2019年10月16日水曜日

1827「福島巨石探訪14」2019.10.16

 明石神社は田村麻呂伝説の中心的な所です。以下の様に紹介されています。
「明石神社         田村市船引町堀越明石1
 明石神社は福島県田村市船引町堀越明石に鎮座している神社で、創建は坂上田村麻呂と関係があり、以来周辺からの信仰が篤く様々な奉納物が寄進されています。特に明治11年(1878)に奉納された算額(最上流和算家庸軒佐久間纉の門人が奉納)は平成17年(2005)に10枚におよぶ絵馬(寄絵・西南の役・村芝居役者絵・武人・商人・弁慶と牛若丸・武者合戦・武者出陣・つなぎ駒・神馬奉納)は昭和49年(1974)にそれぞれ田村市指定有形文化財に指定されています。
 又、境内には神社の由来となった田村将軍夜明石はじめ巨石群があり、鳥居脇には道祖神の同種とされる「お人形様」が鎮座しています。明石神社拝殿は木造平屋建て、入母屋、桟瓦葺き、平入、桁行3間、正面1間向拝付き、外壁は真壁造り板張り。 
 田村将軍夜明石概要: 本堂脇に神社の名前の由来となる磐座を思わせる巨石と腰掛石が鎮座していて、案内板によると「延暦20年(801)桓武天皇の御字 征夷大将軍坂上田村麻呂陸奥は下向の際此処地に来りて大滝根山を根拠とする豪族大多鬼丸の強賊なるを知り、此所に武甕槌神を勧請して皇敵の降伏と戦勝祈願を行い其の夜将軍はこの石に腰をおろして夜を明かされたと云いらる。以来この石を「田村将軍夜明石」とて有名なり。」とあります。」

 鳥居の近くには巨大なお人形様が祀られています。何故か木内さんがそっくりです。皆で集合写真を撮りました。


お人形様案内板によると以下の様に紹介されています。
「・・・(前略)当地区、堀越のオニンギョウサマは、平成4年9月に明治40年以来87年ぶりに現在の三春・門沢線、郡山・大越線の分岐点にある明石神社境内に復元されました。 
 明治40年にお衣替えや祭礼が断絶した理由はわかりませんが、おそらく明治38年の大飢饉に由来するものと思われます。堀越のオニンギョウサマの面は、屋形や朴橋のオニンギョウサマのお衣替えは、屋形地区、朴橋地区と同様に行われ、氏子になっているヤシキよ呼ばれる地縁組織の人たちが材料を持ち寄って、毎年春にお衣を作り替えます。古風な祭りの形態を示すと同時に神の心像を表現したものとして大変貴重な民俗文化財です。 福島県教育委員会・・(後略)」とあります。オニンギョウサマ制作の風習は福島県指定無形民俗文化財に指定されています。」

 以下町の3か所のお人形様の写真ですがユニークで笑いを誘います。
「船引町にある「お人形様」。身の丈4m、刀を持ち、両手を広げ、通せんぼのしぐさをしている田村の守り神です。怖い顔をしていますが、これはにらみをきかせて魔よけをするため。船引町の3ヶ所にあり、それぞれ違った表情をしています。

朴橋(ほおのきばし)のお人形様
堀越(ほりこし・明石神社)のお人形様
屋形(やかた)のお人形様

 夜明石の前で木内さんのお話しが始まりました。暫し古と今を繋ぐ木内ワールドです。