2017年4月17日月曜日

912「合気7」2017,4,17 船久保洞窟

 船久保洞窟に向かう車中に、もう直ぐ到着と言う時に中山さんに次のお言葉がありました。
「鞍馬寺の古き扉を開きたれば、
 嬉しきの身、現われて、
 捨て去られし夢 写し来るなり。」15:05

 この言葉は同乗しているTさんに向けての言葉です。鞍馬寺の古い扉を開くことが求められています。昨日のあわ歌会でKさんに下された、二股に蛇の様な絵の姿も関連しているのかもしれません。京都市内を流れる鴨川が出町柳で合流しますが、絵にあった十の辺りが鞍馬山とも読めます。
 今年の2月の巌龍神社でのお言葉にあった以下の683キロの地点は、どうやら鞍馬山では無いかと決めていました。
「来たる日には、大きなる北の力を注ぎて参る。
 この地で受けて、683キロ飛ばして、発して届けられませ。
 大きなる流れと成り行きて、この地球の力なり。
 よくよくお頼み申す。」

 Kさんの読み解きの中央構造線、フォッサマグナの諏訪、静岡、愛知の想定と相まって次の道開きにポイントになりそうです。

 船久保洞窟に到着しました。この地は個人の所有で事前に連絡をして洞窟内を見学させていただくようになっています。一か月以上前に予約していています。当日も何度か電話をしているのですが通じません。管理人の方は居られずに洞窟内の見学は諦めました。
 この船久保洞窟に向かう周囲の景色、雰囲気がとても良い感じです。南に開け岩山がありその下が洞窟になっています。宇霊羅山と龍泉洞のミニの感じです。

 船久保洞窟は以下の様に紹介されています。
「奥行約176m、高さ6mほどの横穴石灰洞の船久保洞窟は、縄文時代晩・後期の約2,500~3,000年前の土器や石器が発見されたことから、先住民族の住居跡として岩手県の天然記念物に指定されています。
 入り口から狭い洞内を抜けると、そこには美しい鍾乳石が連なる約50立方mの広さの空間が出現します。
 昭和三年の冬、猟師によって、発見され、昭和三十二年七月十九日、県の史跡指定を受けた。先住民族の住居跡で洞内の居住したと推察されるところは、五十平方メートルの広さがあり、天井からは鍾乳石が垂れ下がっている。
 ここからは縄文後期の土器が出土し、北側には炉跡が認められている。本県の代表的な洞窟住居跡のひとつ。大小無数の鍾乳石、石筍があり、白光の柱は幽界の感がある。」


 外の岩山を見て、中山さんは中へ入る必要が無い、とおっしゃいます。そんなことで管理人さんと連絡が取れなかったのでしょう。
 岩山の巨石を背にして、南に向かってあわ歌を歌い、「 ゆるゆるゆる、ふむふむふむ、さんさんさん 」を3回響かせました。その時のお言葉です。

「打たれし多くの方々、皆々この時なる。
 是よりの響きは、大いなる広きへ皆戻す。
 この時、共に参りませ。
 この地の大きなる扉を開きて、変え行く。
 時、参り来た。
 さあ さあ いざ いざ 参いれ」15:37

 打たれし多くの方々にこの響きで、大きな扉を開き、大きな、広い元なるへ皆を戻すとあります。着々と流れは出来てきています。


 船久保洞窟を後にして平泉町の立石山・二本立石へ向かう無知から、曇りの空から霊光が降り注いで天地を繋ぐ姿が見られました。善き徴をお与え下さいました。




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