2018年12月26日水曜日

1530「坐禅断食4」2018,12.26

 もうひとつ驚かされることは、ブータンはお洒落な国で、農作業をするときは野良着ではないのです。美しく着飾って畑に出るのです。そこに誇りがあり、芸術性が加わります。宮沢賢治が「農業芸術概論」で、農民は絵を描いたり音楽を奏でたりという農民芸術の創出に励むべきであると論じました。
 ブータンでは農業と芸術が近い所にあると言えます。農業は汚い物ではなく、綺麗な格好で盛装してやるものなのです。女性もダンスかお祭りに行くのではないかと思われるような恰好で、農作業に出かけていきます。畑では誰も見ていないし、見せるつもりでなく、そういう農業をやっているのです。

 ブータンではたった1個の水力発電所の電気をインドに売却することで国家予算がまかなわれています。国民は税金の負担はありません。畑にまく種は、ほしい種のリストを国に上げれば国が提供してくれます。国民が幸せな気持ちで日々を暮らし、ゆっくりした時間が流れて、日常に喧嘩もないという、そういう国がブータンでした。人口は70万人くらいという小さな国だからこそ、このような国づくりが出来たのだと思います。

 ブータンは緑豊かな国です。これが砂漠の様な気候になると、農作物もあまりできなくなり暮らしも一変します。それがインドの反対側にあるラダックです。しかしラダックの人々もブータンと同じような幸せ感を感じて暮らしています。それは人間の感じ方の問題で、風土に合わせた暮らし方のアレンジがされています。

 農業の難しい土地であるため、ラダックの人達はブータンの半分くらいの量の食べ物しか食べていません。非常に小食でありながら、人々が満足して暮らしているというのがこのラダックでした。寒さが厳しく、緑はほとんどない土地です。
 大麦を炒った「はったい粉」とヤクという家畜の乳で作ったバターとお茶が主な食事です。野菜もほとんどとれず、夏にわずかに口にするくらいです。肉を食べる事もほとんどありません。1日の摂取カロリーはおそらく千キロカロリー位だと思います。これは日本の糖尿病食よりも低い水準です。
 
 それでもラダックの人達は健康に暮らしています。その背景にあるのは、人々の腸の働きが良いこと。食している麦に含まれるミネラルが豊富であること。麦に限らず、日本の食べ物はミネラルの含有量が低いです。だから沢山の量を食べなければならないということになります。ラダックは麦を育てるのに使う水が良いのです。水がきれいで、その水にミネラルが豊富に含まれているという環境があります。
 
 ブータンとラダックの両方を見て感じるのは、たとえ気候や風土、そこに暮らす人々の生活スタイルが変わろうとも、農業を通じて十分に幸せな生活が出来るということです。人間のいいのちを繋ぐ食べ物をもたらしてくれるのが農業です。その土地に適した農業に取り組むことで、そこに暮らす人々の幸せが支えられます。

 良い食べ物を食べて、良い生活をすれば、人間は健康でいられ、悩みごとも少なく生きていけます。悩みごとが少なくなるというのは脳の働きが変わって、こだわらないとか、迷わないとか、思いを後に引きずらないようになるという意味です。
 そしてそのように暮らしていくと、自分の価値感や生きる態度というものが定まって、人生上の様々なハプニングに遭遇した時にも、生き方や判断がぶれないようになります。農業がそこに暮らす人々の「生きること」の質を高めるということです。