2018年1月15日月曜日

1185「救世主3」2018,1,15

 バチカンは聖ペトロの墓の上に建っています。ピーター、PETRO(岩)で、岩から染み出た油がPETROです。PETROを並べ替えるとPORTEでポルテは戸です。岩と戸はアナグラムです。
 バチカン自体がじつはアマテラスを幽閉した岩戸を意味しています。そしてサンピエトロ広場に立つオリベスクはエジプトから盗んで来た物ですが、あれはミトラ教、つまり太陽神ミスラスを象徴するものです。そして岩戸開きです。実はバチカンはアマテラスシステム、太陽信仰の総本山なのです。
 さて、均質化を強制するアマテラスシステムに対して自由奔放であり、本音で生き、しかも成熟した個人である縄文瀬織津姫システムはどうでしょうか。
 日本は明治維新の前、江戸時代までは、日本も成熟した社会だったのです。しかし明治維新で滅茶苦茶になったのです。家主が変わり、西欧キリスト教を偽装した国家神道が取って変わり、江戸以前の日本人の独特の価値観はなかったことにされ、それ以前のものがタブーとされ、瀬織津姫、宇賀神、アラハバキが半ば悪魔的な扱いにされたのです。

 ならば私たちはじめ、世界中のクリスチャンが忌避してきた悪魔という存在が、もしかしたら私たちが常識として用いる悪という言葉の意味とはまったく逆の意味を持っている可能性があるという事になりませんか。
 西欧キリスト教会が語る悪魔とは日本の縄文瀬織津姫、宇賀神、アラハバキのことではないかと推測が可能になります。西欧キリスト教が駆逐し封印した悪魔という存在と、日本が明治維新以降に国家神道によって駆逐し封印した縄文スピリットが同一であるということです。
 では西欧キリスト教会が忌避するその悪魔とは何か?悪魔を取り扱う団体といいますかそういう人達は悪魔主義者とか悪魔教会と言われます。なんか恐ろしいネーミングですが、ではそんな悪魔主義、悪魔教会とは果たしてどういうものでしょうか。

 悪魔主義はサタニズムとも呼ばれます。私たちは悪魔主義、サタニズムと聞けばおどろおどろしい祭壇に、ヤギだか牛だか分からない恐ろしい悪魔像と、少女の生贄が捧げられ、その周囲に覆面をした悪魔主義者達が生き血を飲みながら秘密の儀式を行っているイメージを抱くはずです。それは私もまったく同じでした。
 誰だってそんなイメージを持てばかなり危険な団体だと思うはずです。しかし、多くの人はそのイメージを固定化させてしまっていて実際のサタニズムというものを詳細に考えたことも、ましてや研究した事も無いでしょう。
 ウィキペディアの冒頭に以下の様に書いてあります。(特に下線部の部分に注意してお読みください。)

「サタニズム(Satanism)とは、宗教的信条の一つの主義である。イデオロギー的、哲学的信条や社会的現象との関係を含み、悪魔主義、悪魔崇拝とも呼ばれる。
一般的にサタニズムといえば、「サタン(悪魔)」を崇拝し、悪の力をもって善なる力に打ち勝つことにより、世界征服を目的とすると想像されがちである。しかし、最大のサタニズム組織である「悪魔教会 (Church of Satan)」は、この考え方を否定する。
悪魔教会は「サタン」が実際に存在するともしておらず、単にある概念を物質的に代表する名称として「サタン」の名を捉えている。
サタニズムにも様々な形が存在するが、多くのサタニズムでは、
サタンとは次のいずれかに該当する。
即ち、イデア・人間性のある一面、あらゆる存在の源・あるいは宇宙を超越した何らかの力の人間界でのインターフェースである。
サタンといえば、悪や理不尽な力を連想させる言葉ではあるが、
サタニズムは支持者にとってある少数派的な精神性と思想を示す言葉でもある。
悪魔教会の創設者であるアントン・ラヴェイは、
たとえそれがサタンという名の神であっても、あらゆる神を信仰しない。
同様に、悪魔の掟に従うこともない
(このことは、有神論のサタニズム信仰者も存在することから、サタニズムが自己矛盾した存在であると誤解されがちである)。よって神に仕え、天の御命に従うような(欧米では一般的な)考え方も存在せず、サタニズムにおいては自身の物質的・身体的な発展と解決が殊更に重視される。
このような理由から、サタニズム信仰者はキリスト教やユダヤ教といった伝統的な宗教の信仰を疎んじ、自己中心的な世界観を構築し、利己主義であることを好むと捉えられる。
一般には理解しがたい信仰のように思われるが、
密教における天部・明王から多面多臂の観音信仰に比肩することで理解は容易になる。ただし、密教のそうした祈願または信仰の対象はあくまで仏・如来の化身とされるのに対し、サタニズムは一神教における神から堕して切り離された信仰対象であることに、その特殊性が見い出せる。」

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