみました。そしたら簡単に答えが返ってきました。

 お寺の裏山に大きな黒石、黒曜石がいたるところにあり、慈覚大師もそこで行をしたことにちなんで黒石になったとのことです。その黒石に行けるのか聞いたところ、そこは大師山森林公園になっていて自由に行けるとのことです。



 地図で確認して大師公園に向かいます。公園にある地図で黒石の所在を見つけることができましたが山登りです。時間は16時ですから日暮れ、仙台への帰還を考慮しても1時間ほど時間があります。即、登ることに決定です。今回は上手い具合に巡りの時間に余裕があり、想定外の事に遭遇しても良い予定に成っていたのでした。 
 かなり急な登りの男坂を直線的に登り、黒石に急ぎます。10分ほどで到着しましたが、巨大な黒石がありました。最後に黒石の元の元に辿りつく事が出来ました。




 黒石に向かってあわ歌を響かせました。その時のお言葉です。
   
「ようよう相見えたるは喜びなり。
元へと向かうその身が、入口を超え行かぬは、不可思議せんばんなり。この身は大きなる岩としてこの地を守り、うまし土地と為し来たり。
然るに、この地を封じたるもの多くあり。写り来る知らせはつまびらかにならず。大いなる口おしき想いありたり。かかる事ごと聞き届け、皆々新たに参るを喜びと致す。
元なる気はこれより降り来て、この地と共に参る。広き大きなる地と、共々に繋がり、結びて、新たへ参りませ。
その声、承りた。この地上の皆々に、発し行く事となる。大いなる篩いは、先刻、承知。 しっかりなされよ。
篩いは進すみ行く。この地だけにあらず。全て新たになり行く故、大きなるものなり。
響き持ち、元なるへ繋ぎ、しっかり結びませ。
(柏手)
大切なるはそれぞれの思いなるなり。」16:35




 皆さんも目的を達成できて笑みがこぼれます。下りの足取りも軽快です。時間も余裕ですので、盛岡から参加のKさんとは水沢江刺でお別れですので、お別れ会を兼ねてファミレスで、皆さんであんみつを頂いて反省会です。


仙台駅にも19時半に無事に到着して全ては終えることが出来ました。嬉しき、ありがたきことです。

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