2017年7月19日水曜日

1005「鞍馬・三河7」2017,7,19

 河合神社を出て,更に糺の森に入ります。下鴨神社に向かう広い表参道には鬱蒼とした自然林が残されています。

糺の森は以下の様に記されています。

「賀茂川と高野川の合流地点に発達した原生林で、およそ12万4千平方メートル(東京ドームの約3倍)の面積がある。森林の全域が1983年(昭和58年)に国の史跡]として指定を受け、保存されている。また、1994年(平成6年)には下鴨神社全域が世界遺産に登録されている。
 かつて京都に平安京が置かれた時代には約495万平方メートルの広さがあったが、応仁の乱など京都を舞台とする中世の戦乱や、明治時代初期の上知令による寺社領の没収などを経て、現在の面積まで減少した。特に1470年(文明2年)6月14日に応仁の乱の兵火を被った糺の森は、このとき総面積の7割を焼失している。
 糺の森はこの一帯が山城国(山代国・山背国)と呼ばれていた頃の植物相をおおむね留めている原生林であり、ケヤキやエノキなどニレ科の落葉樹を中心に、約40種・4,700本の樹木が生育している。森は賀茂川と高野川に挟まれるように広がり、南北に細長い。林床を縫ってこれらの川に注ぐ数本の清流があり、周辺には水辺を好む植物も茂る。
 古くは『源氏物語』や『枕草子』に謳われ、今なお親林の場として人々に憩いを提供する史跡である。
 森を流れる小川は4つあり、それぞれ御手洗川・泉川・奈良の小川・瀬見の小川と名付けられている。御手洗川は湧水のある御手洗池を水源としている。糺の森の東側を流れる泉川は高野川の支流である。奈良の小川は御手洗川に泉川の流れの一部が合流したもので、賀茂川の支流である瀬見の小川に取り込まれて糺の森の中央を流れる。
「糺の森」の「ただす」が何に由来するのかという点については諸説ある。「偽りを糺す」の意とするほか、賀茂川と高野川の合流点であることに起因して「只洲」とする説、清水の湧き出ることから「直澄」、多多須玉依姫の神名に由来するという説などの各説がある。他に、木嶋坐天照御魂神社(蚕の社)にある「元糺の池」、およびその周辺の「元糺の森」から遷された名前であるという意見もある。」

 下鴨神社への参道の右手の林の中に、かつての祭祀遺構が残されています。




その中で大文字焼きで有名な大文字山のひとつ、東山如意ヶ岳ある方角・東南東を向いて、あわ歌を響かせました。その時のお言葉です。

「 進め行くなり。
 この都が造り上げたる、大きなるを変え行く事。
 澄みたるこの地の美しきを、皆々知りて、
 思いを真のはるけきへと返し、
 新たなる世界を発します。
 八方へと広げるは、明日より致す。」17:06




 いよいよ明日から八方へ広げることになります。下鴨神社を参拝し、御手洗神社前にある御手洗池で足付け神事を行ないました。この足付け神事は、夏の土用の丑の日に行なわれるものですが、私はまだお酒が残っていて足がほてって冷やしたい一心でした。






 全ての予定の巡りを終えて、タクシーで京都駅に戻りました。予定の新幹線まで時間があり、皆さんであんみつ等頂き、心身満たされて、こだまで豊橋へ移動です。




 ホテルに8時半過ぎにチェックインしてシャワーでさっぱりして夕食に居酒屋さんへ繰り出して美味しい料理とお酒で目出度く楽しき1日を終えることが出来、深い眠りに就きました。