2019年5月11日土曜日

1666「南三陸6」2019.5.11

 2011年4月10日にも佐藤造船所を訪問しましたがその時の様子です。

85.「自立支援」2011年4月13日、
「石巻のSさんの造船所にも支援物資を持参して行き、2時間半程お話してきました。彼は先日ようやくお風呂にも入れたようで、すっきりさっぱりして、ひげも綺麗になり、元気でいました。前回、伺った時にデジカメが盗難にあったとがっかりしていましたが、後で見つかった様です。犯罪者を生むことなく良かったですし、笑顔で語る彼を見て皆もとても嬉しいことでした。また一つ、彼の凍てついていた心が暖かく明るく成った様です。
 しかし災害復旧の現実の問題はまだまだ道筋が見えません。道路の瓦礫はまだ手つかずですから行政等でまず瓦礫の撤去など進めていただき、さらに重機が使用できないと作業所の片付けが出来ません。ライフラインの回復もまだまだで、復興資金の目処も何も立たず、市の説明会で2次避難を1方的に説明されて現地の者の希望が伝わらないと語気を強めていました。彼の処に隣接する家屋はまだ残っていますが、その周りの家々は津波の直撃を受けて根こそぎ持ちさられていて土台しか残っていません。みなさんその地に愛着があるのですが、行政の方々もそれぞれが精いっぱいなのでしょうが、いろいろ不都合が山積です。しかし、避難所に米軍の仮設入浴施設ができて皆さん喜んでいました。

 彼の顧客の1割強の方は舟を失ってしまったようですが、お客さん達に仕事の再開を希望されていて嬉しいと話していました。しかし、多くの必要な設備を整備するには計りしれない資金が必要なようです。一つ一つ灯明に火を灯しながら大きい火に作りあげて行く精神力が必要です。きっと彼は出来るでしょうし、我々縁者も支援していくつもりでいます。

 Sさんの造船所のすぐ近くの避難所はサンファン館です。彼も今そこでお世話いただいています。その記念館にはサンファンバウティスタ号が復元展示されています。その船は、かつて支倉常長が仙台藩主伊達正宗の命を受けて慶長遺欧使節として1613年に欧州に、未知の新世界へと航海した木造様式帆船です。記念館の土地は彼の先祖所縁のところだったとか、これからの新しい未知の世界への船出のためにも彼の新生を念願しています。
 帰り道に帆船に夕日が輝いていました。天から今必要なエネルギー、あい、が降り注がれていて、我々の自立支援がなされています。
 あいふる、あいふる、ふる、ふる、ふるう。感謝です。
  

 2011年5月4日は縁する皆さんに呼び掛けて佐藤造船所の片付けの手伝い支援に行ってきました。以下はその案内とその時の報告をブログ記事で紹介します。
http://genkiup.net/NGOtenmei/2011.05.04shinsaihukkou.pdf

91.「黄金」2011年5月10日
 「4日は石巻の佐藤造船所の片づけです。テンメイ関係者、生体エネルギー関係者等22名の支援者が参加して朝から行いました。水道が使えるようになり、ユンボも借りられて今日は一気呵成に片づけです。私達が到着した時はすでに作業が始まっていましたが自宅の被災した物の取り出し、選り分け、処分です。後は泥の掻き出し、掃除。瓦礫で埋まっていた工場わきの道も片付いて、流れ着いた船も1艘引き出せました。山になったごみ袋と整理されたものを眺めて皆さん喜びです。果たしてどうなるかと思いましたが夕方には収まるところに収まり、まずは大きな1歩前進です。皆さん冗談や笑いが出てすっきりさっぱりして満足気です。

Sさん兄弟、ご両親も元気で何よりです。お母様が自宅を片づけようにも何をどうしてよいやら茫然自失していたそうです。数十年の間に溜めこんだ着物、衣類や諸々も綺麗さっぱり捨てさり、床の泥も掻きだされ、玄関先も水で洗い見違える世界です。隠れていた道筋が見えたようで明るい笑顔が戻ってきました。朝の様子とは大違いで、おかみさん(女神)が収まる処が整い掃き清められると家が落ち着くのでしょう。
 帰り道のサンファン記念館の脇を通るとバウテスタ号のマストが折れています。果たしてどうしたのかと思いながら帰路につきました。今回も大潮で渡波地区は海水が路面を覆っています。高速道路も渋滞で帰りはかなり遅くなりましたが充実した1日でした。」
http://sendaitenmei.blog108.fc2.com/blog-date-201105.html