2019年1月12日土曜日

1547「会津4」2019,1,12

 インタビューはまず、大和川酒造の客間で始まり、お話を伺いながら車に乗り込み、弥右衛門さんが山の中腹に広く太陽光パネルを敷いた 雄国発電所 に移動しつつ、続いた。
佐藤:これは助成金をもらってつくっています。「市民説明型」という、再生可能エネルギーについての説明を目的とした施設です。雑種地だったところを借りて、山なりに切って、無理に整地せず、水捌けだけは整えて「森に沈む発電所」みたいなイメージでね。ここでだいたい、450世帯分くらいは発電できます。
—実際の発電効率は、想定と比べていかがですか?
佐藤:いわゆる NEDO の平均データよりは発電します。それより問題は、ここだと「冬の雪をどうするか」っていうんで、まずはパネルの角度を30度にすることで雪が落ちるように。次に、落ちた雪が邪魔にならないよう、高さは2.5メートルあります。でも、雪があって逆にいいのは、日光が乱反射して結構発電するんですね。あとは標高も500メートルあって、発電効率はパネル自体の温度が上がると落ちるので、海沿いの砂浜なんかは逆にダメ。その対策にもなっています。
 当然日照時間の問題もありつつ、逆に言えば夏の中通りなんかは曇りが多く、こっちは青空が多くて、平均するとそんなに差はない。結論から言うと、「太陽光はどこでやってもそれなりに発電する」と。

—もともと地域のことを考えてこられて、再生可能エネルギーについては311以前から考えれてきた?
佐藤:日本は、カロリーベースで食料自給率が4割くらいだけど、ここは1000%です。福島県を200万県民として、会津は28万人。1/7くらいだけど、十分豊かで、四季の変化があって、食料も水も、産業も水田も、今の時期なんて夕方に陽が西に落ちると田んぼの水が鏡のようになって、その美しさで「これでいいな」と思ってきた。
 私は酒屋ですが、農業生産法人で「大和川ファーム」として、酒米も自分でつくってきました。55ヘクタール作ってるので、それは会津でたぶん、ベスト3くらいに入ります。「これで次世代に繋げる」と思っていた矢先の原発事故でした。「あ、自給率というのは、食糧だけじゃダメだ。エネルギーまでやらないと」と、改めて思ったわけです。
 じゃあ「エネルギーはなかったのか」と言うと、ある。
 日本が大戦で負けた時、各都市が空爆を受け、そこから復興する時に「エネルギーだ」、「ここには水資源がある」ということで、田子倉ダム という5億トンの水を溜める巨大ダムをつくった。それはもし決壊すれば、この盆地全体が水浸しになるくらいの大きさです。
 水力だけで500万キロワット毎時。原発1基で100万キロ毎時ですよ。
「ここにはそんなにあるんだ」と。それが、ここに放射能が降って、水田も山も使えなくなって、一瞬「もうお終いだ」と思ったわけです。

—日本自体が終わったかと思いました。
佐藤:しかし幸いにも、会津は線量が低かった。でも「もう、原発なんてのは絶対にダメだ」と。しかも国とか東電のあのズブズブの、誰も責任すらとろうともしないところで考えて、「じゃあ、自分でできるんじゃないか」ということになったわけです。
 出会った仲間たちと、ただ、文学者と文化人みたいな話をしたってコトはすすまない。そこで、「オレたち経済人は何をやるんだ」となって始めたのが、再生可能エネルギーですよ。
 福島県のエネルギーは、全部でどれくらい使っていたかというと、2013年のピーク時、7月の一番クーラーを使う時で154万キロワット。つまり、田子倉ダムでできる電力の1/3以下なんです。
 「ここの電力は」と考えたら、県民200万人のうち人口28万人、1/7として、単純に割れば30万キロワット。もし50万キロもあったら、オール電化の町づくりでも、全電力供給だってできるわけです。でも水力は、東京電力が水利権を全部独占していると。
 そこで問題なのは「水や食糧、エネルギー源というのは、地域の権利だ」と。「地域のアイデンティティ、地域の持ち物だ」と。それを国、東電が勝手に奪っていくというのは、おかしい。それは一つの、地域を活性化させていく、地域にアイデンティティを持たせていくための、これからの運動だね。水も食糧もそうだけど、常に国から奪い取られてきたわけだから。
 人間だってそう。一人を一丁前にするのに2、3000万円かかるのに、みんな育ったら都市部に行っちゃって、企業に入って、帰ってこない。
 本当なら、ここで豊かに生きられるだけの、会津にはもともと教育も産業もあるわけで、それこそ江戸の前からの歴史も文化もこっちにある(笑)。問題はアイデンティティとか価値観、それさえ持てればいい。
 そして、そこで足りないのがエネルギーですよ。そういう意味で、やっぱり「教育」と「エネルギー」を持てば、ここに住む。ここを背負って、自立する、愛するという意味のアイデンティティを立ち上げる。だいたい、ここまでアクセスが良くなれば、グローバル化の中で海外に行ったりなんだってのも、十分できるわけですよ。

—弥右衛門さんは頼もしい考えと行動力をお持ちであると。しかし本当に地域を変えるには、一人一人の意識変革も必要になるかと思います。
佐藤:「常に革新していかなければダメだ」ということ。しかもその革新も、他所から持ってくるんじゃなくて、足もとにある文化をつかうことの大切さ。それはやっぱり、爺さんとか親父とか、歴史の中で教わってきたことですよね。自分の育った故郷、地域に対する愛がちゃんとないとダメなんです。
 でも、それで実際動いて、新しい酒蔵をつくったりすると、一番身近な同業者が「あんなことやって今に潰れるぞ」って、妬み嫉みひがみ恨みつらみやっかみ、もっと言えるけど(笑)。それはどこもそうなんだ。
—後に普通になることを、いち早くやられてこられた印象です。
佐藤:それは、日本中動いてたから。町並み保存連盟 とか、必ず地方には酒造があって、飛騨高山に行ったわけ。するとあそこには 山車酒造 があって、卸売りになんかいかなくたって、観光客に酒を全部売り切っちゃうわけだ。そうすると変につくって卸すより10倍くらい儲かるし、つくった分を売り切るってほど効率のいいことはない。だから何も、町並保存のためだけに蔵を引いたわけじゃなくて、やっぱり経済状況をちゃんとみてやってきたんです。

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