2019年10月28日月曜日

1839「下北・恐山5」2019.10.28

 次の目的地は八戸の観光名所の蕪島に向かいます。蕪島は国立公園種差海岸の北端で八戸魚港の鮫漁港にあります。八戸は港町としても栄えた所で以下の様に紹介されています。
「江戸時代には「八戸浦」と呼ばれ、三陸海岸における交易港、避難港となっていました。当時の浦浜は、馬淵川河口以北の北浜、湊・白銀・鮫海岸の前浜、白浜以南の南浜に分けられていました。
 昭和35年の特定第3種漁港指定を契機に、魚市場や背後施設などの基盤整備が進められ、現在の姿になりました。八戸漁港を含む「八戸港」は商業港、工業港としても発展してきています。」

 八戸漁港は水揚量・水揚額において数回全国1位になったことがある日本有数の漁港です。最近は「朝にだけ出現する”街”」として館花岸壁朝市が有名です。
 「普段は何もない広大な岸壁に、毎週日曜日の早朝にだけ出現する巨大朝市・館鼻岸壁朝市(たてはながんぺきあさいち)。全長800メートルにわたって300以上の店が立ち並び、毎週数万人もの人出を誇る、青森県内・東北はもちろんのこと、国内でも最大級の朝市です。
 特に、連休やお盆には観光客や帰省客などが通路にあふれ、歩くのが困難なほどのにぎわい。八戸で最もホットな場所と言っても過言ではありません。」


 蕪島はウミネコの繁殖地として有名で、島にあった厳島神社は4年前火災で焼失してしまいました。以下の様に紹介されています。
「蕪島            八戸市大字鮫町
 蕪島は神の使いとされるウミネコ(魚の居場所を知らせる為、漁民から信仰の対象になっていたと思われます。)の繁殖地として神聖視され「神島」、「神場島」がなまって蕪島と呼ばれるようになったと言われています。永仁4年(1269)には犬房丸(幕府御家人工藤祐経の子供)がこの地に流され、蕪島が故郷の江ノ島に似ていたところから厳島神社(弁財天)を蕪島の頂上に勧進し、宝永3年(1706)には八戸藩3代藩主南部通信が男子誕生の子宝祈願を行ったと伝えられています。
 当初は岸から100m程離れていた単独な島で厳島神社(現在の蕪島神社)の例祭や参拝には渡し舟を使って行われていたそうですが昭和に入り整備が進み昭和17年(1942)に旧海軍により埋め立て工事が行われ、現在見られるように陸続きになりました。 
ウミネコは2月から3月にかけて約4万羽飛来し営巣、4・5月に産卵、8月上旬まで子育てを行い旅立ちます。ウミネコの繁殖地は、全国10箇所(八戸市:蕪島・出雲市:経島・陸前高田市:椿島・女川町:江ノ島・酒田市:飛島)ありますが離島や断崖絶壁など人里から離れているのが殆どで、蕪島のように市街地にあるのはウミネコが神格化され保護され住民達と共生できたからではないでしょうか?
 蕪島はウミネコ繁殖地として大変貴重な事から大正11年(1922)に国指定天然記念物に指定されています。又、平成8年(1996)には当時の環境庁による「残したい日本の音風景100選」に「八戸港・蕪島のウミネコ」として選定されています。蕪島の周囲約800m、標高約19m、長軸約300m、短軸約140m、面積約17平方キロメートル。
 蕪嶋神社の社殿は平成27年11月に発生した火災で焼失したため、蕪島の入口に仮の拝殿と社務所が設けられています。もし、ウミネコに「ウン」をつけられたら、蕪嶋神社の社務所へ。「ウン」が開けるかもしれません。※蕪嶋神社再建工事中のため、蕪島島内(頂上)への立入が制限されています。(2020年3月頃まで)」
 

 神社は再建中で立ち入り禁止ですが、ウミネコも少し残っています。数年前に出来た蕪島休憩所で観光情報、蕪島の四季、歴史などをパネルを学び寛ぎタイムです。




 かつて私が子供の頃、この蕪島の南側は砂浜で海水浴場になっていて何度も泳ぎに来たところです。懐かしい風景ですが様変わりです。