2019年2月1日金曜日

1567「傑僧3」2019,2,1

「善いことをする」
 善い事をすると寿命を延ばす事が出来る。自分の中位ひとつで、自分の寿命の伸縮はどうにでもなるのだ。善因善果(善い行いは善い結果を生む)、悪因悪果(悪い行いは悪い結果を生む)、それをくらます事は出来ないのだ。

「目的を持つ事、無駄は寿命を縮める」
 たとえ石橋が腐ることがあっても、願力と修行力は朽ちるものではない。これは固く信じて忘れてはならないことだ。仏道を成就したいというその願力だ。その願力とはこの身一代でとは言わない。二生、三生かかっても、これだけの事は必ずし遂げたいと言うのが願力だ。
 人間というものは、何か一つ目的が無ければ、早死にするぞ。願力に生きる。一つ目的を立てて、その目的に向かって突進するのだ。その目的が健康も維持するのだ。
 だから・・・無駄口、無駄食い、無駄遊び、全てその無駄というものは寿命を縮めるぞ。何か一つの目的があって、その無駄口をきいている暇に坐禅をするというようにするのが良い。そうすると、無駄食いも、無駄遊びも出来なくなる。それが長命の本になるのだ。その目的を立てるのが願力だ。だから願力をもって自分の寿命とする。

「旭に負けぬ」
 今日の仕事を明日に回すのが気持ちが悪い。明日になってできるやら、できぬやら分かりもしまい。それで私は若い頃から朝は未明に起きる。夜が明けてから起きていては何も出来んよ。

「病気の元は心の癖」
 先ず第一に病気の元になるのは余計な飲食だよ。身体を養うだけより以上の食べ物は、食べれば食べるほどに胃の腑を労して、その上に身体の中に病気という余計な物を作り出す事になる。ちょうど我々が病気を食っているようなものだ。
 余計な食べ物よりもう一層病気の元になるものは余計な思い煩いだよ。衛生、衛生といって気を揉むと衛生病になるぞ。金が欲しい、名誉が欲しい、あんなに成りたい、こんなに成りたい、それが病気の元だよ。つまり自分で病気になろう、なろうともがいているようなもんだ。

「生死」
 生死は車の両輪の如くで、造化自然の機関だ。生という機関があるから死という機関もある。自然なものだ。しかるに生にばかり執着して、どうか何時までもいきていたいという念がやまない。そこで死を恐れる事になる。
 よく思え、馬鹿な話でないか。いかに生きたいと思うても、死ぬ時が来れば、どうでも死ななきゃならない。また、どうでも良いと思うても、死ぬ時が来なければ死ねない。その及びもつかぬ生を、何でもかでもと貪ってみたところでどうにもならない。ここを良く決着するが良い。
 また生死があるから仏祖も出世(しゅっせ)なさる。我らも成仏できる。生死は新陳代謝の期間だ。これほど結構な機関はない。宇宙の大機関だよ。自己の決着さえできておれば、生死はまことに楽なものだ。
 ところがここに恐るべきことが一つある。それは何だと言うに、生あって生を尽くさず、生の勤めもしない、死にあって生に執着してぐずぐず迷う。これは実に恐るべきことだ。

※出世:衆生救済のためにこの世に姿を現す事。

「在家の化導」
 ここに於て、皆よく真の発心を知れ。皆は捨つべきを捨てず、行うべきを行わず、果報ばかりを求める故、決して修行にならぬ、仏法にならぬ。
 また、自の為、他の為と言わるるが、これを今日実際に参じてみよ。何をか自らといい、何を他という。皆、開山に在家の化導がないと言って、しきりに心配するが何のことじゃ。そんなことじゃによって、とても宗門の発展は出来ぬ。
 堂々たる管長閣下が大内善知識に依頼して「修証義」を作って貰って、やっと在家の安心が出来たと恐縮がる。その様は何じゃ。開山のは一仏法じゃ、一法身じゃ。自行の他に化他なく、化他の他に自行はない。

※自行化他:みずからのために仏道修行し、さらにその得たところをもって他を教化すること。自利利他。

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