2019年1月23日水曜日

1558「会津15」2019,1,23

 道の駅を後にして喰丸(くいまる)小学校跡に向かいます。この喰丸小学校跡は今回、運転手で手伝ってくれているKさんが現在、村おこし協力隊として活動している仕事場です。彼はここで場作りをして環境を整え高め、交流の拠点として情報発信をし、観光資源の有効活用を目指し、色々取り組んで働き、学び、社会貢献をしています。

 昭和55年(1980年)に廃校後、いつか解体をと囁かされ続け、長年の間、半ば放置されてきた旧喰丸小学校が修復され、2018年4月から再利用されています。喰丸小学校跡が未だ存続が決まらない時に以下の様に紹介されています。
「旧喰丸小学校は,福島県大沼郡昭和村にあった小学校である。1937(昭和12)年に現存する木造校舎が建てられたが、1980(昭和55)年に統廃合により昭和小学校へ統合されて廃校となった。
 老朽化が激しく取り壊される予定であった木造校舎であるが、坪川拓史監督の映画「ハーメルン」の舞台として撮影されることとなり、撮影完了まで取り壊しが延期されることとなった。
 2013年7月現在でも校舎の取り壊しは行われていないが,いずれ解体の決断が下されるときを静かに待っている感じがする校舎である。
 校舎の前には大きなイチョウの木があって,これもまた木造校舎にとてもよいアクセントを与えている。」


 喰丸小学校のシンボルツリーの銀杏は既に葉を落とし冬の用意です。





小学校の教室で、昭和村にからむし織がご縁で移り住んで活躍している須田雅子さんからその出会い、今に至る活動を語って頂きました。


「からむし織の世界」須田雅子氏フリーランス
「たまたま自転車の旅で訪れた昭和村の道の駅で「からむし」の事を知りました。それから「からむし」の事が白日夢の様に浮かぶ様になりました。当時は都内で仕事をしながら京都造形芸術大学で「芸術学」(中でも「地域学」)を学んでいました。
 八重山上布の原料の苧麻(ちょま)は「からむし」と同じ草と知って、凄い!と思いました。東北と沖縄には縄文が残っていると感じました。それで「からむし」を大学の卒論にしました。

 2015年5月に、昭和村の「とある宿」に1泊して2日間の「からむし」糸作り体験をしました。この宿は移住者の若い女性が宿主です。そして「からむし」織の指導者も移住者だったのです。
 その翌週に「からむし」畑体験をして、草刈をしました。その2つの昭和村での体験の間に、会社で嫌な事が水曜日にありました。その時に、もう会社を辞めよう、そして昭和村へ行こう、と思ったのです。直ぐに親に話して、金曜日に上司に話して5月で退職しました。
 その年の7月にからむし引き体験で昭和村に来て「とある宿」に泊まり、紹介された空き家を内見しました。福島県の空き家改築費の半額補助を受けて、9月に引っ越しして来ました。ですから4か月のスピード移住だったのです。

 私は昭和村と「からむし」に心わしづかみ状態でした。そして2016年12月に卒論を提出しました。「苧麻をめぐる物語ー奥会津昭和村と宮古・八重山の暮らしと文化」です。
 国の重要文化遺産の越後上布、小千谷縮の原料である昭和村のからむしは品質がずば抜けています。「からむし」は年1回収穫します。中でも大芦集落は江戸時代から高品質な「からむし」の生産で知られていたそうです。その良い物が新潟の越後、小千谷に出荷され、越後上布、小千谷縮になります。
 「からむし」の良い草と良い繊維が出来る為には技が必要です。そこには道の世界の精神性を感じます。1本、1本、次こそは良く引くぞ、と思います。「からむし」に奉仕し、真摯に向き合って気を整えてやっています。それはただの作業ではないのです。自分に向き合う技の世界です。
 それを手で糸にします。繊維が良いとするりと裂けるのです。「からむし」がここ裂いてと言う所を裂くのです。昔ながらの地機織(じばたおり)では、縦糸の張り具合を身体で調整してします。そこに身体の余韻を残しています。
 この「からむし」織が昨年、国の伝統工芸品に選定されました。おばあちゃん達には暮らしに密接して「からむし」織があったのですが、その方々もだんだん亡くなって行きます。この「からむし」織の世界を何とか伝えていきたいと思っています。」