2016年11月29日火曜日

772「陸奥三陸14」2016,11,29

 黒崎仙境を後にして次の目的地は唐桑半島にある巨釜・半造・折石ですが、既に12時を過ぎています。昼食は13時の予定ですので、唐桑の地はパスして昼食会場の気仙沼市内の味の館海鮮に向かいました。
 陸前高田市内を抜けて気仙沼に向かうのですがまだまだ震災の復興途中で巨大な防波堤、土地の造成工事の真っ只中です。
 


 お店には13時丁度に到着です。この店は今年の4月の中山さんとの奥州33観音巡りでも昼食を頂いています。その時とても好評だった上海鮮丼を再度、皆さんに食べて頂きました。昨日の宮古丼といい三陸の海の幸が満載されていて、味も頗る良くて皆さん大満足です。笑顔で美味しく頂けました。心身満たされて午後の巡りに元気に出発です。
 




 午後最初の目的地は南三陸町入谷山の神平にある神行堂山の巨石群です。南三陸町も津波で大被害を被っています。ここも造成工事が行われていて殺風景な世界です。海岸の国道45号線から西側の内陸部に少し入って、綺麗なピラミッドの様な山容の神行堂山が見えてきます。山の中腹から左手に細い道を進むと集落があり、その先に狭い駐車場があります。立派な看板案内が出ていてありがたいです。


 神行堂山は名前からも伺える修験の山で、以下の様な紹介があります。
「入谷地区の最高峰で、標高461mです。この山も惣内山と同様、入谷花崗岩帯の外縁部にあたり、航空写真で見ると、惣内山から坂の貝峠を経てこの山に至る山並みが桵葉川の盆地を取り囲んでいる様子がまるでハート型の右半分のように見えます。
 山名は山岳修験に関わるものらしく、南麓の花崗岩の巨石は高野山明神として祀られており、弘法大師ゆかりと伝える独鈷(密教の宝具)や蔵王権現像を持ち伝える旧家があります。」

 細い道を進むと林の中に巨石がそこかしこにあります。
 この岩は2億年以上も前に形成された岩石から出来ていて、地下で生じたマグマが冷えて固まったものがいくつか突出した、と看板には出ています。正面の大きな岩は3つの亀裂が入っていて二つに割れています。昔大蛇を退治した時の落雷によって割れたとありますが丁度、人が1人通れる位の隙間があります。
http://watarubuu.web.fc2.com/yamasinkou.htm





中山さんがすかさずチャレンジです、その隙間を奥側から入って行かれ、程なくして正面から登場です。次々に我こそはと何人かの方々が通り抜けることができました。この隙間を通れるのは善人で悪人は通れないとか。この巨石を用いて成人男女が社会人の仲間入りをするために通らなければいけない通過儀礼として行われていたようです。以下の様な表記がありましたので紹介します。
「神行堂山は入谷を囲むように聳える入谷三山(惣内山・童子山)の中心の山で、金の産出で栄えた入谷の信仰の里山、山頂の石祠は金華山神社から分祀されたと云われ金華山方向を向いている。 
 また、神行堂山は、「石の平の高野山」とも呼ばれ、古く弘法大師が寺を開こうとしたが叶わず、のちに高野山に寺を開いたと云われる。 
 山麓には巨石群があり、大蛇を退治した時に落雷で裂けたと云われる3つに割れた石がある。古くから成人の儀式として割れ目を通り抜ける『胎内くぐり』が行なわれ、善人しか通りぬけられないと云われていた。」
「また,この石には,こんな伝説も・・・
 かつて大蛇が棲みつき,里を荒らすようになり,人々が退治に乗り出し,ついに巨石の上に追い詰めたが,大蛇は巨石の上にわだかまって人々を睨みつけて,しばらく睨み合いが続きましたが,不意にまばゆい閃光が走り轟音とともに,大蛇は岩もろとも二つに裂けて死んでいたとのことで,以後,二つに裂けた巨石を御神体として高野山大権現を祀り,毎年祭祀を欠かさなかったとの伝説も残されているそうです。」
http://hee3hee3.exblog.jp/15932970/

 その巨石の前であわ歌を響かせました。その時のお言葉です。
「あ~ (あわ歌)
 見事に晴れ行くこの響きは、皆々様が、発して頂き、
 これよりのこの大きなる広き道、
 晴れ渡り行き、共々に進まれますように。」15:53




 終わって下る時には太陽が燦燦と光を注いで、見事に晴れ渡っています。心も晴れ晴れして何か達成したような軽妙な気分です。次の目的地に向かいます。