2020年1月13日月曜日

1915「シャーマンライブツアー10」2020,1.13

 ライブを終えて大湯ストーンサークル館を見学しました。




もう少し詳しく紹介します。

「大湯環状列石遺跡は1931年(昭和6年)に発見され、約130メートルの距離をおいて東西に対峙する野中堂と万座の環状列石で構成されている。
 この遺跡は、山岳丘陵の末端にのびる舌状台地の先端部に造られており、河原石を菱形や円形に並べた組石の集合体が外帯と内帯の二重の同心円状(環状)に配置されている配石遺構である。その外輪と内輪の中間帯には、一本の立石を中心に細長い石を放射状に並べ、その外側を川原石で三重四重に囲んでいる。その形から「日時計」といわれており、万座と野中の両方の遺跡にある。 
 大きい方の万座遺跡の環状直径は46メートルもあり現在発見されている中で日本で最大のストーンサークルである。組石は大きいほうの万座では48基、野中堂のほうは44基ある。中央の立石は大湯の東方約7 - 8キロメートルにある安久谷(あくや)川から運んだと推定されており、労働力の集中が見られる。 
 遺跡の使用目的に関しては諸説あるが、近くには構造が似ている一本木後ロ遺跡があり、これは墓であることが調査によって明らかになっており、またそれぞれの配石遺構の下から副葬品をともなう土坑が検出されたため大規模な共同墓地と考えられている。さらに1948年(昭和23年)から始まった万座の周辺調査から掘立柱建物跡群が巡らされていたことが明らかになり、これらは墓地に附属した葬送儀礼に関する施設ではないかと推測されている。
 大湯環状列石には日時計状組石があり、この環状列石中心部から日時計中心部を見た方向が夏至の日に太陽が沈む方向になっている。このような組石は北秋田市の伊勢堂岱遺跡にもある。
 大湯環状列石の北東には黒又山があり、大湯環状列石からはきれいな三角形に見える。黒又山にも何らかの人工的配石遺構などがあるのではないかとする推測もあり、大湯環状列石との関連の可能性が一部より指摘されている。」
 以下は全景、日時計状の組石、出土品の数々の写真です。






 そしてストーンサークルと関係して神秘の山、黒又山の詳しい説明です。



   「黒又山(クロマンタ)と称する信仰の山があり、一部では日本のピラミッドと呼んでいる人もいます。中には黒又山と大湯環状列石(ストーンサークル)との関係や東南アジアの巨石文化の関係を問う人など、様々な面で色々な想像でき、そういう意味でも魅了的な遺跡で、現在でも頂上に本宮神社が鎮座し信仰の山となっています。
 案内板によると「標高280m、現在地より80mの三角錐のこの山は、ピラミッド説が強く神秘につつまれた山です。人工的に積み上げた山ではないが、人の手で削り取り形を変えて、山霊を仰ぎ多くの人々の信仰を深め、祭儀を行った山とされています。地元の人々は昔から、この山をクロマンタ山、又はクルマンタ山と呼んでいます。大昔から、この地方は蝦夷地であったのでクルマンタ山も蝦夷語で、解説すると次のようになります。「クル」とは神、又は普通でない人間の事。「マクタ」とは野の事。(マンタはマクタの転訛と思われる)「キシタ」とは山の事。「クルマクタキシタ」すなわち神野山となり、これがクロマンタと呼ばれるようになったと思われます。
 黒又山の名は後で付けられたものですが、ともかく古代の遺跡ストーンサークルをはじめとして、多くの神仏が祭られている野原に立つ山、そして深い神秘の中に多くの信仰を集めた山で、ピラミッドと言っても不思議ではありません。今もなお、信仰深い山神野山であり、すなわち現在の黒又山(クロマンタ)なのです。」とあります。」

 ここで鹿角市のSさんはとはお別れです。お別れの挨拶を頂きました、ありがとうございます。

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