2019年7月19日金曜日

1739「福島巨石13」2019.7.19

 次の目的地は藤加羅神社の藤加羅立石です。留石公園から10分弱です。以下の様に紹介されています。

「藤加羅神社・藤加羅立石  福島市飯野町大字飯野字中井戸
 藤加羅神社は飯野中学校の裏、県道をはさんで北側にあります。
 杉の古木の中に鎮座し、社殿は東の方角に向けて建てられていますが、これは、この地に
弁天様が立ち寄った際に腰を掛けて休んだ所と言われ、そのため弁天様(隠津島神社・東和町)の見える方角に向けて神社を建てたと言われます。
 


 お祭りは現在大宮神社(飯野地区)の祭礼(10月下旬)に合わせて行っています。
 藤加羅神社の本尊は「蛇」と言われており、蛇は繭を鼠の被害から守ってくれると言うことから、藤加羅神社のお札を受けに、立子山(福島市)や秋山(川俣町)などから養蚕農家の人々が多く参拝に訪れたそうです。
 藤加羅神社の境内、神殿の裏側には、巨大マグロのとろを刺身に切ったような形の巨石があります。見るからに刺身包丁で切り始めたと言った雰囲気があります。以前、宮城沖地震で倒れたそのままの姿で現在に至っています。」

「滝おやじの巨石奇石の地学 訪問記録」から分析内容を紹介します。
<立地>
 谷底平野の中に島状にある。特異な地形である。
 谷津田の合流部の中央に島状にある。埋積平野なら埋め残された山の頂上が島状に残る地形は一般に見られるが、侵食平野では、普通、侵食されて残らないものなので、あまりない形であり、特別な理由のある形である。
 自然の状態では、島になっていたのか?それとも岬になっていたのか?
 現在は、周辺の地形人工改変が進んで、一見では分からなくなっている。
<当初地形の復元>
 改変前の地図を探して、昭和60年(1985年)の飯野町1万分の1地形図(下図)を見ました。水田(谷底低地)を彩色。それを元に、当初の地形を推定してみました。
  

上図が概念平面図と断面図。

 当時は、神社東側が岬状に続いていて、その先端に巨石が立っていたのであろう。岬はその基部がのちに掘り込まれて水田化され、残りが堤状に残されて参道となり、神社境内が巨石とともに島状に残されたものと思う。
 巨石のところで谷幅が狭くなり、谷幅異常となっていたわけだが、阿武隈山地の侵食力のない谷では、かなりありふれた現象のようである。
 浅い谷の中央にポツンと立つ巨石は、目立つランドマークで、伝承で弁天様(元々は、ダ
イダラ坊のような巨人ではと思う)が腰掛けた石というのもうなずける。
<根石かどうか>
 この巨石は、根のないコアストーンか、根石の未風化基盤の峰であるかは、巨石といってもあまり大きな石ではないので、どちらもあり得ると思う。
 しかし、島の各所に岩塊が散在していて、巨岩の表面も風化球面があまり見られず、頂上も不定形をしているので、根石の基盤の峰の可能性が強い。
  

本体の南側分離岩塊と本体上部の分離岩片。
 2つの直方体の岩塊が分離転落しており、手前側の岩塊上に、本体上部の節理に沿って平行に板状に割れた岩片が倒れかかっている。
 この2枚の岩片が宮城県沖地震で倒れて将棋倒しになったらしい。

 皆さんで参拝し、不思議な立ち石を見学しましたが、エネルギーの乱れなのか身体のバランスがおかしく成る感じがします。巨石の下の隙間にゴミを捨ててありますがちょっと!です。何とも綺麗に切断された石が重なりある姿は自然のものとは思えません。しかしこのような技術を持つ人間は現在考えられません。特別な技術を持つ宇宙存在の関与が想像できます。







 この飯野町の千貫森を中心にして巨石群は不思議な世界としか言いようがありません。未だ解明されていませんが、太古からここに住んで何等かの活動していた存在達が伺えます。

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