2019年11月9日土曜日

1851「下北・恐山17」2019.11.9

 仏ケ浦の散策です。階段をおりて浜の正面には船着き場でその右手には屏風岩、岩龍岩があります。




 左手には双鶏門、天龍岩があります。その先には如来の首です。蓬莱山に登ろうとする方もいたり、想い思いにあっちを見て、こっちを見て、未知との遭遇、不思議体験です。









 木内さんは色々な異次元存在の来訪を受けている様です。少し辛そうですが致し方ないのでしょう。この地を一度は訪れたい、との願いでしたから、この地の無形、有形とのコンタクトです。ここには海からの多くの御霊が沢山流れ着いている様だと言います。
 思うに海からはこの奇岩等は昔から確認されていたと思います。しかし、陸路は何時ごろで来たのか、相当時代を下ってからでしょう。
 先に紹介したように仏ヶ浦の由来はアイヌ語の「ホトケウタ:仏のいる浜」と言います。果たしてアイヌが仏教的な思想を抱いていたのか分かりませんが冥土に向かい、導く霊存在をこの地に見たのでしょう。
 そこでは津軽海峡を三途の川、白浜を賽の河原に見立てた信仰があります。この世で亡くなった者は仏ヶ浦を通って旅立つ、という言い伝えもありますが、それは彼岸と此岸の境界、つまり三途の川であり、その河原は賽の河原との捉え方です。
 そして極楽浄土を思わせる名称が付けられています。岩の名称は人の想い、かなり後世の物と思います。記事には、江戸時代に流れ着いたお地蔵様を祀ったことから、仏ヶ浦信仰が始まったともあります。
 いずれにしても周辺の海流や地形・地質と関わり、長年の風雨と波によって削られた岩々は、鬼か神でなければ創ることができないと思える、仏ヶ浦独特の霊験あらたかな空間が人々に信仰が根付かせたのでしょう。
 古くは恐山の参拝の帰り仏ヶ浦に寄る人達も多くいたと言います。地蔵尊信仰の人々は23日に恐山の地蔵堂にこもり、翌24日は四里の山谷を歩き、仏ウタに降り、この地蔵堂に参詣するのが慣わしだった様です。地蔵菩薩は、仏教の六道輪廻の思想から、六道のそれぞれを六種の地蔵(六地蔵)が守護するという説があり、十三仏のご詠歌を唱えたとのことです.

 皆さんと如来の首で集合写真を撮りました。


 帰路の登りは難儀です。皆さん頑張り車に帰り着きました。一息ついて出発です。程なく行くと仏ケ浦展望台があります。ここから仏ケ浦を北方向の全景を見下ろせます。素晴らしい眺望です。陸の果てです。