2018年5月26日土曜日

1316「祈り6」2108,5,26

 しかし嫁いだものは島では神職に就けないのです。島で育ち、島の人と結婚した人しか神職に就けなかったのです。そうなので私に反発もあり、嫌がらせもありました。しかし、私が先祖と約束した事なので守ろうと思いました。
 1つ1つ教えてもらいました。そんな時にメッセージが来ました。アーマンは宿借りのことで、最初に地球に住んだ人は洞窟に住んでいました。そして色んな情景を見せてもらい、祈りの言葉を教えてもらいました。しかし、「人真似はするな。」と言われたのです。

 母はすでに他界していて指導してくれる人がいなかったのです。どう祈ったら良いのか、どう治せば良いのか、があったのですが、不思議にその場に座るとひとりでに言葉が出てきました。仲間の祈りの者達は、新しく移動して来た者が多いです。祈りが健康祈願などになり、本来の祈りと違うので真似をするなということか、と思いました。
 最初はチンプンカンプンで色んな言葉で理解不能でした。どう理解すれば良いのかと思い過ごしていました。そして、分かり易く現代用語に換えてくれとお願いしました。そうしたら、今は私たちの言葉で聞けるので分かるようになりました。先祖の言葉が下りてくる様になってきました。辛くしんどいと思うことがあります。先輩が1人欠け、減って来ていました。

 35神いるのですが毎月の祈りがあります。正月3か日は人間界の祈りです。最初は男、3日目から女の祈りで、男を女が守ります。3日過ぎ、その後は自然界、豊漁、水の安全などです。久高の祈りは地球規模です。7つの海の神々よと祈ります。7つの聖地に火を灯します。親の代から私の代をマロの時代。そして子、孫の時代として生命をかけて恵んでくれる自然の恵み。六つの手、八つの手、それは烏賊や蛸のこと。全てに感謝し恵みが耐えない様に正月にするのです。そこから漁が始まります。
 2月から男の子の健康祈願をします。久高に6つの貝塚があります。古いものは縄文のもの。男は生存率が低かったので守る祈りをします。西に向かって祈ります。「百代何時までも。」「千年万年、子々孫々耐えない様に。」と。
 3月は五穀豊穣。イバフー。アマミキヨ、シネリキヨが持って来たもの。私の家、大里家が第二尚家からノロ家になりました。
 4月は神様を迎えます。農耕の神。35のお供えをします。
 5月はあわの節句。アツタ貝塚は3500年前。今の久高島は2度目の島。1度目は30000年前に沈んでいる。今は標高15m。2人の人が降りて来た。海の中はサンゴで、それで今の島が出来てきた。祈っている時に見せてもらいました。
 6月、900年位前は6月が正月でした。マヤと同じです。
 7月、米、久高はあまり米出来なかった。対岸の玉城で芽が出ました。
 9月、ご縁のある出雲に海へびが行く。いなさの浜です。
 10月、米の祈り。11,12月は1年間に祈った35の残されてきている所にお祈り参りをします。
 12月は最後に部落を上げて祈ります。
 イシキバマ、セイファーウタキに砂、サンゴの欠片を運んで聖地化しました。
 男は世界中に出て行っていますが、久高の男だけでなく全ての男への祈りをしています。女の子は5,6,8日に祈ります。女は本来強いので沢山祈らなくても大丈夫なのです。体の弱い男を祈ってやろう、というのが久高の主たる祈りです。地球の四方八方、宇宙の四方八方が穏やかに過ごせ、男女全て、自分の子と神様は言っているので、それを懐に入れて守りましょう。絶やさずに久高ではそう祈っているのです。」

真栄田苗:ノロ(祈りを捧げる人)神人、かみんちゅ
 沖縄県久高島生まれ。久高島を離れ本島の沖縄で色々な職業を経験し、結婚もする。1度に4つの店を切り盛りしたこともある。あまりの忙しさで病気になり閉店。また始めると大繁盛の繰り返しの中で、感じるものがあって帰島。現在は神の島と言われる久高島で祈りを捧げながら、島を訪れる人々に、人間にとって1番大切なことや、久高島の古代の歴史や地球レベルの祈りに付いてなどの語り部として知る人ぞ知るの存在。