2018年3月7日水曜日

1236「毘沙門・妙見9」2018,3,7

 次の目的地は石巻市桃生町にある日高見神社です。以下の様に紹介されています。

「日高見神社は石巻市桃生町大田に鎮座する延喜式内社であります。桃生六座の一座です。
「日本三代実録」貞観元年(859)に日高見水神とあるように、日高見、今の北上川の神を祭神とした神社であります。
 北上川信仰が成立したのは、桃生丘陵周辺が陸化した弥生時代以降のことでありましょう。(石巻の歴史 第4巻)
 祭神は天照大神、日本武尊、武内宿祢であります。地元神であった日高見神がヤマト王権の支配に組み込まれ、現在の祭神になったと思われます。
 北上川の流れる流域はむかしは日高見国といわれ、水と太陽に恵まれた肥沃な大地でありました。北上川は日高見川のなまったものと言われています。
 ヤマト王権は天平宝字4年(760)日高見神社が鎮座する場所の近く西部に桃生城を完成させ、この地の支配を確立しようとしました。しかし、在地の庶民(蝦夷)の貧困を招き、激しい抵抗をひきおこすこととなり、774年蝦夷の蜂起による火災で焼け落ちました。
 その後も蝦夷の抵抗が続き、弘仁2年(811)までの38年間にわたる動乱のきっかけとなりましたが、 日高見神社は、ヤマト政権支配領域の拡大とも関連があると思われます。」

「主祭神:天日別尊、天照大神、日本武尊、武内宿禰尊
 古来この地方に伊勢津彦尊が居住しており、高皇産霊神の子孫天日別尊に亡ぼされる。尊はそれを皇孫に奉ったとあり、神武天皇の御世に天日別尊を祀って日高見宮としたと伝えられる。
 景行天皇25年、勅を奉じて武内宿禰が北陸及び東国を巡察、同27年帰朝して奏言するに「東夷に日高見の国あり、人勇敢にして土地沃穣なり撃って取る可し」とあり、同40年、皇子日本武尊は上総から海路陸奥に入り竹水門(七ヶ浜塩釜港附近)から日高見の国に到り賊を平定したとされている。この時、尊は武運を祈願し、皇祖天照大神を祀って日高見神社が建立されたと伝えられる。
 続日本記には、宝亀11年(780)「百済王俊哲等が賊に囲まれ桃生白河等の郡神十一社に祈る」の項に日高見神社の社名がありそれが初見とされている。桓武天皇の延暦21年(802)正五位上勲五等に叙し、続いて三代実録の貞観元年(859)「陸奥国日高見水神に従四位下を授く」とあるので、往古は北上川の水神を祀った社とも言われている。第70代後冷泉天皇の康平暦年中(1058~1069)源義家が安倍貞任討伐(前9年の役)の折、神殿を造営して日本武尊、武内宿禰を併祀し、祭田を寄進したとされている。社殿左右に祀る日本武尊、武内宿禰尊の二神像は寛永年間に造られたものである。
 安永風土記には「往年社地の東南を穿ちて神鉾三支を得た」とあり、嘉永3年(1849)には匂玉三顆を発見している。天正19年(1591)山内首藤、葛西の合戦の折り、兵火に罹って社殿、社蔵文書の一切を消失、宝永年間(1704~1710)に再建されている。
 当社は延喜5年(905)延喜式神明帳に登載されている延喜式内社で、奥州百座、桃生郡六座のうちの一社である。尚、現在の社殿は昭和25年造営されたものである。」








 鳥居脇の駐車場から雪の積もった長い参道を進みます。社殿は南に開けた日差しの良い高台にあります。この地も雪に人跡はなく静かに私たちの到来を待ち焦がれていたようです。社殿に向かってあわ歌を響かせました。その時のお言葉です。

「集い来たれよ。この嬉しき里へ。
 大きく離れた皆々も、すっかり忘れた方々も、散りたる多くの方々も、
 是より響く元なるを、受けて元へと参りいかれ。
 大きなる時なり。あ~。」11時52分

 次の目的地は南三陸町入谷山の神平にある神行堂山の巨石です。以下の様な紹介があります。 
「神行堂山は入谷地区の最高峰で、標高461mです。この山も惣内山と同様、入谷花崗岩帯の外縁部にあたり、航空写真で見ると、惣内山から坂の貝峠を経てこの山に至る山並みが桵葉川の盆地を取り囲んでいる様子がまるでハート型の右半分のように見えます。山名は山岳修験に関わるものらしく、南麓の花崗岩の巨石は高野山明神として祀られており、弘法大師ゆかりと伝える独鈷(密教の宝具)や蔵王権現像を持ち伝える旧家があります。」

「神行堂山麓の巨石(入谷山の神平)
 入谷石の平に残る花崗岩の巨石です。古くからの信仰の場と伝えられており、巨石それ自体とその上方にそびえる神行堂山頂が信仰の対象だったようです。巨石は縦にいくつかに裂けており、その裂け目を歩いて通り抜けることができます。古くは通過儀礼の場としても用いられたらしく、悪心がある者が通ると岩幅が狭まって通り抜けられないと伝えられています。 
 伝説
 かつて大蛇が棲みつき,里を荒らすようになり,人々が退治に乗り出し,ついに巨石の上に追い詰めたが,大蛇は巨石の上にわだかまって人々を睨みつけて,しばらく睨み合いが続きましたが,不意にまばゆい閃光が走り轟音とともに,大蛇は岩もろとも二つに裂けて死んでいたとのことで,以後,二つに裂けた巨石を御神体として高野山大権現を祀り,毎年祭祀を欠かさなかったとの伝説も残されているそうです。」





 林の中の巨石はうっすらと雪化粧しています。巨石の上であわ歌を響かせました。最後のお言葉ですが、意味不明の言葉が続き、最後に「お頼み申す。」13時 でした。
「つる~さ~あ~  いや いや いや おえうお えあ~えあ~ 
 うえ~お~えあ~(拍手)
 つんとりよる ひようえお~ え~ら~りお(拍手)
 うえあ~お~うえあ あ~う~え~あ~うえあうえお
 いやうえおう~ いやえうお~
 お頼み申す。」13時

 始めの言葉?は書き留めましたがあやふやです。どうやらこれで会話が成立している様です。

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