2019年7月24日水曜日

1744「福島巨石18」2019.7.24

 午前の貴重なエネルギー頂き、自然の木々に息吹の中で過ごせて元気いっぱいで次の目的地に向かいました。ほど近い「五輪石稲荷神社」です。住宅街を抜けて山裾の行き止まりに赤い鳥居が見えます。以下の様に紹介されています。

「五輪石稲荷神社   福島市小倉寺稲荷山
 4号線福島市内大仏橋を渡り次の弁天橋の手前を左折する。富岡街道、左手の浄水場から約60m程に「五輪石稲荷神社」の看板が出て来る。左折し進み突き当ったら左に折れると直ぐである。赤い鳥居をくぐればその景観に、えっ!と驚かれるだろう!
 普通の五輪塔を想像されてる方はこの様な塔が現実にあるのだろうか!という思いにさせられる。人工の重ね石だろうか、又は自然だろうか!と考えてしまうのであるが、当然のごとく世間様は巨大な岩石が風化して五つの重石になったものだと言う事であるが果たしてどうなのであろうか!
  


 五輪の供養塔は、空,風,火,水,地を表すと言うが、上2つは重ねたように見えて仕方がない。頂上地面はそれより低いのである。それは私の思いすごし、考えすぎであろうか。
 尚、人物後方右の石は「空部」(頭)より剥がれ落ちた石である。
 五輪塔は上から・尖った丸・半丸・三角・丸・四角を積み上げた形に作られると言うがそう見ればその通りではないか!古代人の英知と言いたいが五輪思想は平安時代からと言うから古代人が造った!は、ないか!
 しかしなんかの思いがあって人間の形に似せて作ったのかもしれない。
 見るからにロボットの様な人の形をしている。前回も今回も参拝に来られた方に写真を撮って頂いたり話をしたがやはり人の手が加えられてるのではないか!と言うご意見であった。しかも台座の上に乗っかっているように見えるから益々不思議なのである。これも
元々上の石と一体であったのが風化のせいでそう見えるだけなのであろうか。
全てこれ自然のなせる技としたら正に『自然の驚異』である。」

「五輪塔(ごりんとう)といえば、主に供養塔・墓として使われる塔の一種です。方形の地輪、円形の水輪、三角の火輪、半月型の風輪、団形の空輪からなり、仏教で言う地水火風空の五大を表すものとされます。石造では平安後期以来日本石塔の主流として流行しました。しかし当然ながら、石の積み重なった様相から、後の世に五輪塔に見立てられたものであって、本来は節理と風化による自然の奇観として考えられてきました。
 たしかに下から三段は、阿武隈花崗岩の頂部露出部分が節理と風化で隙間が開き、積み重なったように見えるものという説明が可能ですが、上部はすこし様相が異なります。他所からわざわざ運んできて、積み重ねた可能性があるように思います。」

 「五輪石は、阿武隈花崗岩の未風化基盤岩塊の頂部が山地斜面に露出しているもののようで、どんな侵食作用で露出したのか、露出後破断はどの程度受けているのか・・・という興味で訪問しました。
 大きな石で、急斜面から半ばせり出し、サイコロを真上に4段積み重ねたような塔形で、頂上は斜面の頂上より高くなっているようです。
 露出部分の高さは約11m、サイコロの幅は4.2mと測定しました。
 塔の廻りの急斜面は所々転落した岩塊が見えますが、花崗岩が砂粒まで分解した「マサ」のようです。塔の右下の祠の方にも岩体があるようで、この岩塔は、下に未風化の岩が続いている根石と思われます。
 神社境内(塔の前面)は、新しい侵食された谷ですので、谷が刻まれる以前は、マサの中に未風化の岩塔が立っていて、地表にもその頂上が露出していたのでしょう。
 この岩のように、まだ、岩塔が大部分マサの中にあり、塔の側面が露出しているだけの場合を「地中塔タイプ」と私は呼んでいます。
 露出がさらに進めば、塔全体が露出して周囲から破断し破壊が進み、当初形の復元が困難になっていきますが、地中塔タイプでは一方の側面だけが露出しているので破断が少なく、地中での形を見るのに適しています。」
http://bbs2.sekkaku.net/bbs/takioyazi/mode=res&log=77