2019年1月31日木曜日

1566「傑僧2」2019,1,31


「平和に徹する」
 なにしろ奥州が遅れるのは特色だと思えば不足はない。事をするには、踏み出してから退くことも良しとしておれば、何事も成就を妨げるものはない。(略)
 国家というものがある以上は仏法があるのだ。国家が敗れるとは仏法も共に滅んでしまう訳だ。丁度器物に食物を盛ったようなものだな。すなわち器物が壊れると、豆腐もこんにゃくも散り散りになってしまう訳である。(略)
 国の事を言うてみると、守るだけの兵士を蓄えて守りさえすれば、進んで取る拳はいらんわけである。固く守ってさえ居ったならば、決して他国に指をさされる事はない。
 それに孝ということを決して忘れてはならない。孝というのは、私が生まれてから今日まで経験を積んだものである。諸君もこの孝に基づいて勉強せられんことを願うものである。

「一番下の所に度胸を定めておく」
 大きな事業に限らず、日々の些細なことでも、最初から十二分に上手く行ったらこう、中位に行ったらこう、ことごとく外れたらこう、と先ず第1にその一番下の所に度胸を定めておくと、心の内に十分に余裕というものが出来て来る。この心中に余裕を残しつつ事に当たると、我ながらうまくやったと思う時もきっとあるものだ。
 そういうことだが、とかく世の人々は初めから出来そうに思わぬ事まで、どうにかうまく行ってくれればいいと、曖昧な所で一生懸命望みをつないでいる様だ。だから仕損じてみろ、そのうろたえようといったらないだろう。
 何事をするにも、運も果報も心掛け一つと言うべきである。わずかな月日を費やしてする仕事でも心の持ちようというのは大事なのだ。
 一生を人間らしく送ろうとするのに一つの確固たる信念がなかった日には、立派な障害は到底送られるものでない。

「わだかまりのない心を」
 我々の心は盆の上に玉を転がすように、転々として滞りのないものでなければならない。あちらこちらにひっかかるようでは困るのだよ。心に癖があったり、ひがんだり、つまらない事を思い詰めたりすると、それが皆引っかかって滞るのだ。(略)
 心の癖は、また人間の心に色を付ける。青い眼鏡には何でも青く映り、黒い眼鏡には何でも黒色に見えるように、自分の心に色がついていると、全ての物の真相が分からなくなってくる。それで事々の判断を誤って、くだらない羽目に陥るのだ。
 玲瓏としてわだかまりの無い心には、赤いものは赤く、白いものは白く映るから、自ら取るべきもの、捨てるべきものが明らかになってくるのだ。

「忍耐の満足」
 心の満足と言うなら、忍耐ほど人の航路に言うに言われぬ満足を与え、自信と希望を起こさせるものは無いと思う。小さい例だが、明日でもよいと思う事を、まてまて今日出来る事ならしてしまおうと、己に打ち勝ってやってしまった時の心餅、誰でも悪い事はないだろう。 
 それが大きな事になってごらん、後々まで思い出して始終その当時の満足を繰り返す事が出来るだろう、これもやはり寿命の大妙薬だよ。
 私の満足の一つは、幸いにして悔いのない生涯を送ったことだ。

「僧侶は煩悩を掃除せよ」
 ところで、煩悩の掃除をせずに悟りばかり見たがる。それは醤油樽に酒を入れようという様な修行であるから、もし入れたら大変、みんな醤油臭くなってしまう。煩悩を掃除せずに悟りを入れると我慢臭い悟りが出来る。よくよく坐禅をして掃除をし、煩悩を断じて、それから物証というものを見届けるが良い。

「母親の役目」
 私のために母は善知識であった。母があれだけの気性を持ってくれなければ、私は人間になれなかったかもしれない。子供と言うものは母親の教えひとつで立身の礎を据えるのだから、くれぐれも女の人は常日頃から確乎とした気性を持って、決して子供を緩く扱ってはならない。
 女はただ温和しくありさえすればいいという話もあるが、それはどうにも受け取れぬ話だ。わがまま勝手は男にも女にも禁物だが、女だからと言って毒にも薬にもならんようでは決して頼もしくもない。