2019年8月23日金曜日

1773「神人巨石巡り1」2019.8.23

 2019年7月20,21日は神人さんと一緒に巡る縄文の旅で、今回は宮城県南と山形県の中央部の巨石を訪ねました。ここはという場所でゲリラ的に神人縄文ライブも行われ、それは濃厚な実り多い旅になりました。その様子を紹介します。

 20日朝7時前に仙台駅に集合してバスは7時に出発です。今回の参加者は総勢37名の大勢です。京都府、岐阜県、静岡県から関東圏の方々で遠路参加いただきありがたい事です。
最初の目的地は宮城県柴田町の拆石(さくせき)神社です。以下の様に紹介されています。

・拆石神社          柴田町大字葉坂字宮前50
「往昔、宮下宅と呼ぶ地の後山に在り 拆石神社鎮守明神といった。平城帝大同2年6月14日比神 後山の社地を去り 飛揚倐忽其の有る所の巨石を裂きて これを中分し石中に寓す。石形並立して屏風のようであった。かく石巌を折いて入り給ひしを以て 郷人これより破山明神といった。
 又平城帝の御宇、坂上田村将軍俊仁公東夷征伐の砌り、この神を勧請し武運長久を祈願したともいい、又古老日う。日本武尊東征の折、磐坂皇子を祀ったとも伝えている。村名元磐坂(後、破坂、葉坂)と称したともこれによるという。明治の初め現社号に改められ、同6年6月村社格加列、大正3年12月供進指定神社となる。」
 拆石神社の創建には諸説あります。
 一説には大同年間に坂上田村麻呂により勧請された。一説には日本武尊が東夷東征の際に磐坂皇子の御霊を勧請した。
 一説には大同2年に御神体の山の中腹にある巨石から神が出現しその岩に宿ったとも云われています。
 古くから神仏習合していたようで往時は「拆石明神」と呼ばれ、現在も神社山門や梵鐘などが残されています。
 拆石神社の創建由来には上記のように所説ありますが、境内背後には奇岩怪石が控えている事から古代から巨石への畏敬の念から自然崇拝の対象となり、その祭祀施設が前身だったと思われます。
 巨石の裂け目は生命の源のようにも見え、祭神である大宜都比売神が穀物の神である事からも自然の畏敬から生産への期待に変化したと思われます(大宜都比売神は養蚕の神でもある為、養蚕業が盛んな地域だったのかも知れません)。」

 県道に面してこんもりした小山に赤い鳥居があります。神社は綺麗に手入れがされています。山門のある階段を登ると直ぐ正面に社殿があり、右手に山に登る小道を進むと石室があります。更に左手に周り社殿奥の山に入ると、驚く巨石が積み上げられて、屏風の様に並んでいます。由緒の通り、中腹から岩が裂けているように巨石が積まれ、周囲は神聖な雰囲気が漂っています。積まれた巨石の長さは50m以上はありますでしょうか。どう見ても天然のものではなく、人為的な意図を持って作られた人工遺構です。石を裂いた拆石(さくせき)神社と名つけられたことが納得出来ます。かつては破山神社と言われたようで、巨石信仰などで神聖視され古代祭祀を行なっていたのではないかと思います。 特別なエネルギーを地の底から巨石を通して出ているようです。





 この姿を見た皆さん驚きの声を発しています。神人さんによると、宇宙人的存在が並列に石を積み上げた様です。そして並べた片側の左が崩れてしまったようです。更に驚きは、この地は縄文を遥かに超える8万年前に崩壊した文明の拠点だと言います。天変地異で崩れた文明で、それは地球規模で崩壊があったようです。他の星の方々を中心に共和し、ムー、レムリアを中心にした時の東北地方のエリアの拠点の1つだとも言います。

 小高い岩の上に神人さんが立ち、鈴と太鼓で縄文ライブです。驚きの響き合いでした。後で気が付いたのですが、ここで鈴の1つを紛失してしまったようです。





 爽やかな気分で神社を後にし、鳥居前で集合写真です。


神社のお世話役の方が話しかけて来て、大勢の方々の参拝をとても喜んでくださっていました。この地の神々を代表してこの方の口を通して感謝の言葉を頂いたようです。先ずは幸先良い旅の始まりでした。

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