2018年3月14日水曜日

1243「浄音4」2018,3,14

 3日は神人さんの5時間講演会「シャーマンとして生きる」です。副題として「幼少期から靈媒師となるまでの数奇な体験を語ります。」とあります。通常は3回に分ける内容ですが、今回は1日でお話してくださるようです。時程は以下のようです。
 第1部 10,20代 霊意識の覚醒
 第2部 30代から  霊媒体質と共に
 第3部 40台から  シャーマンとして生きる

 第1部の開始です。



 私は青森県八戸市の日赤病院で生まれました。白丸に赤い十字の日赤です。それには意味があるのです。後々にその因果を成る程と思います。
 隣町の百石町に住んでいた4歳の時です。子供の時に自分は空を飛べると思い込んでいました。そして箪笥の上から飛び落ちて大腿骨骨折をして入院しました。皆に危ないので止められたのですが、でも飛べると思っていました。
 全て、今世のことが幼少期に現われています。でも現実世界の価値観で見ると分からないのですが、過去生はいっぱいあり、その名残は付いて廻るのです。
 骨折したことで入院し、病院のアイドルになりました。言う事を聞かないで動き回って、お気に入りの看護婦を追いかけ回していました。厄介な者だったのですが可愛がってもらいました。それから看護婦さんがいっぱいいる大病院が大好きということになりました。

 両親とも小学校の教員で移動して歩いていました。親戚の叔父さん、叔母さんに預けられたのですが、皆冷や冷やでした。昔,上北町というところに住んでいました。今は合併してその名前が消えては東北町と言い、小川原湖のあるところです。父親は米国に対してコンプレックスを持っていました。三沢の米軍基地をフェンス越しに見せられて、あれがアメリカだと言われ教えられていました。父は英語を勉強し、東北大に入っていました。
 私はその上北町の父の本家に預けられました。骨折が治って楽しくしていたのですが、そこのおばあちゃんが目を逸らした時に外へ飛び出してダンプに轢かれてしまったのです。急ブレーキの音に驚いて近所の人達が出てきました。私はダンプの下にいて、普通に出てきて立ち上がって、「あー怖かった」と言って家に入っていったのです。何故か無事だったのです。その事は、たけちゃん轢かれた事件と言われました。4歳の時で記憶があいまいですが。このように不死身的な事が起きていくのです。
 この事で母親が怒ってしまい、おじいさん、おばあさんに安心して預けられないと、他の親戚に預けられることになりました。そこはお祖父さんの弟のまんぞうおじいさんの所です。ヤクザ肌の人で私にはとても優しかったです。小学校の中学年までそこで好き勝手にさせてもらいましたら。

 幼少期は両親が教員であり、家は一切、無神論者、無宗教でした。神棚、仏壇が無く、初詣も1回も行きませんでした。父親は横浜で生まれ、満州で育ち、引き上げ船で弟、妹を亡くしていました。そこで生き地獄を見てきていたのです。
 終戦で引き上げの時、トップの人達は直ぐに逃げてしまい、残された貧しいもの達が辛酸の苦しみを味わったのです。父は神様に祈ったのですが2人は死んでしまいました。引き上げ船では疫病で沢山の人が亡くなりました。そして日本に帰って来ても直ぐに上陸させてもらえず1ヶ月船に足止めされたのです。この時に無神論者になり、拒絶論者になったのです。その事を父から小学6年の時に聞かされました。

 私は幼い時から眠る時に手を組んで祈って寝ていました。神様、今日守ってくださりありがとう。明日も守ってくださいと祈って寝ていたのです。お祖父さん、おばあさんは仏教です。誰に教えられたものでなく、私の中にある過去生でキリスト教徒の生があったのです。私なりの信仰がありました。しかし父は信仰を拒否していました。その父の気持に応えようと思い、小学6年から10代は父親の言うように、拝まなくなっていました。これが必要な時期で無神論、無信仰が必要な感覚だったのです。
 幼少期にちょっとした霊感はあった子で、部屋にいると誰かが居るという異次元の感覚がありました。小学校3年の時、テレビの「あなたの知らない世界」に洗脳されて怖くなくなりました。これから神様に守ってくださいという信仰を持ちました。