2019年11月18日月曜日

1860「下北・恐山26」2019.11.18

◆17か所13か所が賊軍地域
 現在、日本国内に原発は17か所54基ある。現在原発が置かれている場所と、戊辰戦争で賊軍とされた旧幕府軍側だった藩のある県を照らし合わせると、実に13か所46基の原発が「賊軍」地域に所在する。確かに「原発は賊軍地域に立地している」事実はあるが、なぜ原発は賊軍側に集中しているのか。
 今回、原発を抱える十数か所の県庁、市町村役場の原発関連の担当課など、現地の原発建設の経緯を知る人に原発立地の事情を聞いたところ、地元が原発を誘致する理由として経済問題を挙げた回答が多かった。逆に、「賊軍地域との関係」という点に関しては、「初めて聞いた」(福島県庁企画調整部エネルギー課)、「考えたこともなかった」(青森県六ケ所村原子力対策課)という答えがほとんどだった。
 青森大学の前学長で、内閣府原子力委員会の委員も務めた末永洋一氏に、原発を誘致した青森県の事情を聞いた。
「近代以降、東北は開発から取り残されてきました。そこで農業に活路を見出そうとするも、大正2年の大凶作で頓挫しました。昭和になって北村正哉知事のときに、産業の高度化を打ち出し石油コンビナート建設計画がありましたが、それも第二次石油ショックの影響で立ち消えになり、5000ヘクタールの土地が取り残されてしまった。
 そこへ原発誘致案が浮かび上がってきたのです。原発ができれば、出稼ぎや集団就職が不要になり、中央との経済格差を是正できる。もちろん、反対する人は当時もいたけれど、基本的に地元が望んで誘致したんですよ」
 中央から、あるいは電力会社から押し付けられたという意識はないようだ。

◆上から目線の「助けてやろう」
 原発立地には、地理・地形的な条件をクリアした土地を、電力会社が地元に打診するケースと、地元自らが誘致するケースがあるという。福島は地元が誘致した経緯があるが、その状況を内田氏はこう述べている。
〈それは地元に産業がないからでしょう。産業がないのは福島県人の自己努力が足りないからじゃなくて、戊辰戦争以来150年間の、東北に対する政治的・経済的な制裁の結果なんですよ〉
 当時の賊軍への差別的扱いの「結果」として現在の状況があるということか。原発地域の当事者たちの話を聞こう。柏崎刈羽原発が立地する新潟県柏崎市役所防災・原子力課の担当者はこう語る。
「明治新政府の首脳の地元(官軍地域)が発展して、他は開発から取り残されたと考えられなくはない。どうやって経済格差を是正するのかを考えたときに、原発立地が視野に入ってきたということでしょうかね」
 同じく女川原発が立地する宮城県女川町企画課の担当者は、「結果的に経済発展しなかった場所が、原発立地の条件、つまり広い敷地があって人口が少ないところにちょうど当てはまってしまった、という見方もできなくはないのかなと思います」と語った。
 なぜこのような構造が出来上がってしまったのか。作家の加来耕三氏が歴史的観点で語る。
「戦争に勝ったほうには厚く施され、負けたほうには施されないどころかいじめられるのが常だ。現代になり『産業がないから助けてやろう』という官僚的な上から目線の考え方で、原発の建設地域が決められた側面もあるだろう。
 明治以後の権力システムは、江戸時代までの地方分権とは異なり、官僚制が激しくなって中央集権を加速させた。戦争に勝って中央に座った者たちが、中央さえよければそれでいいという価値で今の社会を作った。
 今の社会は、官軍/賊軍の意識が反映された果てのものであるのは確かだ。現在、日本の社会や経済は官僚制に端を発する様々な問題を抱えている。目の前の問題に対処する以外にも、我々はその起源となる明治維新を“反面教師”として批判的に捉える必要があるのではないか」
 明治の藩閥政治においては、賊軍地域出身者は政官財のどの世界でも出世の道が閉ざされていた。とくに東北地方においては、白河の関より北は山ひとつ100文の価値しか持たないという意味の「白河以北一山百文」という言葉も生まれた。
 岩手県出身で平民宰相と称された原敬は、そこから字を取り雅号を「一山」と名乗った。そこに込められた思いを本人から聞くことはできないが、賊軍とされてしまった側の意地のようなものが垣間見られる。現在、青森県には大間原発が建設中だ。
※SAPIO2017年9月号
https://www.news-postseven.com/archives/20170827_603923.html/4