2019年3月13日水曜日

1607「天命12」2019.3.13

 ダイヤ―さんのお父さんがアル中で2歳の時に家出していました。その為に彼は孤児院で大きくなりました。優秀で奨学金を貰い、大学に行って助教授になりました。そして啓蒙書を書いていたのですが本が売れなませんでした。
 彼はお父さんを憎んでいました。その気持ちが強かったです。ある時、友人がお父さんが死んだことを伝えてきました。お父さんが埋葬されている墓地に行ってみました。
 レンタカーを借りて行ったが、車の中に名刺が落ちていました。その名刺は写真入りで、何々ホテルのものでした。おかしいなと思ってポケットに入れておきました。ガソリンスタンドで墓地に電話をした。お父さんの墓を尋ねたら、何々ホテルの横にあると、言います。そのホテルが名刺のホテルだったのです。

 そこに行ってお父さんの墓で1時間位泣きました。そこではお父さんに抱かれている感じで、お父さんに導かれてここに来た事が分かりました。お父さんもお詫びをしたくて、こうして呼んでくれたと思うのです。今でも母に暴力をふるい、何故、出て行ったのが分からないのですが、それがお父さんには精一杯の事だと分かったのです。今、これで父への憎しみの気持ちを忘れます。と思いました。
 そこから帰ったら本が売れ、ベストセラーになったのでした。憎しみは人を束縛して可能性を小さくしてしまう、と思います。
 全部、全ての人が精一杯して、生きているのです。

 禅の会に看護師さんが来ていますが、職場の腹が立ってしまう患者がいて、その患者さんにバンバン言ってしまう、と相談された。
 そこで私が言ったのは、その人はそこで精一杯生きているのではないか。という事でした。皆、聖徳太子でないのです。凡夫でたいした事がないのです。皆、それなりに精一杯だ、という悟りが大事です。そう許して行った時に、自分の人生が変わる。のではないかという事です。
 だから、憎しみを引き付けるのは、束縛して、可能性を狭めてしまいます。まず、自分を許すのです。
「自分を許し、人を許し、自分を愛し、人を愛す。」という五井さんの言葉がありましたが、その様に生きて行かれたら良いのではないかと思います。」

※人間と真実の生き方 五井昌久
 「人間は本来、神の分霊(わけみたま)であって、業生ではなく、常に守護霊、守護神によって守られているものである。
 この世のなかのすべての苦悩は、人間の過去世から現在に至る誤てる想念が、その運命と現れて消えてゆく時に起る姿である。
 いかなる苦悩といえど現われれば必ず消えるものであるから、消え去るのであるという強い信念と、今からよくなるのであるという善念を起し、どんな困難の中にあっても、自分を赦し人を赦し、自分を愛し人を愛す、愛と真と赦しの言行をなしつづけてゆくとともに、守護霊、守護神への感謝の心をつねに想い、世界平和の祈りを祈りつづけてゆけば、個人も人類も真の救いを体得できるものである。

他にこんな表現もありましたので参考までに。
「神を愛し、人を許す。これがカルマを消すための極意です。このとき、自分を許すこと、自分を愛することも、どうか忘れないでくださいね。
 自分を許し、人を許す。自分を愛し、人を愛す。
 自分というのは神さまのことでもあるので、この表現も正しいと言えます。
 カルマなんてものは、「愛」の前には無力なものです。ただ、ちょっとカルマはしつこいところがあるので、というか、めちゃくちゃしつこいので、徹底的な祈りが必要です。
 一つのカルマ自体は愛によって一瞬で消えるのですが、カルマの量がちょっと多すぎるんですよね。あなたの転生の回数が多ければ多いほど、カルマも多くて重くなります。しかし、転生の回数が多いからこそ、あなたの魂は磨かれており、愛に目覚めることができるとも言えるのです。」https://www.gospelofcat.com/entry/2018/06/18/190000