2017年10月23日月曜日

1101「鬼門7」2017,10,23

 参道の山道を登り始めました。急な岩場で滑りやすい道ですが難なく皆さん登りきりました。



見上げると正面に家の屋根に見える奇跡的なカタチをした巨石が見えに入ります。そして岩が屋根のお堂があるのです。暫しその奇妙な岩屋の周囲を見学です。




 岩屋に向かってあわ歌を響かせました。その時のお言葉です。

「やーれん そーらん す~む ささら
 やーれん そーらん す~む ささら
 やーれん そーらん す~む ささら
 進みて参りて この地を大きく致し行く。
 ささら ささら さら さら ささら
 皆々 さらいて大いなる元へ返すぞ。
 ささら さら さんて ささら」11:24

 「やーれん そーらん す~む ささら」のフレーズが三度です。これはお馴染みの民謡ソーラン節の歌にあります。
「ソーラン節は、その一連のニシン漁の際に唄われた「鰊場作業唄」の一節、「沖揚げ音頭」が分化し、独自に変化したものである。「ソーラン ソーラン」の囃し言葉にちなんで「ソーラン節」と呼ばれるようになった。」
 とあります。そしてこの「やーれん そーらん」の言葉の意味、語源を調べてみると何とユダヤ、ヘブライ語に辿り着くのです。以下の様な解説がありました。

「「ヤーレン・ソーラン・・・」という掛け声は、日本語としては何の意味もなさないが、ヘブライ語で読めばちゃんとした意味がある。「ヤーレン」は「喜び歌う」、「ソーラン」は「一人で」、「チョイ・ヤサエ・エンヤン・サー」は「たとえ嵐が来ようとも、真っ直ぐに進め」、「ノ・ドッコイショ」は「神の助けによって、押し進んでいく」という意味である。
 つまりソーラン節は、古代ユダヤ人たちが荒波を乗り越えて約束の地に向かう際に歌った行進曲であったと考えられる。おそらくは紀元前7世紀以降、イザヤの預言にしたがって約束の地、つまり東の海の島々を目指し、立ちはだかるさまざまな大自然の困難にめげずに航海を続けようとする鼓舞の歌だったのではないか。」
 驚きの内容です。そして「ささら」の意味を調べてみると以下です。
「ささら  【簓▼】
① 田植え囃子ばやしや風流ふりゆう系の獅子舞などで使用する楽器。先を細く割ったささら竹と,のこぎりの歯のような刻みをつけた棒のささら子とをこすりあわせて音を出す。すりざさら。 → びんざさら 
② 細かく割った竹などを束ねたもの。鍋なべを洗うたわしの用などとする。さわら。 
③ 「びんざさら」の略。 
④ 先端が細かく割れること。ささくれること。 
⑤ 物をすりへらすことのたとえ。」

「簓(ささら)。竹や細い木などを束ねて作製される道具の一つである。洗浄器具として用いられるほか、楽器や日本の伝統的な大衆舞踊の際の装身具の一部としても用いられる。また、これを伴奏楽器として用いる音曲や舞踊を「ささら」と称することも多い。」

 細かく割った竹などを束ねたもので洗浄器具をイメージすれば良いのでしょうか。この「ささら」で「さらいて大きなる元へ返すぞ」とあります。
 前日のあわ歌会で私とTさんが頂いた次のお言葉が関連しているように思います。

「北の海は多くを沈めて参られた。
 皆々それぞれある中で、妙見、毘沙門、離れておるが、
 その地に故ある事ごとなり。
 しっかり結びて、鎮めて参れば、ひとつとなりゆくなり。」

「刺さりたるを抜き取り、打たれしを流して、
 さんさんさん ささら ささら
 綺麗に洗いて参りましょう。
 緩やかなるこの道を急がず、
 淡々、ただただ、是より為さりて参られませ。」

 皆さんで岩屋をバックに集合写真です。シャッターを切るときの合言葉は「ささら」です。この巡りはこの「ささら」で進む事になりました。

 素晴らしい景観を満喫して、大蛇が住んでいた沼が今は実り多い田んぼに変わり、ほっとする安らぎのエネルギーの地に変わったのを思いながら、下りました。