2018年3月16日金曜日

1245「浄音6」2018,3,16

 私は八戸市で生まれましたが、私が住む近くに是川遺跡、二つ森貝塚などがあり、車力村にも遺跡があります。ある時、私は遺跡、貝塚のある所を転々として生きて来た事に気づきました。
 中学3年、あー終わったと思ったのですが、人生は何が起きるか分からないものです。父は今度の転勤で、県では最年少で教頭になっていました。しかし私にはどうでも良いことでした。ただ生きて帰れれば良いと思っていました。
 初めて学校に行って皆に囲まれました。そして皆にいろいろ言われるのですが、何を言っているのか津軽弁がまったく分からないのです。しゃべり方が面白いので笑えるのです。何を言われても私がビビラないので、皆が勝手に憶測してその内に何もしなくなりました。しかし先生の言う事は分かります。「転校生だから何かあったら言えよ。」と言ってくれました。
 学校の帰りがけに分かる言葉で話しかけて来た人がいました。その人も以前、この学校への転校生で、最初分からなかったと言います。彼は東京から転校して来ていました。ほぼ標準語で話すのでその人から津軽弁を教えてもらいました。彼は将騎が好きな人でしたので、私に友達が初日から出来ました。そこで番を張っていたやつは良いやつに変わり、私とも仲良くなりました。

 私は兎に角、南部に戻りたかったです。何故かというと好きな子がいて、彼女に会いたかったのです。彼女は中学で優秀で、彼女と同じ高校に行きたいと思いました。その為には勉強するしかない。物凄く勉強しました。人生で1番勉強をしたと思います。県の模試では、前の中学の1位の生徒を抜いたのです。私は下位の方だったのですが、全県で凄い成績を取って上位に食い込んだのです。
 私は秀才君扱いになりました。この中学では村の農家の子がほとんどで、大概は卒業して就職するので私の内申書は100点を貰いました。私はクラスで1番、2番で、もう一人の頭の良い子が居たましたが後で医者になりました。やれば出来る子だったと思った父が気を遣ってくれました。私は勉強して結果を出して、親孝行をしたと思いました。

 1つ1つ理由があるのです。良い成績を取って高校に入学し、そこから好きだった女の子と同じ高校へ編入し、彼女に告白したい。1人暮らしをしたい。その最高の妄想をしていました。そして彼女と付き合えると思っていました。ですから毎日6時間勉強していました。転校して来た1日目からそれくらい勉強しました。そして結果が出ました。参考書が良かったし、塾にも通いました。そして編入試験に合格出来ると思っていました。
 私は人参をぶら下げられないと動かない人間です。そして試験の当日を余裕で迎えました。しかし試験問題はこれまで見たことも無い問題だけ出ていました。まったく分からないのです。もう駄目だ!その年から入試の傾向が変わっていたのです。当日の点数があまりにも悪かった。そして編入試験を受ける資格すらもらえなかったのです。
 合格発表に父が付いて来ていました。高校には合格できたのですが編入は出来ませんでした。ここに入るぎりぎりの成績で、津軽の五所川原高校へ入学しました。

 全て終わった。家は車力村から木造町、御ヶ岡遺跡の近くに引っ越しました。そこから高校にバスで通ったのですが、挫折していました。しかし挫折は早めに味わった方が良いです。高校に通うのが面倒になり、1人暮らしをしたいとお願いしたのですが駄目、お金が無いと言われました。下宿はさせると言います。私は何するか分からないので監視する必要があるので、物凄く厳しい下宿へ入ることになりました。そこは厳しかったですがご飯は美味しかった。
 津軽にも馴染んできて友達も出来ました。津軽弁にも慣れて使いこなせていました。1度高校を辞めようと思いました。大学へ行く気が無く、料理をしたかったのです。父からは、料理界は厳しいので今の状態ではそこでは持てないと思われて、高校だけは出ろと言われました。父にも後ろめたさがあったようです。私は生き方を模索していました。音楽、ファッションに触れ、東京にあこがれていました。