2019年1月27日日曜日

1562「会津19」2019,1,27

 西会津国際芸術村を見学して次に向かうのは同じ西会津町野沢三坂上安座(あざ)地区にある弘法岩屋です。私はこれまで何度か訪れていますが、何かしら引かれる山間の聖地です。
 車のナビを設置して進むのですが誤作動を起こしてあらぬ方向へ誘導します。少し迷走しようやく辿り着きました。もう時間は夕暮れ近くなっていました。
 安座の集落を抜けて山道になり、そのまま進むと行き止まりです。その右手に鳥居があります。弘法大師と記された石柱が立ち、脇に謂われが記された案内板があります。


そこには以下の様にあります。

景勝安座と弘法岩屋
「昔、この地域周囲一里余りの沼がありまして、神代から百尋の大蛇が住み、沼の主になっていました。 宝亀十一年六月二十日、大地震がありまして、岩が崩れて沼を埋めてしまい、大蛇は死んだと言われています。 
 その後、この霊、日夜、里人を苦しめていて、いかんともしがたいなと思っていたところ、大同二年、弘法大師の巡鍚がありました。それで、嶮岨なる岩窟に入りまして、護摩を修め、悪霊を鎮めてくださいました。
 大師は去るとき、自らの姿を刻み、岩窟に安置してくださいました。その後、弘法岩屋を称しまして、村名は沼岡村を安座村に改めた、と言われています。
(現在、蛇ヶ森に大蛇の遺骸を埋めたところ蛇塚と称してある)」

 10分程の山登りです。ゆっくりと登りますが木内さんは息が上がり、少し難儀しています。でも皆さんの協力、支援で岩屋に無事到着しました。道の途中から周囲の山を見渡すと岩山でその岩肌が露出していています。地底が隆起して出来た地形の様です。南の方に安座の集落と田が見えます。隠れ家の様な集落、地域です。





 弘法岩屋は石で出来た家の様です。木造の社が中に建てられていますが戸は閉まっていて開けることは出来ません。木内さん曰く、この岩屋は人工的なものだと。果たして真偽は分かりませんが、この安座地区の山々、地形、地質は独特なエネルギーがあります。弘法大師の所縁の地は全国各地にあり伝説めいていますが不思議な世界です。




  安座の弘法岩屋を後にすることは既に日が落ちてしまいました。後2か所、同じ西会津にある大山祇神社と鳥追観音はキャンセルすることにしました。

 私達がここを訪れる少し前に「安座の地形・地質めぐり」催しが開催されていました。
そのレポートを紹介します。
【桃源郷の地、安座集落】
18日「安座おとめゆりの里の新そばまつり」に合わせ「安座の地形・地質めぐり」が開催されました。
 安座集落は四方岩山に囲まれた平地であり、その恵まれた景観からか、弘法大使(空海)がこの地を訪れた際、現在の「弘法岩屋」に己の像を彫り、「吾れこの地に安座するなり」といわれたそうです。また不思議なことにコウヤマキ、オトメユリなどが、この地域にだけ群生し自然繁殖しています。
 田崎敬修さん(西会津観光ガイドの会会長)は、このような絶景や物語を、地形・地質から紐解いていきました。田崎さんは実際に現在の集落入口にある「丸山」付近の岩塊を砕き、周囲の山は凝灰岩質の柔らかい岩体であることを見せ、この埋積しやすい岩体により安座の絶景ができたと説明しました。
 安座盆地ができた経緯は、宝亀年間(770~771)に起きた大地震で丸山の一角が崩れ落ち、安座川を塞ぎ大きな沼ができたことから始まります。その後、周囲の山地から流れ込んだ土砂が沼に厚く埋積し、徐々に塞き止めていた谷口から水が流れ、推積面が地表に現れるようになりました。伝説でも空海は大同3年(...808)にこの地を訪れ神のお告げにより水を抜いたとされています。
 ツアー参加者は、旧町役場駐車場から安座集落まで、絶景の中を往復12キロ歩き、秋の風情を楽しみました。昼食では、安座集落のそば職人のゆでたての新そばに舌鼓を打ちました。参加者は町外からのリピーターが多く、すっかり西会津に詳しくなり、西会津ファンになっているようでした。地域おこし協力隊の居村でした。
 
Facebook「なじょな町、西会津。」2018年11月20日記事