2019年2月4日月曜日

1570「傑僧6」2019,2,4

「必ず返済が迫ってくる」
 穆山師のお話しに、「前世において借りた借金を、前世において返済しないでしまったものは『無証文の借金』だ。」と、こんなお話しがあった。
 だから無証文の借金をつくるなよと、やかましく言われていた。ひとたびつくった善悪業が、その結果を見ないで済むものではないのだ。それだから金銭を借りるにしても、また好意で人が物をくれたりしても、その返礼をしないでおけばそれが皆借金だ。
 その借金を、つまりこの身でつくった善悪業の結果をこの身で受ける。それを「順現報受」というのだ。借金を次の世の持ち越すこともある。つまり、善悪業の結果を次に生まれ変わった時に受ける。それを「順次生受」と言う。
 この順次生受になるというと、もう前世においてなした事は、自分では忘れてしまっている。証文も無くなってしまっている。借りた人も、また貸した人もその証文は持っていない。それで借金が帳消しになるかというと、そうではない。一度まいた種子は尽きるということはない。それが、第二生に続くのだ。証文を持ってはいないが、必ず返済を迫ってくる。わしは借りた覚えがないと言っても仕方がない。泥棒となって取りに来るか、掠奪していくか、必ず返さねばならない。
 それだから強盗にあったりするのだ。その強盗に遭遇したときに、前世の借金を取りにきたのかい、ご苦労さん、お返ししますよ。何もピストルなど持っている必要はない。
 中島さんという人がそれに徹したのだ。そして鉄砲もピストルも売ってしまって、清々として清水――法性水になることができた。法性水になったから雀の法性水、鳶の法性水と一つになり、今までの鳥の声など聞いたことのなかった広い邸内の樹木が、さらに色を増して鳥が群れ飛ぶようになった。

※法性水:「法性」は仏の真理・あらゆる存在の本来の真実なるあり方を言う。
「法性水」は精神的な浄化が出来て、それが身心に満ち満ちている状態。

「自分で自分をとりもどす」
 坐禅は直に仏祖の正法三昧である事を忘れてはならない。光を回し、その光を自分に返して照らす。ちょうど太陽が東から出て、それを巡り、西の方に沈みかけて東の方を照らすようなものだ。回向返照という。よく自己の正智を回して自己の脚下を照顧せよ。
 人を見る目はあるけれども、自己を見る目のある人は少ない。一切のものを見極めるのは放光に属し、我にある知恵をもって我を見る、これを返照という。返照すると身心は脱落するのだ。
 この身は四大(風水火風)の寄り合った物だ。心は霊霊照照底の物に映したもので、五年前見たものも、10年前聴いたものに奪われているのだ。それらは皆客塵煩悩で外から来たって借家している食客だよ。
 その六根から入った食客に、主人顔して蹂躙されているのは情けないことだ。それを知って食客を追放して、主人の席を取り返すのは偏に回向返照の功勲だ。
 返照すれば自然に脱然として、世俗の人情妄想の外に居り、超然として地獄、極楽の外にいる事が出来る。これを身心脱落というのだ。
 しかし、よくよく返照してみると、脱落させるものもなく、脱落するものもなく、何時となく柿の渋の抜けた塩梅だ。」

※霊霊照照底:あなたの魂の奥深くにある霊的な領域、本来はからりと澄んだ所。ここはイメージとして捉えておき、あまり深く考えない。
 六根より入った食客:六根(眼耳鼻舌身意)から、視覚、聴覚、臭覚、味覚、触覚、意識として色々なものが心に入ってくる。それを六入という。それが積み重なり、絡み合ってあなたの人格になっているのかもしれない。六入が災いして煩悩となり、心の中を支配しているのが普通。ここではその煩悩を食客と言っている。

「宝珠の賛」
 穆山師は良く宝珠を描かれたが、その図の上には決まって「福寿如意」と書かれた。一度お墨すりを手伝っていて、「あなたはいつでも福寿如意とお書きになりますが、何か他の書き方はありませんか」と言うと、「うん、それも良いが、わしがこれを書くのは、人々が皆、自らが福寿如意なるにもかかわらず、それを自覚していないからだ。福寿というものは、自分の思う通りになるものだと言う事を自覚させたいのだ。宝珠の賛はこれに限るのだよ。」と話されたことがあった。
 仏に福徳が円満であるならば、わしどもも確かに福徳円満なものであるが、それを自覚しないから不足を言うのだ。受けがたき人身を受け、遇い難き仏法に遇いたてまつり、とても不足など言われるものではない。どうしてこの自分に不足など言えるものか。
 確かに自らに福徳智慧が円満具足しているのだ。ただそれに気が付かないばかりだ。早くそれを自覚して、自己に感謝するが良い。
※宝珠:宝珠とは、災難を除き、濁水を清くするといわれ、思い通りになる珠のことです。
宝珠を得るとどんな願いもかない、欲しいと思っている宝物を作り出すといわれています。
 福寿如意:福徳と寿命は意の如し。と読み、その意味は幸福と長命は自己の意の如く自在であること。

 以下は西有穆山師の書かれた「福寿如意」宝珠の、掛け軸と短冊です。



        

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