2020年4月1日水曜日

1994「不思議体験1」2020.4.1

 3月7日は神人さんの7時間講演会でした。当初、天命舎を会場に予定していたのですが参加希望者が多く、会場を宮城県歯科医師会館地下ホールに変更しました。しかし2月末になり、歯科医師会もコロナウイルスの騒ぎでほとんどの集会、研修会が中止で会館の使用も取り止めています。私の所にも「どの様な講演会でしょうか?不要不急のものでなければ使用を取り止め頂ければ。」と電話が来ました。内容、状況を説明して一応予定通り使用させていただく許可を頂きました。
 懇親会のお店からも何度か確認の電話を頂きました。何しろ3月の卒業、転勤、移動の季節で宴会最盛期なのですが、コロナ騒ぎでキャンセル続出で悲鳴が聞こえる中、こちらは予定通りの開催を考えている旨お伝えしたところほっと一安心の様子でした。
 そんな中で神人さんの講演会が13時から始まりました。その内容を紹介します。

「神人 過去の不思議体験を語る 色々な靈人や精靈・宇宙人たちとの対話など…」

 私の講演会は2時間、3時間、5時間、そして7時間と時間が長くなってきましたが、それらは全部、ここ仙台からスタートしています。その後に、東北各所を巡る縄文ツアーに出たり、車中で話す事も、縄文ライブも仙台から始まりました。
 私が進化させてもらえる場所が仙台です。昨日はリハーサルの時にエネルギーチャージさせてもらい私が大きく変わりました。そのお陰で浄霊のスピードがものすごく早くなり、大量の浄霊をすることが早くできるようになりました。ですから私が苦しんでいる時間が少なくなりました。しかし浄霊が早くなっただけ苦しみが更に増えるので、その度合いは変わらないです。これからはより激しいく多くの浄霊をする時代に入ったのかと思います。

 私が霊媒の役目を引き受けたのは、学びと共に可能な事と考えると、京都に移った時かなと思います。2000年問題の頃で、一番自分が解っていなかった頃です。大阪から京都へ移る時、どん底を見ました。自分の問題が兎に角大きかった頃です。
 当時はノストラダムスの予言が取りだされていましたがたいした事が無く過ぎました。そして次の2012年のマヤ歴のオカルトの時もたいした事が無く終わりました。
 私は青森県八戸市の日赤病院で生まれました。日赤は正十字のマークでキリスト教の宗派の1つで使うマークです。
 一昨年、岩手県一関市の立石神社を訪れた時に、縄文の巨石などを巡る仙台テンメイの縄文ツアーの時でしたが、キリスト教徒がいっぱい現れました。その時、隠れキリシタンも沢山現れました。私には過去生でキリシタンの時がありますた。
 昨年暮れに又一関市に行きました。その時、不思議なご縁で立石神社の磐座の前で鳴り物を鳴らした時、ワァーと一気に入り、上がって行きました。誰にも知られたくなく、早く変わりたかった者たちです。隠れキリシタンで首を落とされ処刑された者たちでした。

 霊的戦いが続いていますが、もう10数年が経ちます。これは孤独な戦いですが、大きな光の霊団、エクソシスト集団が現れました。
 そして「あなたはかつて私達の同胞だったと、あなたの事を聞いた。」と言います。
 隠れキリシタン達からかつての仲間でないかと。それで私の助っ人に来てくれた。と言います。1人で大変でしょうからとサポートが入ったのです。私には随所、随所で限界に成ると素敵な助けが入るのです。

 今年は昨日3月6日、ライブの練習をスタジオでしていたら、指導霊がこれから「大きく変わりますよ。」言われた。儀式をして霊体が進化していきます。
 2020年3月6日、202036の数字が好きだ。これからして行く課題に繋がるバージョンアップだ。
 キーワードとして「魔を理解する学び」は終わりました。これから愛を深め、奏で、伝え、愛を、深い、強い、大きい愛を意味するステージへ変わる。過去の自分が亡くなり、本来の自分に立ち返ったのです。私の中に慣れ親しんだ自分像があり、中々手放せないでいたのですが、瞬間に霧が晴れたようになったのです。「これで良い。」と穏やかな気持ちになりました。
 今日はその翌日で新たなステージに入った神人です。