2018年4月20日金曜日

1280「三陸4」2018,4,20

 昼食は二戸市内の自助工房四季の里です。蔵の建物の中で私たちだけの優雅な昼食を頂きました。お蕎麦屋さんですが、今日のメニューは四季の里セットです。このお店は何度も使わせて頂いていますがお気に入りの定番メニューで美味しいのです。




 南部煎餅の会社が経営するお蕎麦屋さんで大繁盛です。隣接した所に新たに「2door(ツードア)」のお店が出来ています。食後の楽しみで買い物を兼ねてお店散策です。後で分かったのですが、店の名前のツードアとは二戸のことでした。

 心身を満たして二戸を後に一路東へ、久慈市に向かいます。途中、洋野町大野の「一人一芸の里 おおのキャンパス」を見学です。その紹介には以下の様にあります。
 
「一人一芸の里 おおのキャンパス
 地元資源を活かした 「一人一芸の里づくり」に取り組む大野の里。温かな手仕事、豊かな自然、安全でおいしい食材、そんな自然の魅力を体験するなら「おおのキャンパス」がおすすめです。
 おおのキャンパスは、総面積27㌶の広大ない緑の中に囲まれ、エリア内には、全国的にも知名度が高く、木目が美しく耐水性にも優れた「大野木工」をはじめとした工芸品を展示するデザインセンターを中核施設に、レストラン、宿泊施設、入浴施設、工房群(木工・陶芸・裂き折り・園芸)、動物ふれあい館、道の駅おおの、本州最大規模の広さを誇るパークゴルフ場、日本一星空が見やすく口径51㎝反射望遠鏡を備える「ひろのまきば天文台」などがあります。                                                
 そのエリアに春の訪れを告げるイベントが「おおのキャンパス一人一芸交流祭」です。各種1280三陸42018,4,20づくり体験(木工・陶芸・裂き織り・アイス・そば打ちなど)をはじめ、郷土芸能・演歌・舞踊などの発表、餅まき大会、パークゴルフなど、老若男女、みんなが楽しめるイベントです。」

 私はこの名前の「一人一芸の里 おおのキャンパス」に興味を抱きました。木内さんの村作り構想の基本は「一人1品持ち寄り」です。その人が得意なことを提供しあいながら持ち味を発揮していくことです。「一人一芸の里」は将にそのものずばりです。

 大野村は岩手県の北に位置し、2006年(平成18年)1月1日、種市町と合併して洋野町となり消滅した村です。その紹介には
「地勢はほとんどが丘陵地帯ですが、南部から山形村に至るところは険しい山岳地帯で、それに続く北西部はなだらかに高くなり、久慈平岳に連なる高原型の自然美豊かな山村です。
 気候は冷涼で、年平均気温は、10.6℃。太平洋に比較的近く海洋の影響を受けやすい状況にあります。特にやませと呼ばれる夏の北東風は、海霧の襲来をもたらし、低温と日照不足によって農業に大きな影響を与えることがあります。」
 そしてこの地に作られた「おおのキャンパス」は、「村民の生活を豊かにするために創設された文化・産業の発信基地で、年間の利用客は、30万人を超えています。木工を中心とした、「一人一芸」の村づくりが、地場産業の重要なかなめとして、息づいている。」と10年前の大野村のHPにあります。

 この「一人一芸の村」づくり構想の仕掛け人は、工業デザイナーの故秋岡芳夫さんのようです。以下のサイトにその辺の事が記されていますが、一部紹介します。
「岩手県 洋野町にある工業デザイナー秋岡芳夫が生んだ一人一芸の里「おおのキャンパス」に行ってきました。」https://simplife-plus.com/tsukuru/ohno_campus/

「秋岡芳夫さんは立ち止った工業デザイナーでした。そして「消費者から愛用者になろう」と呼びかけ、利潤ばかり追求する大量生産大量消費の時代に警鐘を鳴らし続け、そして新しい暮らし方、生き方、価値観を提示し、実践した人でした。」

「もし三十数年前、秋岡芳夫さんが「ねえ、村長。大野を一人一芸の村にしませんか」と提案していなければ、確実にこの小さな東北の村は今のような地位はありません。
 大野木工が始まり、外部から評価され、村民の意識も変わり、そこに初めて誇りが生まれ、そしてそれを継続していく。そこには必ず人が人と交わり、人が人に伝承し、今の姿に発展してきたわけです。
 そう思うと、立派な施設を目の前にして、何もないころの姿を想像し、そこに一人のデザイナーが提案した「一人一芸の村」という構想がいかに重大であったか。
 もちろん、それで人口減少が食い止めれるわけでもないし、すべての人がお金持ちになれるわけでもありません。ここで木工を学んだ人すべてが定住しそれを仕事にしているわけでもないことも事実です。
 でもこの岩手県最北の田舎まちを目指して人がやってくる、このまちに住みたいという若い人たちが来るという現実は否定はできないでしょう。大野として確実な価値がそこに生まれているわけです。」

「秋岡 芳夫(あきおか よしお、1920年4月29日 - 1997年4月18日)、は日本の工業デザイナー、童画家、著述家、教育者。熊本県宇城市松橋町出身。少年期以降は東京都目黒区中町在住。工業デザイナーでありながら大量生産・大量消費社会に疑問を投げかけ、「暮らしのためのデザイン」という持論の実践のため、日本各地で手仕事やクラフト産業の育成のために尽力。手仕事や手道具の楽しさ、おもしろさを伝える多数の著述や、さわれる工芸展、市の立つ工芸館やワークショップを仕掛けるなど、活動領域の広さや手法の独自性は他に類例がない。主に1970年代〜80年代に活動したデザイン運動体グループ モノ・モノの代表。東北工業大学、共立女子大学などの教授として、また桑沢デザイン研究所、愛知県立芸術大学、大分県立芸術文化短期大学、沖縄県立芸術大学などの非常勤講師としても活躍した。」

 先見性、将来を見越して必要な提案を出来る人に出逢う、そしてその意見を聞いて受け入れる事が出来る能力、行動に移せるタイミング、諸々の条件が必要です。全てはその必要を感じられるかです。そして皆さんの一人ひとりの持つ価値、能力が開花して行く為の場作くりは大事です。これから横型リーダ-シップが求められますが、想像性、創造性、想造力の総合力、想全が課題だと思います。